2015年10月31日土曜日

改定版・幸福の科学法務室様の丁寧なご指摘を受けて(緊急投稿)「対幸福の科学『いわゆる植福』返還請求訴訟に込められた思い」を再度改訂します。


(この文章は幸福の科学法務室から「通知書」が届いた翌朝の1031日土曜日に掲載しましたが、再度、文面を精査して必要な修正を行いましたので、あらためて改訂版を掲載します。)

1.幸福の科学法務室からの通知書届く

1027日付の「(緊急対応)対幸福の科学「いわゆる植福」返還請求訴訟に込められた思い」の記事に対して、幸福の科学法務室様より、記事に誤りの部分があるとしてご指摘が書かれた「通知書」を「配達証明」で頂きました。この「通知書」でご指摘いただいた箇所は3点です。

まず「このお金は対価性のあるものであり、植福・布施とはみなせないと最高裁で判例が出ているからです」の記事の部分について、「幸福の科学の納骨壇や永代供養の植福(御布施)について、『最高裁の判例』や『最高裁の判決』は存在しません」と、ご指摘いただきました。

確かに法律的にはご指摘のとおりです。そういう最高裁の判例や判決は存在しません。あるのは返還請求訴訟に対する東京地裁の判決であり、東京高裁の判決です。では最高裁の場合は何かというと、幸福の科学法務室「通知書」でこう教えてくださいました。

「訴訟(平成27年(ワ)第10009号 永代供養料等返還請求事件)の上告審決定(最高裁判所平成27721日第三小法廷決定)についてのべておられるようですが、これは『判決』ではなく『決定』であり、・・・最高裁判所が上告理由として幸福の科学側の上告受理申立てを受理しなかった決定」であると。

こう教えていただきました。法律上はこのご指摘が正しいとのことであり、ここに謹んで訂正させていただきます。なお、この「決定」は、審査した最高裁判所の裁判官が全員一致で「決定」しています。念のために付け加えておきます。

さて、そうしますと、幸福の科学法務室様は「一般に最高裁判例があれば、その判例に従わなければならない」ことは認めているようですが、本件の場合は
「最高裁の判例が存在しない」から東京地裁や東京高裁の判例があってもそれに拘束されない、従わないというのがこの「通知書」における幸福の科学側の対応のようです。
事実、この通知書には「同種と思われる事案について別の裁判が提起された場合、係属(筆者注:ある訴訟が裁判所で取扱い中であること)した裁判所の裁判官によって、異なった結論が示されることはしばしばある」、それは「法律の世界の『常識』である」と書かれております。なお常識とまでは言えないと思います。

しかし、東京地裁と東京高裁では返還請求訴訟で原告がおおむね勝訴(著者注:原告の主張で一部認められなかったものもあります)し、最終的に永代供養料では100%、納骨壇申込料では90%の返還を命じる判決が確定し、実際にその通り幸福の科学から原告各位に返還されました。そしてそれは最高裁が「幸福の科学側の上告受理申立て」を受理しないと、審査した裁判官全員の判断で「決定」したからです。これは紛れもない事実です。

もっとも、法律上はそれをもって「最高裁の判決」もしくは「最高裁の判例」が出たとは言えないとのことです。ですから、最高裁の決定には縛られず、よく似た事案でも裁判官ごとに個別の判断があるので、必ずしも同じ判決が出るとは限らないので、同種の返還請求訴訟がある場合でも、幸福の科学としてはまた裁判所で同じ様に争うと、こういう趣旨のようです。

原告側弁護士の松本憲男先生は、「私だったら上記の東京地裁と東京高裁の判決または最高裁の不受理決定まである以上、今後、同様に永代供養料や納骨壇申込料を返還せよと請求されたら、素直に返還に応じます。特に元信者さんからの請求なら、なおそのようにしますが、大川総裁はそのような考え方はしないのでしょうから、また裁判になるでしょう」ということを述べておられましたが、これで幸福の科学側の対応がよく理解できました。

次に、「(投稿)として掲載された文章」も「同種の重大な誤りを含んでいる」とご指摘をいただきました。それは次の部分です。

「永代供養や納骨壇入園費の返還請求は、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所における裁判を経て、すべて返還するようにと判決が出ています。」

しかし、幸福の科学法務室様は「通知書」ではていねいに、「地裁と高裁において、永代供養の奉納や納骨壇の奉納につき解除が認められて、『その一部の返還が認められた判決が出された』ものであり、すべて返還というものではありません。」と明言してくださいました。

まことにその通りですが、「一部の返還」という表現は読者に分かりにくいのではないかと思います。正確には永代供養は100%、納骨壇申込金は90%の返還が命じられていますしかもそこに遅延損害金までついています。確かに全部ではないので、これも「事実に反し」「重大な誤りを含んでいる」といえるのかもしれません。判決文により忠実に訂正したいと思います。同様に、「最高裁判所における判決」というのも誤りで、「通知書」にある通り、「これは『判決』ではなく『決定』」でしたので、謹んで修正をさせていただきます。またこの投稿の別の個所で「この法治国家で、最高裁で判決が出ている」というのも、同じ意味で誤解がありましたので、謹んで訂正させていただきます。

三番目にご指摘いただいたのは、「投稿」の文面にある「元夫人であるKさんは、自ら、被害者の立場で裁判を戦ったのでしょうが、そうした過程で得た慰謝料は」という記述についてです。これには「慰謝料を得たような事実などありません」というご指摘をいただきました。

ちなみに「広辞苑」によると「慰謝料」「示談金」「和解金」の違いをこう述べてあるようです。

慰謝料・・・生命・身体・自由・名誉・貞操などを侵害する不法行為によって生じた精神的苦痛に対する損害賠償
示談(金)・・・民事上の紛争を裁判に依らず、当事者間の合意で解決すること。民法上の和解契約のこと
和解(金)・・・法的な争いをしている当時者が互いに譲歩し合って、その間の争いを止めることを約する契約


元奥様が離婚裁判をされ、大川総裁からKさんに対し多額のお金が支払われたと聞いておりますが、慰謝料でないということは、「和解金」ということになるのでしょうか。支払った側に不法行為がなかったと言いたいのでしょうか。しかしこんなことをわざわざ言うこと自体むなしいと思いますが、いかがでしょうか。(次回に続く)

2015年10月30日金曜日

(投稿)利用される霊性⑥  脱会者からのメッセージ 



(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

7.霊性を広めるには、奇跡も必要

霊性を広めるには、救世主ならば、単に書籍や言葉だけで信じるか否かではなく、歴史に残っているように何らかの奇跡や霊現象、霊体験を実際に見せて、「認識できるか否か」をも問うべきだと思います。

例えば、救世主が現れて、貧しくて病院にもいけない人々を病気の苦しみから救ったとか、貧しくて飢えた国で天よりパンを降らしたとか、解明できない難事件を解決したとか、神の警告で天から火の塊を降らしたとか、瀬戸内海を真二つにしたとか、核兵器を消し去ったとか、UFOを呼んで宇宙人と対話するとか・・・。

それでも信じなければ、怖がらせて裁くのではなく、神の代理人として、自己責任を問えば良いと思います。

口だけでなく、効かない内部だけの祈願ではなく、そんなに偉い覚者ならば、何故、世に出て実践しないのかと一般の方々は疑問に思うでしょう。

書籍や言葉だけで、霊性を信じよと言われても、科学が進んだ現代は難しい面があると思います。

8.K会の悟りでは、真なる霊性が見えていない

K会の祈願は、全然とは言いませんが、ほとんど効かなかったですね。

自分なりの奇跡的な事は、少しはあったと思います。ですから、私はトータルでみて、K会を全否定しているわけではないのです(役にたったこともあった)。

洗脳を完全に解いてしまう為には、K会で得た知識等の正しいこと(他から引用されている箇所等)と間違ったことをしっかりと判別しないと、正しいものまで取り去ってしまいますから、私は、全否定はしないのです。

もちろん、全て捨てても良いと思います。

しかし、K会の教義の誤りや行いの誤りは、霊性からみれば、魂に影響を与え続けますから、生きている内に正さなければなりません。

ですから、多くの信者を洗脳して没落させて来たK会を肯定することは、絶対にできないのです。

「洗脳と没落の異常な苦しみ」は体験した者でなければ理解できません。

OR総裁は、「信仰心」をお金儲けの手段にしています。

自分に向けられている信仰心(偽八正道の正信)なので信者の心は、あらゆる手段として利用できるのです。

教祖が転落した以上、しかるべき責任を取って、K会を解散すべきで、これ以上、純真な信者を利用するべきではないのです。

布施の返還訴訟を裁判で争うくらいですから、そのような心は全くないということが判ります。

これが、K会の正体です。

これは、悪魔の心が実現された姿です。

K会を見れば、「悪魔との対話」をしなくても、悪魔の想いが伺えるのです。

職員方々は気がついていない方が多いでしょうが、洗脳を背負い没落した信者や脱会者は、まともな生活さえ出来ない状況(精神面と生活面)に、落とされるのです。

それが、如何に悲惨な現実かを知るべきです。

八正道の研修で他人に指導するくらいなら、組織や信者を客観視して、自分を客観視するべきです。

そこに何の反省も見出せないのならば、その方は、完全に洗脳状態にあるといえるでしょう。

実は、その方自身も危ないのです。

因果は必ず巡ってきます。やがて、自分の出番が豪華にやって来るのです。

全ての方では無いと思いますが、職員は教祖がおかしい時がついていてもそれに目をふさいで、生活のために未だに教団にしがみついて、信者を折伏してお金を搾取し続けているのでしょう。

ご自分が如何に恐ろしい事をしているのか、お解かりにならないのでしょうか。

御自身の恐ろしい所業に気がつかない職員の方や、良心が痛んでも辛抱してしがみついている方は、霊性を真には信じていないし、霊性に本当の価値を見出していないのです。

霊性という言葉が分かりにくければ、仏性といいましょう。

仏性に目覚めないで現実世界の事だけを追いかけているのです。

これが「悪魔の所業」だとは思えませんか?    

9.真なる霊性は、愛の無い悟りでは得られない

自己保身欲の為に、他人の悲痛な犠牲を容認し肯定する者は、既に悪い波動が入り込んで、悪い波動の道具に成り果てていると思った方が良いと思います。

実際に悪い波動の影響を強く受けているのです。

たとえ、霊道を開いて、悟りを開いたように認識していたとしても、人の苦しみや悲しみがみえない人は、慈悲の眼差しは開いていません。

信者や脱会者が、洗脳の影響から抜け出せずに苦しみ抜いている現状が、心の目、愛の目で観えなければ、その霊道の開き方や霊能は悪い波動の影響を受けて、起こっている可能性が高いと思えます。

霊道重視の悟りを求めても、霊道と悟りは違うのです。

K会風に言えば、霊道は心の我欲を意識しないようになれば、開いてきます。

我欲を意識しない為の反省の法になっています。

つまり、結果重視の悟りの法になっているのです。

悟りの法にまでOR総裁の傾向が現れています。

如何に霊道を開いても、その時に愛で満たされた喜びがなければ、それは単に霊道を開いただけであって、悟りではありません。

愛なき悟りといえましょう。それでは、魔に勝てないのです。

真なる悟りならば、愛心で満たされますから、そういう信者の悲惨な光景を見て、黙ってはいられないし、教団にしがみつくことはないはずです。

一言で言えば、K会教義の悟りは、不十分なのです。

いくら愛を意識しても結果は、「霊道現象優先の悟り」になってしまうのです。

だから、愛の心が湧いてこないはずです。

いくら愛を思う努力をしても自然体ではなく、懇々と湧いてこないはずです。

霊能力があると見せている教祖の、数々の愛のない行為を見れば、それははっきりしています。

幸福は、真なる信仰の中にあり、その幸福の源泉は、今とは全く違う場所を眺めた時に、発見すると思います。

つまり生き神や組織ではないところにあるのです。

「自分の霊性」の中にこそ、本当の真実が在る。

そう気がついた時に、幸福の源泉に触れます。

そこには、真なる救いがあるのです。

神の真なる救いを信じるべきです。

同じように霊性を眺めても、眺め方、眺める心が全く変わるのです。

恐怖心や不安に悩まされる心が開放されて行き、真の霊性が迷える自分を導いて下さるのです。

大悟していない法には限界があります。

偽の悟りは、三次元的な成果を信仰の勝利として計り、会員数や布施の額、立派な建屋や本尊、高価な偶像を求めるが、それらは、神への信仰には全く無用なもの、ガラクタなのです。

K会で一番大切なことは、教団運営ではなく、一人一人が真なる霊性に気がついて、愛の心に目覚めていく事ではないでしょうか。

何故なら、「この肉体(やK会)は有限である」が、霊性は永遠に続いていくものだからです。

これはOR総裁の初期の教えです。

その為には、愛の無い悟りや愛の無い行いは、全て、勇気を持って疑い、追及し、捨て去らなければならないのです。



2015年10月29日木曜日

(投稿)利用される霊性⑤  脱会者からのメッセージ 



(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

5.「自己陶酔」からくる誤った自己信頼は「高慢心」である

K会の信者は、「自分は長い転生の過程で仏の指導を受けてきたから、この法が理解できる優秀な者であり、法を広めて救済する側に立つ者である。今世も仏と共に転生してきたのは、仏のお役に立つ為に(仏に)選ばれたからである。仏と約束した通り集ってきた者である。」という選民思想があります。

これが謙虚さを無くさせ、代わりに「高慢」が心を支配するようになっていきます。

しかし、これは単なる自己陶酔です。

自己陶酔の結果、「信じることができない方々は、救われる立場の人々」と見下すようになっていきます。

6.「悪魔視」、「敵視」、「裁き心」

会員になると、教祖の説く法が理解できない人々、即ち会員にならない方々は、「あの世に返ったら相当な後悔が待っている人々」と哀れむ心から、一般の人を裁くようになっていきます。

裁き心」が出てくるのです。

ましてや、教祖や教祖の説く法、教団を誹謗中傷する人々は、「悪魔に魅入られた方々」とみなします。

これが「悪魔視」です。

そして、「これは仏敵である」と「敵視」するのです。

K会の教えでは、仏敵は「大阿鼻叫喚地獄で、お尻から胴体を通って口へと串刺しにされて生皮を剥がされる。ドロドロしたマグマのような物を口から流されお尻から出て行き、業火にやかれ、最低そこで1千年苦しむ人々」であると教えます。

これは教祖の裁き心が最大化した表現であり、同時に信者の恐怖心も最大化し、金縛りにかかります。

だから、「人々を必死で救わないといけない」と言いながら、かたや信者は「良かった、助かった。私たちは天国保障保険付きだ」と「安心感」に漬かります。

一方で支部は伝道数値や集金が足らないと数字の計算ばかりして、信者には「もっと仏のお役に立ちましょうね!」(本音は「もっと稼いで来い!」)と、「成果主義」で駆り立てます。

成果をあげないものは裁かれ、一般の信者・会員は永遠に使役されていきます。

そういう教団なのです。

洗脳から離れた今に思えば、何ともこっけいな光景に見えます。(X)

(続く)



2015年10月28日水曜日

(投稿)利用される霊性④  脱会者からのメッセージ 



(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

4.「恐怖心」と「安心感」が洗脳の両輪

恐怖心を持つ人は、正しい者を迫害し、信じる者を「恐怖心」で人や組織に「縛りつけ」ます。

この根底には、自己保身欲があります。

悪い波動は恐怖心を増幅するように、自己保身欲に訴えて囁(ささや)くのです。

これとは対照的に、恐怖心を根底とした心理の中に、例えば、「会員は天国が保障される」という「保障」を植え込む事によって、「安心感」が生まれます。

この「安心感」で自己保身欲は満たされます。

恐怖心」と「安心感」の両輪で、組織や人への「縛り」と「服従」が完成し、「悪い波動に支配された洗脳集団」が完成します。

つまり、K会組織の根底に在るものを一言でいえば、結局は、釈尊が滅却されようとした「自我我欲」であり、「愛」や「慈悲」ではないのです。

愛と慈悲が無い世界、それは異次元空間に隔離された世界、地獄界です。恐怖と裁きの世界です。破壊と闘争、情欲が渦巻く世界です。それが、K会の本質です。

これは、教祖が必死で考えた、自己実現の為の策であり、洗脳プロ集団の技だと思います。

そうして一旦洗脳されれば、次々と洗脳が進んでしまいます。

ついには人間である教祖を宇宙創造の根本仏、造物主として信仰するようになります。

この洗脳技術は、「悪魔のごとき智慧」といえます。

つまり、教祖の自己実現は、「この世に地獄界を創り出す事であった」という事になります。結果は、その通りになっています。

何故なら、信者が受けてきたのは、恐怖と裁きと破滅の指導であったからです。

今や魔が自由に徘徊するK会内は、異次元空間化しているといえます。

地獄界解消の使命を説くものが地獄界を創り出して、一体何の為に生まれてきたのでしょうか。

「仏陀に仇をしたならば、その者は生まれて来なかった方が良かった。」とは、一体誰のことでしょう。(続く)
(X)





2015年10月27日火曜日

(投稿)利用される霊性③  脱会者からのメッセージ 



(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

3.求むべきは、「洗脳」ではなく「霊性」であったはず

求むべきは、「洗脳」よりも「霊性」の認識こそが必要で、K会は、そもそも「霊性の復活」を使命としていたのではなかったのでしょうか。

しかし、今や変質し、本当の「霊性」は消え、悪い波動に利用されているのです。悪い波動に入られると、霊性を信じていても、歪められた想いで信じるようになっていきます。

それは、必ず「神への裁き」を伴うと思います。

神への裁きは「神への反逆」を生みます。

神々を自分の下に位置づけ、自分が神に成り変わって、天地を支配するかのように思いあがっていきます。まさにこれは「悪魔への道」です

神宣言は、「仏陀でない証明」

こういう心が心の底に潜伏していたということは、過去世において信仰の傷があり、神への悪い因縁(カルマですが)を元々持っていたからだと思われます。

OR総裁は、悲惨な現状が起ったとしても、それでも仏を信じるか、という事をよく言っていたと思います。

非常に悲惨な事が起った時は、神に不信感を抱いて、「何故、神は私を救って下さらないのか、悪い者たちは、のうのうと生きているではないか」というように、神を裁くかどうかという紙一重のところに置かれます。

これは、人はみな神の子であるという事を真に信じているか否か、自己の魂の向上の為に与えて下さっている環境であり、過去のカルマをクリアする為に起っている現状である等々、という霊性との戦いなのです。

OR総裁は、初期にこういう事を説いていましたが、どうやらOR総裁自らがクリアできず、神に不信を抱き、神を裁いたように思えます。偉大な神を敬う心があるのなら、自分を神の上にはおかないでしょうから。

私自身も、こういう試練にさらされてきましたから、そういった試練という落とし穴が解かります。

落とし穴に陥れば苦しすぎて、心の根底として、霊性を「愛する心」と「信じる心」が消えています。自己保身欲と不信感で一杯です。自己保身の塊になって、カチカチになって、必死で神への救いを求めるが、沈黙される神を裁いたりもします。

しかし、それは神への信仰心がある証拠でもあるのです。

お金や地位が有るが故に、不幸な時があります。それ故に、三次元的に誤った方向へ実現させていき、取り返しのつかない所まで進行させていきます。

神々を裁き、神々を自分の下に位置づけたOR総裁の心の中には、元々は神への信仰心があると思います。

しかし神々を裁き自分の下に位置付けるのは、これは、ORが根本神ではない証拠です。

つまり、今思えば、ORが神宣言した時点で、「仏陀でない証明」だったのです。(X)
(続く)


2015年10月26日月曜日

(投稿)利用される霊性②  幸福の科学脱会者からのメッセージ 



(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

.洗脳の道具

霊性を解かりやすく行為で示しえないという事は、宗教家としての悟りの力が足らないからです。それは教祖自信が自覚しているはずです。

そうなると、悟りの不足を何かで埋めなければ、「仏陀」を演じきれなくなりますから、「自我我欲」を利用した「恐怖心」による「洗脳」が必要になるのです。

信者が教祖を信じて集って来ている内に、更に、信じ込ませなければ、大悟していない化けの皮が剥がれて行きます。

何故なら、自分が「仏陀の悟り」を得ていないということを一番知っているのは、本人だからです。

教祖は神宣言までしていますから、人間心でみれば、その嘘を見抜かれる恐怖心、その結果自分が貶められる恐怖心、ひいては教団が破綻する恐怖心、などが湧き上がってくると思います。不安や恐怖心で一杯だと思います。

ですから、その仮面を見抜いてしまう方に対しては、恐怖心が起き、攻撃する対象になるでしょう。そういう方は、自分の邪魔になってくるのです。内心には、恐怖心と嫉妬心からくる裁き心があり、その結果、「迫害」のために権力を行使するのです。

よく似た事例は、現実の社会で私も体験しました。これは実際にあった話です。

「従業員の育成を願っている態度」を内外部にアピールしている経営者がいました。彼は周囲から良い経営者だと観られていました。

しかし、その実情はまったく違いました。

社内には経営者を超えようとするまでに幹部社員が成長して、ずば抜けた認識で判断を下すようになっていきました。

ところが経営者は優秀な幹部に恐怖や嫉妬をして、認めたくない、自分がいつまでも上でいなければ気がすまないという心を持ちました。

その結果、優秀な幹部を会社内で悪者にして、更に対外的にも悪者にして「迫害(退職に追い込む)」しました。

K会の教祖のしていることは、この姿によく似ているように見えます。

これは、いうなれば「悪魔の誘導」です。こういう方は、他人の人生を道具扱いしても平気な方で、常に「悪い波動」の影響を受けています。

また、こういう悪事に加担して、その優秀な幹部を悪い人格だと多くの方々を「洗脳」し、信じ込ませて迫害し、その結果、内部で美味しい汁をすすった周囲の幹部らも、おなじ「悪い波動」に憑依された状態といえるでしょう。

こういう方々は、余程の反省をしない限り死後も、悪い波動の世界に引きずり込まれます。

その一部始終の様子は全て神仏や自分に縁がある霊的な存在が見ておられます。
何よりも本人の心の中に記録されています。これは逃れられないのです。もし反省して罪が許されても、行なった行為は記録として心に残ります。

こういう悪事を行なえるのは、「人の本質は魂で、死後も生命は生き続ける」という霊性での認識ではなく、「人は、死ねば全て終る」という唯物的な認識を、本当は根底に持っているからだと思います。そういう方は、心から神や死後の世界を信じているとは思えません。


それでも、自分は霊もあの世も信じているという方はいるでしょうが、その信仰は穢れに染まっていると思います。(続く)
(X)

2015年10月24日土曜日

(投稿)利用される霊性①  幸福の科学脱会者からのメッセージ 



(紹介)

洗脳型の宗教を退会した人のなかには、その宗教を批判するあまり、霊性自体を否定されているかに見える方もいらっしゃいます。これはその方の体験にもよることと思いますが、私は霊性は否定できないと思います。霊的なものは自分の心の奥深くにあるものであり、それへの希求は魂のもつ本来的な願いであり、一種の本能でもあると思います。
今回の投稿は、そうした霊性に問題に正面から向き合おうとした内容ですが、「悪い波動」が教団全体を侵食していることを、感じ取った内容にもなっています。誠に残念ではありますが、私もそういう面が強いことをリアルに感じることが多いので、数度に分けて紹介させていただきます。

(投稿)K会における霊性の欠落は、教祖の悟りの限界

.霊性(スピリチュアリティ)は、認識の是非で問うべき

「人間は霊である」という事を、K会教祖が説いています。

「人間は霊であるということを信じている」という方、いわゆる霊性を信じる方は、K会信者(元信者)には多いと思います。

一人一人、信じるには信じるだけの根拠があると思います。言葉や活字で教えられただけで、信じることは難しいと思います。「何故、自分は霊性を信じているのか?」という根拠を考えれば、霊、あるいは霊性を信じた根拠が、ORの法にあったか否かが解かってきます。

私の場合は、霊的体験をK会入会以前に経験していましたから、特に教祖に教えられなくても、霊性は幼少の頃より信じていました。

「多くの人たちのお陰で今がある」という事実に気がつけば、誰でも感謝の想いが湧いてきます。

K会信者には、OR総裁を神格化しているが故、「何でもOR総裁のお陰だ」という心が潜伏しています。

身近には、親のお陰で今があるでしょう。おばあちゃんのお陰で今の自分があるでしょう。そう思って日々生きていたなら、肉親の殺害事件という悲惨な事件など起こり得ないのです。こういう感謝の想い一つでも、「正しき心の探求」ではないのでしょうか。


唯物主義は、自分を守る為に責任転換する

更にOR総裁は、「自分は、至高神である。霊性を世に広めることは、仏弟子の使命である。」と宣言しました。さらに「法を説くは師にあり、法を広めるは弟子にあり」という御都合を弟子に押し付けて、苦しい難行は弟子の責務としました。それ故にOR総裁は、成果において弟子の責任を問うのです。

真の聖者ならば、自らが、「霊性とは何か」を言葉、文字だけではなく、「認識できる行為」として、組織内だけでなく、広く世界の人々に示すべきだと私は思います。この辺りは、非常にずるさを感じます。

会社の管理者で、こういう方がたまにいます。成功したのは自分の指導のお陰、失敗したなら実行した現場の責任で、自分の立場を良くし、守る為に、嘘をついて責任転嫁する人です。

こういう組織は往々にして、恐怖統治されています。何故なら、現場は失敗すれば、後に酷い裁き、お仕置きが待っているからです。

高い給料は、管理者が取り、安い給料で痛い目にあうかもしれないとビクビクしているのは、現場の人間。現場が耐えきれず、意見を言えば、何時間も罵倒し吊し上げられて、恐怖心を植え付け、自分に逆らえないように楔を打ち付けます。

こういう管理者が上に立っているにも関わらず、その上に立っている方々が事なかれ主義の組織は、悪い波動が支配するようになって、組織全体がその波動に覆われていきます。そして、個々人にも「悪い波動」が憑依していきます。

それでも我欲や恐怖に捉われず、屈せず、正しい事をいう方は、寄ってたかって「いじめの標的(対人的に敵視され、イジメ抜いて退職まで追い込む)」にされていきます。

こういう人道に反する行為をしている方には「悪い波動」が入り込んでいます。K会にそっくりな企業がたまにあります。しかし、「悪い波動」に入り込まれ、他人の人生を破壊した方の末路は哀れです。

自分を救世主と名乗る宗教家が、霊言集という書籍だけを提示して、霊性を個人の「信じるか否か」という主観に任せるのは、根本的に力不足だと思います。それならば、テレビ番組で、心霊写真等を公開し、「霊は存在するのか、霊は存在しないのか」という提示とあまり変わりません。

そういう薄ぺっらな救世活動だから、他人に献本等をして、書かれている法を理解するか否か、霊性を信じるか否かで、上目線で、「上根、中根、下根」に勝手に人を選別して裁くのです。

この裁きは、霊性を示し得ない宗教家の言い訳にすぎません。著者ではなく、読者である献本対象者に責任を転換しているのです。

つまるところ話は逆で、OR総裁の悟りの力不足を世に公言しているにすぎません。

霊性を解かりやすく行為で示しえないという事は、宗教家としての悟りの力が足らないからです。それは教祖自信が自覚しているはずです。

<注;ここでいう「霊性」は、人間は肉体の中に神より頂いた生命の源である魂が宿っていて、魂の向上の為にあの世とこの世を転生しているという意味で使っています。又、神や高級霊、内なる神の心(仏性)を霊性と言っています。霊性を追い求めれば、計り知れないくらい深く広大だと思います。>(X)
(続く)

2015年10月23日金曜日

(投稿)洗脳し縛るもの・・・幸福の科学の洗脳を考える②



(投稿)・・・ (前回からの続き)

4.「恐怖心」によるマインドコントロール

すでに多くの方が指摘しているように、「仏説・降魔経」はOR総裁と対立する者は「阿鼻叫喚地獄」に落ちる、と恐れを抱かせる洗脳道具で、KK教団には他にも、霊言を利用して恐怖心を与える心理的誘導もありました。

重要なことは、信者は通常は恐怖心を自覚していませんが、潜在意識下では常に恐怖に支配されている、ということです。

自動車が往来する車道のすぐ脇を歩いているとき、私達は自動車に対して何の恐怖心も抱きませんが、絶対に車道側には行きません。

同様に、信者は阿鼻叫喚地獄への恐怖心を自覚していなくても、OR教団には逆らえないように条件付けられてしまっているのです。

5.「功徳」への執着

私は、入信した頃は布施する額も多くはなかったのですが、徐々に多額の布施をするように誘導されていきました。

信者が布施をする度に皆で拍手を送り、「植福功徳経」という経を詠みます。高額の布施をした信者には、パーティーを開いて皆で祝福します。いつかは自分も」と思わせる演出でした。

中には大切な住宅資金や教育費を、更には借金をしてまで布施する人達もいました。

そんな中で、OR総裁が自らを「成功者」と称したり、数千万円もする高級腕時計をいくつも持っていることには、さすがに違和感を覚えたものでした。

信者が捧げるのはお金だけではなく、時間があるときには支部に行って様々な活動をしたり、機関誌を近所の郵便受けに入れたり、他の信者と地域を回って書籍を献本したりしました。

親類縁者に熱心に入信を勧めて関係が悪くなったり、仕事を失う人もいたようです。

それでも「OR総裁、KK教団の為に払った犠牲は、功徳となって来世報われるのだ」と信じて、誰もが意にも介しませんでした。

OR
総裁は「功徳については来世のお楽しみにしていてください」と発言していますので、当然信者は楽しみにします。

そして、犠牲にしたものが大きければ大きいほど、功徳への信者の期待、執着も大きくなり、自分が騙されていて、それらの行為に何の価値もないことを認めるのが困難になるのです。

本来、悟りには過去も未来もなく、即時に生きる境地ですから、覚者は「未来での報い」を期待させるようなことは口にしないはずなのです。それは不確実であり、執着を生む原因にもなるからです。

私もこれらの事はわかっていたはずなのですが、「総裁のすることに間違いなどあるはずがない」と思い込んでいた為に、見抜くことが出来なかったのです。

6.それを「篤き信仰心」と呼ぶ欺瞞

「恐怖心による恭順」、「功徳への執着」であるにも関わらず、教団側がそれを「篤き信仰心」という美辞麗句で粉飾して、更に洗脳を強化させているのです。

私も信者を辞めるまで、「何故自分はこんなにも信仰心が足りないのだろう」と、いつも自分を責める気持ちをもっていましたが、そういう思いを「無自覚の恐怖心」や「功徳への執着」が補強していたことには、気付きませんでした。

7.総括

KK教団の洗脳はこのように多岐に渡り、重層構造にもなっていて、中々自分一人で解除することは難しいのです。

現役信者の方達には是非、多くの退会者の経験談を、白紙の心でお読みになって欲しいと思います。また、退会した方々も、自分の心にこの洗脳の縛りが残っていないか、振り返ってみてほしいと思います。

最善の解決方法は、OR総裁が自ら真実を認めて、騙した人々に謝罪することです。
OR
総裁の性格から考えて、可能性が低いとは思いますが、私はいつまででも、その日が来るのを待ちたいと思います。(S

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