2016年3月9日水曜日

K教団の金銭感覚…在家時代を振り返る(2)



組織に溜まる不満

熱烈信者であればあるほど、教祖や教団の方針に疑問や不満を持つことを自分に禁じます。それは「疑」であり、「悪魔のささやき」であるから、「不満も疑問も持ってはならない」と、一種の宗教的な「禁止令」を自分に対して発令するのです。

そうした典型的な熱烈信者でも、現場で活動していると疑問に思うことが増えてきます。

二度目の選挙の時です。支部で選挙運動のために毎日婦人部の人たちと行動しているうちに、彼女たちと連帯感のようなものが生まれてきたころ、彼女たちの本音を聞く機会がありました。
毎日手弁当で活動している女性信者が、活動にお金を使っているので、教祖のビデオを見るお金がない苦しみ語ってくれました。当時のビデオは、選挙運動の活動のエネルギー源でした。それを聴いて、自分を奮い立たせて活動したかったのです。特に一度目の選挙で惨敗した後は、在家の活動信者は自分を奮い立たせるものが欲しいのです。でも、お金がないので見ることもできない。それほど活動していない一部の裕福な人はビデオを見ている。活動してお金を吐きだしている婦人部の人は見れない。これは不公平ではないかという不満が溜まっていて爆発寸前でした。

彼女たちに懇願されて、支部長にお願いしました。支部長は地方本部長と相談して、ごく一部の人にだけ、こっそりビデオを無料で見せるという裁量を示しました。「教祖の方針には表だって逆らえない。しかし、不満が広がらないようにしたい」という思惑が透けて見えるようでした。

この経験から、在家信者の中に溜まっている布施を巡っての激しい不満と、教祖のあくまでお金を払わせろという強硬な方針、そのはざまにあって政治的な裁量をする現場の組織の実態に触れました観自在のはずなのに、教祖は現場の信者の気持ちを感じ取っていないように思えました。それがとても疑問でした。

最初に感じた在家信者の怒り

教祖と教団の方針や指示に対して、激しい怒りを感じたこともありました。

最初の選挙の時です。教祖が気に入らないと、選挙活動の途中にもかかわらず政党の党首の首を何度もすげ替えました党首の変更に伴い、その都度ポスターが取り替えられることには、正直言って怒りを覚えました。一枚のポスターを張らせていただくだけでも、在家信者が一生懸命に地主さんにお願いして、さんざん断られた末にようやく一枚張らせていただくという、まことに手間暇のかかる仕事です党首が変わるたびに、そのポスターを貼り換えなければならず、それまでの苦労と捧げられた時間が無駄になります。徒労でした。

さらにカラー刷りの豪華なポスターの印刷費用も、信者の方々の懸命の布施で賄(まかな)われているにもかかわらず、それが次々と無駄になっていくのです。
「一体何のためにこれだけ党首を変えるのか。信者ですらもうはや党首が誰かわからない。それでいてK党の名前の認知度をあげたいと望むのは、あまりにもばかげている。お金も時間も全部無駄にしている。」
そう思い、怒りを感じました。

そして選挙期間中も教祖が次々と出してくるDVDの説法を見ました。最初の選挙では、こうしたDVDは、どの支部でもほぼ無料でボランティアで選挙活動する信者に見せていました。しかしそれをあとで知った教祖が激しく怒り、お金を取るように厳命したと聞きました。

あまりのがめつさにあきれるとともに、事あるごとに金を吸い取ることしか考えていない教祖の方針に疑問を感じ始めました。国のためにK党のために、仕事を休んでまで駆け付けた人々への感謝もなければ、その労に報いるでもなく、あくまで信者からお金を吸い取ることしか考えていないことを知ったからです。

そのあげくに、何人目かの党首に、教祖自らが立っての惨敗です。

2週間というもの、仕事を完全に中断して選挙運動に専念してきましたので、活動と結果のあまりのお粗末さと、時間とお金と労力を布施してくださった信者さんたちの真心を無駄に浪費してしてゆく姿を見て、怒りを覚えたのでした。

「信者の尊い布施や献身を何と考えているのか。」
「切り詰めた生活の中から絞り出して捧げてくださった尊い行為を、いとも簡単にどぶに捨てるような真似を、どうしてできるのか。」
教団には現場の人の気持ちが何一つわからぬ証拠だ。」
「教祖は現場の人の思いも苦しみも分かってはいない。教祖は信者の気持ちが何一つわからないのではないか」
と、そう思い始めましました。

布施はお金だけではありません。捧げられた時間も、奉仕もすべて布施です。それを少しでも大切にし、一つも無駄にしないという精神が、この教団運営からは消えていました。これはとても傲慢な、感謝のない姿だと思えてなりませんでした。


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2016年3月8日火曜日

K教団の金銭感覚…在家時代を振り返る(1)



出家と在家と除名を経験して

K教団で熱心に活動する人は、お金を出し尽くしてゆきます。次から次からお金が必要になり、お金を出せば出すほど悟りに近づけるように思い、さらにお金を出せば出すほど信者や教団から祝福されるので、布施がやめられなくなります。まるで布施依存症のようです。そして金銭感覚が狂っていきます。

私はK教団の最初の12年間を職員、いわゆる出家者として関わり、還俗(退職)して後、ほぼ同じ期間を在家信者として関わりました。お金を集め、もらう側と、お金を布施し、差し出す側を両方経験しました。そして除名処分を受け退会してから、納骨壇等の申込金返還訴訟等に声援を送り、退会する人の相談にも乗ってきました。

そうした中で、K教団の金銭感覚の異常さを身をもって痛感しました。あらためて気づいたことを率直に書いてみたいと思います。

在家時代と御布施

四十代の初めに還俗してより十数年間、K教団の在家の信者として活動し布施をしてきました。在家としてのK教団の宗教活動で、どのぐらいお金がかかるものなのでしょうか。

これは人によって差異はありますが、読者に具体的なイメージを持ってもらうためにある研究員・男性の事例を書いてみたいと思います。

この男性は定額の布施として毎月1万円を植福の会で納めました。また原則毎月2回の支部祈願(一件5000)と毎月一回の精舎祈願(一件3万円)を継続していました。祈願は信仰心を高める行為であると教えられていたので、効果がなくても毎月実践したわけです。さらに、時々、教祖の御法話拝聴会(DVD)を支部へ見にいきました。一回5000円です。これで月額55,000円になります。
それ以外に精舎研修は年一回の論文研修を受け3万円の研修費と交通費です。さらに、毎年の研究員の資格維持のための試験で5000円。また、できる年には他の精舎研修(交通費・祈願込みで10万円程度必要)に参加したり、10万円程度の特別植福をしていました。このほか、映画のある時は100枚のチケット購入で15万円、献本書籍の100冊購入で約20万円の出費をしていました。

熱心なある女性信者だと、支部へ通うための遠方よりの交通費や電話代、自宅での集いの経費や毎月20冊程度の書籍購入なども加わって、毎月の基本的な出費だけでも10万円程度の支出をしていたといいます。食費や被服費は極端に切り詰めてねん出するのです。

人によっては借金をしても布施している人もいました。会社の経理を預かっている熱烈信者の奥様が、会社のお金をご主人に内緒で布施していたという話は、複数の人から聞きました。もちろん家庭争議が起こります。

K教団では毎年半年毎に「○○精舎の建立のために」「降魔型〇〇像」とか、さまざまな名目で信者一人当たり最低でも10万円以上の特別植福を集めます。こういう場合は、組織で活動をしていると、信者同士の横のつながりもあるので、やらないわけにはいかない気持ちになります。

しかもK教団の場合は、布施しても布施しても、次から次へと布施の機会が続き、これで終わりということがありません。その疲労感は結構なもので、それが蓄積してゆきます。


布施ができないと、仏の役に立てないことへの罪悪感取り残されていくような気持ちに襲われ、また支部に行って支部長の顔を見るのがつらくなるので、支部に自分の居場所を確保するためにも布施は必要になります。そんな気持ちが根っ子にあって布施せざるを得ないという在家信者は少なくありません。