2015年8月25日火曜日

(投稿)信仰心と洗脳


 (紹介)
K会(KK教団)の活動に駆り立てられて、不安と恐怖心による伝道から鬱になり、数年前にやっと退会した方が、ご自身の洗脳体験を投稿してくださいました。K会が持つ闇の側面を深く描きだしてくれていると思います。ただ、投稿者の心に封印されてきた苦悩や当時のKKの波動が文章に乗ってきますので、注意してお読みください。

(投稿)
K会との出会いの頃
私がK会に出会ったのは、高校の時だった。
初め、何冊か本を読んだ後に入会申し込みをしたが、6ヶ月待機ということで、すぐには会員になれなかったので、とりあえず誌友会員となった。そのまま2年以上が過ぎたが、読んだ書籍は百冊近くになっていた。
大学の2年の頃、地元にあったK会のA支部に行った。そこでA支部の幹部の方に、K会と出会ってからの経緯を話すと、「何でまだ誌友会員なの? 今は昔ほど会員になる条件が厳しくないから、直ぐに会員になりなさい」と言われて、その場で会員になった。
K会の書籍の内容はとても衝撃的で新鮮だった。書籍を読む度に、新たな価値観を手に入れることができた。本も間髪入れず次々に出版されたので、K会に出会えたことをとても嬉しく感じていた。他の人は持っていない価値観を身につけている、他の人たちより高度な意識を身につけているという、何とも言えない優越感と満足感、そしてこうした機会を与えてくれたK会とOR氏は間違いなく本物で、OR氏は本物の救世主であるに違いない。この方について行けば、間違いなく自分は幸福になれる、そう確信した。救世主であるのだから、この方の発する言葉は100%真実であり、この方の創られたK会のしていることは100%正しい、そう信じた
入会した当時は、書籍を通じた勉学が中心でとても充実していた。このような素晴らしい本を他の人に伝えないのはもったいないと、親しい知人には伝えていたが、伝道という認識にまでには至っていなかった。書籍の中にも、ある時期から伝道という文字がチラチラとで始めていたが、本を読んで満足する程度だったので、あまり意識をしてはいなかった。
両国国技館で講演会が行われるという情報を入手し、そのとき初めて講演会に参加した。それまでOR氏の姿や声を見たり聞いたりすることがなかった。ずいぶん太った人だな。変な声を出す人だな。というのが第一印象だった。話の内容も、あまり印象には残らなかった。講演での最後の方で、伝道することをかなり力説していたが、心にはあまりひびかず、それを聞いて伝道しようとは思わなかった。いい話が聞けたかな、という程度だった。

一斉伝道指令の下で
そのあと、サンライズ90という一斉伝道指令が始まった。伝道しなければと感じたのも、OR氏の話を聞いてではなく、周りの会員の話や、頻繁に行われ出した集いなどであった。個人的には、伝道などしたくなかった。しかし、「世界の主力な宗教は伝道を通じて発展してきた。K会も救世主が創られたもので、これから世界宗教になることが約束されている。私たちは、この教えを広めるために、主と天上界で約束して今集っているのだ。いま、主との約束を果たす時。」そういうことを、講演会や集いで繰り返し、心の中に刷り込まれた。OR氏やK会は本物だと信じ切っていたので、「本当にそうなんだ」と信じていった。OR氏の話す内容やK会の活動に対して疑問を感じることもあったが、自分の悟りが低いからだと、自身に言い聞かせ、なかば無批判にK会の考え方に自身をあわせていった
大学も3年の終盤にさしかかり、卒論が始まる時期でもあった。その頃、東京で学生の集いが研修施設で開催された。私も何か楽しい話が聞けるだろうという軽い気持ちで参加した。集まった学生たちも和気あいあいとしていた。
しかし、始まるや否や空気は一変した。指導したのは、全国青年部長になったばかりの、B氏ともう一人のC氏であった。B氏は坂本龍馬の生まれ変わり、C氏は勝海舟の生まれ変わりということで、これから学生部を率いて盛り立てていくというのが主旨であった。学生たちは、B氏の迫力に圧倒されていた。B氏は、「自分たちこそが幕末維新の獅子となって、この日本を変えて行く。この中には、当時の維新の時の士達であったものが生まれ変わっているものもいる。そして、今、救世主が1億何千万年ぶりに生まれ変わっていることの意味を真剣に考えよ。命を賭しても、この運動に参加しなければならない。」と訴えた。参加した学生たちのあちこちからすすり泣く声が聞こえてきた。集いが終わるころ、参加した学生たちの決意表明が始まった。学生たちは次々に挙手をし、立ち上がり、あるものは涙ながらに自らの決意を訴えた。集いが終わったあとも、「決死隊」をつくるということで、やる気のある学生たちを集めていた。学生たちの雰囲気は、集いが始まる前と終わったあとでは、まるで違っていた。学生たちの目の色がまるで違っていたのがわかった。

焦りと恐怖心の伝道
自分はというと、ややドン引きした状態であった。確かに言っていることはわかるが、それほど熱くはなれなかった。むしろ、なぜ彼らのようになれないのかということを自責した。ここで奮起して熱くなるほど、魂として高い資質があるのではないかと感じた。さほど真剣になれない自分は、彼らより霊的に劣った存在ではないかと感じた。だから、彼らのような心境に近づいて行くことが、自分にとって良い方向なのだと考えた
期を同じくして、地元の地区の青年部長を任された。学生であったからある程度の自由な時間あったということと、適当な人がいなかったからということでなった。そのうち、100万人という異常ともいえる必達目標を言い渡された。青年部も目標必達数字を割り当てられた。その数字を言い渡された時、到底不可能な数字だと感じた。気違いじみていると思った。たぶん周りの会員も同じであったに違いなかった。しかしその言葉は禁句であった。
そしていつのまにか、この活動に参加し、目標を達成することが天使の条件になっていった。多く伝道できたものが魂的にも優れていると、目標を達成するだけの能力を持ったものが、指導者として霊的にも優れた者だという価値観が支配するようになった。
自分はというと、ほとんど実績をあげることができなかった。他の地区の青年部が着実に実績をあげていることに、非常な焦りと強い劣等感を抱くようになっていった。次第に卒論も手に付かなくなって行った。会員の中には、仕事をやめて職員となって活動に埋没する人や、学校を停学もしくは退学して活動に没頭する人も出てきた。むしろ、そうすることが尊いことなのだという雰囲気があった。
また、当然のことながら、この会の流れに疑問をもち、離れて行く人たちもいた。K会では、「このように光が広がる時は、闇の勢力も必死になって妨害してくる。この活動は、闇の勢力との戦いでもあるのだ。今の時期に、この活動に疑問を持ち離れて行くものは、せっかく掴んだ仏の袈裟衣を自ら手放して、闇の勢力に呑み込まれることに他ならない。決してこの手を話してはならない。」つまり、何の疑問も挟まず、救世活動を続けなければならない、といわれていた。
また、ある集いの中で、ある中心幹部が、この活動に参加しない人や、力がなく目標を達成できない人が行くところは、実は無限地獄です、と言うことを聞いた。その時は、恐怖で愕然とした。それなら何としても目標を達成しなければならない。しかし、どう考えても、自分の力では無理だということがわかっていた。でも達成できなければ地獄に落ちる、という恐怖に支配されていた。ただその時は、そうは意識せず、信仰心の弱さと力不足ひたすら自責し、焦り続けてる自分がいるだけだった。

新規入会者の実態
新たに会員となった人のフォローも同時に行った。100万人を達成するために、新たに会員となった人が、さらに別の人たちを伝道して行くという、なかばネズミ算式の会員増加が必要だった。母数を増やさないと、到底目標達成などできはしない。そのためには、伝道された人を支部の集いに誘い、理念を落とし込ませて(信仰心を持たせて)、新たに伝道者として育て上げるということが必要であった。
自分は思想に感銘を受けて入会したので、新たに会員になった人たちも当然この本の内容に感銘を受けて会員になったものと思っていた。伝道とは感動を伝えていくことだと信じていた。このような素晴らしいものであれば、必ず人々に伝わって行く。あとは伝わるスピードだけで、それは伝道活動の熱心さと真剣さに比例して行く、そう信じていた。
しかしそれが妄想であったことを悟ることになった。ある集いの中で、新たに会員となった人達に連絡をとって集いに誘うということで、新規入会者の名簿が渡された。電話を続けているうちに、愕然となった。会員になった人のほとんどが、仕事での付き合いだとか、保険の付き合いだとか、親類などのつきあいでなど、仕方なく入った方ばかりであった。掛ける人かける人が、内容もよくわからず、仕方なく付き合いで入ったという人たちであった。一体自分のしていることはなんであろうか。これで会員を集めて何の意味があるのだろうか。数さえ集めればいいのか。という疑問がわいてきた。しかし、そういう内なる叫びを押し殺すようにして、伝道活動を続けて行った。

不安と恐怖心から鬱へ
私自身も、度重なる集いや伝道の伝達や活動で、しだいに鬱状態になっていった。大学内や家の近くでも伝道活動を行ったりしたが、それがうまく行くことはなく、ほとんどが自分を苦しめる結果となった。
そのうち、肩の部分に重さを感じ、悪霊が取り付いているのではないかという異常な不安と恐怖心を感じるようになった。伝道活動をすると、体に光が入って身体が軽くなったような気持ちになり、一瞬は気が楽になるが、直ぐに元に戻った。もはや、救世活動という気持ちではなく、不安と恐怖に動かされているという感じだったが、当時はそれを信仰心と思っていた。体重も減っていき、ご飯も喉を通らず、食べても戻してしまうこともあった。頬もこけ、異常な状態に見えたようだ。
同じ地区に、一緒に活動していた女性会員にいろいろと相談をすることもあった。その女性に、今の大学を辞めて活動に専念したいと話したところ、その女性は怒って、その当時の支部青年部長に、「彼にとって大切なのは学業で、活動ではない」と強く抗議をしたこともあった。そうしたこともあって、私自身の状態と処遇については支部の中でも問題になっていたようであった。
そうした中、ある時、A支部で、集いにK会の中心幹部であるD氏がくることになった。私もその集いに参加したのだが、集いが終わったあと、D氏に何とかしてくれと誰かがお願いしたらしく、私の腕を引っ張って、無理やりD氏の前に連れていかれそうになった。ものすごくイヤだったので、必死に抵抗したが、結局、皆がいる前でD氏の前に正座させられた。
D氏は、私をみるや否や、とてもイヤな表情と仕草をしたが、何とかおねがいしますという周りの会員が強くお願いしたため、仕方なく対応し始めた。
私は、おもむろに、「信仰とは何ですか?」という問いを投げかけた。信仰というものがなんであるかわからなくなっていた。
D氏は、こう続けた。
「あなたには兄弟がいるのか。彼はあなたが狂ってしまったと感じている。あなたの両親もあなたのことをとても心配しているのが見える。あなたの今の状態は、不安に怯えていて、体の周りがとても真っ黒になっている。あなたの本来しなければならないことは、この教えを実践して、この教えを実践するとこんなに幸福になるのかということを、法を実践することによって示して行くことなんだ。実践を通して、方の素晴らしさを伝えて行くことだ。いまのままだと、あなたは潰れてしまう。今の活動を続けてはならない。今の役職や活動はやめなさい。そして、本来のあなたのやるべきことをやりなさい。」
こうして、これを期に一旦活動から身を引いた。
解放感で精神的にかなり楽になった。体重も徐々に戻りつつあり、体調も回復してきたが、心には、挫折感という深い傷が残った。
D氏の言ったことは自分にとってはかなりの説得力があるものだった。しかしながら私の状態は、当時OR氏が言っていたK会の教えを実践した結果であり、その当時の教えの実践は、「伝道、伝道、また伝道」であった。「伝道即学習、学習即伝道」であり、結果的には教えを実践した結果、苦しみが生まれた。D氏は書籍に説かれていることを実践せよという意味で言ったと思うが、今までOR氏が説いていた内容がすべて「伝道」という2文字に結び付けられていったから、結局は「伝道活動」が「法の実践」ということになってしまう。要は、伝道伝道と大合唱する前の、学習を主体とした状態に戻れということであろうと理解し、伝道活動から一時期離れていた。
その後、活動に参加したりしなかったりを繰り返すうち、徐々に膨らんでいった疑問が決定的となり、数年前に退会届を提出した。大切にしていた経文や本尊も迷うことなくゴミ箱に捨てた。捨てたことに何のためらいもなかった。所詮この程度の価値しかなかった、いやこんなものに価値などなかったのだ。

信仰心とは何なのか
今にして考えてみれば、K会から教えられた信仰心というものは、本当の意味で「信仰心」であったといえるのであろうか。K会において獲得した「信仰心」たるものは、自らのうちから湧き上ったものではない。ORによって、またK会によって押し付けれられた形で「植え付けられた」ものであったことが、今だからこそ認識できる。
この「信仰心」のおかげで、多くの友を失った。多くの人の信用を失った。多くのお金を失った。しかし「信仰心」は多くの犠牲を伴うといわれていた。その代り得るものは大きいと。しかし得られたものは何ひとつなかった。唯一得られたものは、心に刺さった深い傷と、苦しみだけだった・・・。
伝道活動をさなかにも、自分の心の中には、数々の葛藤があった。教えの内容や伝道に対する数々の矛盾を感じることもあった。しかしこれを信仰心に背くものとして、必死に押し殺してきた。真理を疑うことは正しい信仰に反すること、と教えられてきたからだ。教義を疑うこと、真理を疑うこと、「神」が創った団体を疑うことは、正しい信仰に反することであるからだ。それは「真理」が悪いからではなく、自分自身が悪いからだ、と。この「真理」を受け入れないのは、この「真理」が悪いわけではない。「真理」こそ絶対だ。悪いのは、「真理」を受け入れない側にあるのだ、と。その結果、さまざまな苦しみを受け、反作用を引き起こし、心の傷だけが残った。
当時、伝道活動の成果が上がらなかったのも、自分の力がなかったのではなく、心の中にブレーキがあったからだ。ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいたようなものだ。これが本当に人々を幸福にする活動と心底思っていなかった。ただ恐怖心が活動の原動力となっていて、それを「信仰心」だと勘違いしていた。いや、それも恐怖心ゆえに自ら認めることができなかっただけだ。認めると、自分のしていることが全く無駄になってしまう。それを認めることも怖かった。そうした己心の魔もあった。
当時を思えば、自らの心に素直になり、自らの心の叫びに耳を傾けるべきだったと思う。心はこう叫んでいた。「これはおかしい。不安と恐怖を抱かせるのは信仰などではない。こんな苦しい思いをするのは間違っている。」と。
K会でいう「信仰心」とは、要するに、「信仰心」を巧みに利用した「洗脳」に過ぎなかったということだ。洗脳というものは、実際に自分が洗脳されているということは、なかなか気づくのが難しい。いや、K会から離れて数年が経つが、K会のいう「信仰心」が実は「洗脳」のツールの1つであったということが実感できたのは最近のことだ。それまでK会の「洗脳」から完全に抜けきれなかったということになる。それだけK会の「洗脳」は強力だったということであろう。
「信仰心」が傷つくことは、魂の奥深くまでダメージを受けることになる。実はまだ、「信仰」対する恐怖心、自分に対する自信の欠如や不信感というものが拭いきれず、未だに自身の「魂」は苦しみ続けている。この傷を癒すには、K会から植え付けられた、誤った「信仰心」に対する価値観を払拭しなければならない。

昔の自分に言いたいこと
当時の自分が目の前にいるならば、次のような言葉を伝えたい。

あなたが教えられた信仰心は、真の信仰心ではない。
信仰心の名を借りた強迫観念にしかすぎない
あなたの心は、不安と恐怖で満ちていたであろう。
ORは、信者に信仰心を強要した。自分自身を信仰するようにと。
信仰心とは、強制されて持つものではない。
また、あなたは、活動に参加させるために、相手に理念を落として、信仰心を持たせ、または高めさせようとした。そうすることが伝道活動の一環としてあったからだ。それは、本当に信仰心であったのか。
K会で言われてきた信仰心とは、本当に信仰心であったのであろうか。
信仰心とは、確信に満ちたもの。自らの内から湧き出でてくるもの。
人々は信仰心によって強くなる。幸福感に満たされる。
そうでないものは、決して信仰心とはいえない。
あなたは、誤った信仰心を植え付けられたのだ。
そして、その誤った信仰心によって苦しみ続けている。
その誤った信仰心を手放せないことは、無明であり、己心の魔でもある。
地獄に落ちるかもしれないという恐怖感がその正体であったことに気づいて欲しい。
それが真の信仰心といえるであろうか。
心の内なる声によくよく耳を傾け、自分を信じる心を大切にして欲しい。

それがあなたを救う唯一の道でもあるのだから。

2015年8月22日土曜日

幸福の科学を退会する理由とは



⒈退会の相談

私のところへ連絡をくださるKK(幸福の科学)の会員の方が、今年の春以降、増えてきています。こうした方は、私への連絡は勇気のいることで、KKをやめることを真剣に考えだした段階で、連絡を下さいます。いわば退会への最後の一押しをして欲しいと、そう思って連絡をくださるという印象を受けています。また、それと同時に、納骨壇や永代供養料を返してもらうにはどうしたらいいのかという相談をいただくことがよくあります。これはORへの信仰がこうした方から消えていることの証です。今回は、どうしてこうした方が信仰に疑問を持ち、退会を決意するようになったのかということを、私が直接お伺いしたことから申し上げます。ただし、ご相談された方が特定されないように配慮をさせていただきますの、やや抽象的な表現になる場合もありますので、ご理解ください。


⒉教祖に嫌気がさした人々

私が接した退会を決意した方々が、それ以前から職員やKKの方針に嫌悪感や疑問を持ってこられたのですが、それでも教祖への信仰を持ち続け、職員はおかしくても教祖は別だと信じようとしてきた方がばかりです。植福や伝道に熱心だったり、支部ボランティアで貢献したり、特に初期から熱心に学んできた方が圧倒的に多いのです。こうした教団を下支えしてくださって来た方々が、ついに嫌気がさしてやめようとする一番の原因は、教祖です。教祖の言動や雰囲気に嫌気がさし、疑問がピークに達した時に、やめることを決意されています。これが最重要の原因だと私は感じています。

ある人は、今年の春に、教祖の法話を聞いて、いやになったといいます。その方を仮にAさんと呼ばせていただきます。

Aさんは、教祖が法話の中で、「創価学会の池田大作が夢に出てきて、『もっと弟子をしからないといけない』と言われた」と話すのを聞きました。「池田大作が亡くなった後は幸福の科学が宗教界で一番になるから、夢に出てきたのだろう」ということを教祖は言っていたそうです。

Aさんは、「あれだけ創価学会のことを叩いていたのに、今になってその会長の夢のアドバイスを聞くというのはおかしい」と思いました。このことがきっかけで「今までは職員だけがおかしいと思っていたけれど、ORがおかしいからその影響で職員もおかしくなっているのではないか」と考えるようになり、それから私のブログを読むようになったそうです。

Aさんは、教祖の長女の盗作問題への教祖の対応にも疑問を持ったといいます。

今年6月に長女の卒論盗用問題が発覚しましたが、広報局からの転送メールでは「卒論については、あくまでも大学側の論文指導,及び審査の問題であり、盗用ではありません」とのコメントだけで、なんの謝りもなかったそうです。Aさんは、「卒論のみで終わっているのなら別にかまわなかったのですが、それを本として売っておいて、その3分の2が盗用ならば、大きな問題であるし、そうであるならば、父親であるORは娘に謝るようにするのが親ではないか、と思いました」と言います。

結局、教祖自体に問題があることが理解できるようになると、それが教祖の子どもにも職員にも波及して、おかしな教団運営がなされているという構図が理解できるようになります。そうなると、この教団にはもはや居たくなくなるのは、当たり前だと思います。


⒊教祖への幻想が消える時

初期からの会員さんは、熱心に教学をした方が多いです。それだけに深く洗脳されていますが、教団運営の中に教えの基本をゆがめるようなものを感じ取ると、さすがに敏感に疑問を持たれます。

Bさんはそういう方です。お金がないと悟れないと言われているような、金のかかる運営に疑問を感じたのです。

高額の研修やご法話、祈願が目白押しになり、お金がなければ悟れないと言われているようで、大金持ちのための研修が増え始めた時、ここは富裕層相手の宗教になっていくのを感じました。私にはそんな上流階級のお友達はいないので、こんなところを伝道して勧める事なんて出来ないと思うようになりました。初期の頃の、教えを学んで、悟りを得ていくという感動はすっかりなくなっていました。支部で何度も瞑想をしてみましたが、神様を感じることは出来ませんでした。『悟りにお金を出すのが必須なのか?』と考えるとおかしいと思えて、まずは支部に行けなくなる理由をつけて、まったく足を運ばないようにしました。

その後に、Bさんは教祖が偉大な覚者の生まれ変わりだという「教祖神話」の洗脳を解除する作業に入ります。

後は総裁が偉大な歴史上の人物の生まれ変わりではないということを納得する作業に入りましたが、私はある時の法話を思い出して、『私は嘘をついてなんかいません!』という総裁のセリフで洗脳が解けました。酔っぱらっている人が『酔っていない!』というように、嘘をついている人は『嘘をついていません!』というんじゃないかとパッと思ったのです。お釈迦様だった、ヘルメス様だったというのも今は全然信じていません。皆さんの中に神がいるというのなら、自分だけが特別で唯一の神と言うのはおかしい、お金を自分に集中させるためだとわかりました。

自分だけが特別の唯一神だという教義は、お金を全部教祖に集中させるトリックだと見抜いたというところは、ひとつの大切な洞察だと思います。

Bさんは「正しさの探究」ということにも、疑問を感じます。

神は人間に自由を与えたなら、何をしても自由なのだから悪は存在しないし、すべては経験として学びとなるはずなのに、総裁は正しい正しくないということばかりを気にしていると思いました。

教祖の波動に「とても怒りや憤りや争いの心を感じる」という実感があるので、教祖の説く「正しさ」は、結局は物事を善悪二元に分けて、悪と見なした側を裁くためのものだと。そうKKの説く「正しさの構造」を、Bさんは理解されたようです。現実に教団を見ると、現在のKK教団の善悪二元論はEC信仰を認める側と否定する側に二分して、信仰の敵を悪魔とする排除の論理になっています。

私は前夫人を永久追放した段階で、教義の崩壊を感じました。すべての人を救い、その救いの鍵は教祖が持っているというのであれば、「永久追放」は永遠の救いの拒否であり、「一切衆生救済」という基本方針の否定です。善悪に分かれて見えながら最終的には光一元の世界に向かうという「相対的二元論」(これも基本教義です)は、ここで崩れました。教祖と教団の現実が教義を裏切ってゆく姿は、教義がきれいごとの建前でしかなかなく(つまり教祖の頭の中の構築物でしかなく)、教祖の本音は別にあったという事実を突き付けています。

Bさんは教祖の人格の発する雰囲気にも幻滅を感じたといいます。

離婚のときの暴言、悪口、雑言も嫌でしたし、再婚した時の鼻の下が伸びた雰囲気がとても嫌でした。

Bさんは、他にも選挙に対する考え方や、支部のやり方、職員、法友などに対し、「常に自分の口からは不平や不満が出てくる」のがいやで、「辞められると思ったら本当に気分が軽くなって嬉しかったことを覚えています」とおっしゃいます。


⒋アンチのブログを見る

Cさんは、職員の責任転嫁の言動が嫌だったといいます。特に職員が自分には責任がないというあまり責任を会員に押し付けるやり方にあきれていました。職員の非常に根深い「保身」を感じのです。どうしてそこまで「自己保身」の思いを出すのかが理解できなかったのですが、アンチのブログを読んで疑問が氷解しました。職員は、教祖や教団か疑われ非難されることが怖かったということを理解できたのです。

他にも退会を決意した多くの人は、アンチのブログを見て、支部等で経験していることがそのまま書かれていて、「書かれている内容は本当のことだ」と納得したといいます。Cさんと同様、「そうだったのか!」と、モヤモヤした疑念が氷解するようです。

教団の矛盾は、会員の方が日々接して実感していることです。
職員の「自己保身」以外にも、
彼らの上から目線、
感謝を知らず家畜のように会員を使っていく職員やその妻の言動、
選挙で献金されたお金や奉仕を湯水のごとく「無駄なポスターや活動」に使いどぶに捨てて平気な態度、
会員への思いやりのない悪口と批判・攻撃、
こうした職員やその家族の姿は、特に会員のストレスとなっています。
それでも会員さんは、職員が悪いのであって教祖は違うと信じ込み、自分に言い聞かせることで、信仰を保ってこられています。

しかし、教祖の言動がもはや救い難く感じられたときに、会員はアンチのブログに手を伸ばします。そして本当のことを知ろうとします。そこで隠されていた真実を知り、洗脳が解け始めるのです。

その一人である、Dさんの声をご紹介します。

私は選挙が始まるころから、特に熱心に活動をしました。本心は嫌だったのに、信じていたらやらなければという思いと、本当にここで幸福になれるのか試してみたいという気持ちからでした。支部では毎日忙しくてほかの情報を得る時間もなく、ネットの書き込みを見ることはもちろん禁じられていたので、支部活動を辞めてからは色んなブログを読むようになり、やっぱりそうだったんだと、どんどん洗脳が消えていきました。選挙が始まった当初は信者達も団結力があり、成功を信じて力を出そうとしていましたが、だんだん支部の皆さんも結果の出ないことにお金を集めて注ぎ込むことにむなしさを感じ始めていました。・・・

最初の選挙でのお金の使い方のひどさは、私も現場で実感しました。党首を変えるたびにポスターが変わり、その都度、会員は仕事を休んでポスターを張りなおします。最後には、世間の人は党首の顔も名前も、誰も覚えていないだろうと思いました。その都度無駄になる高価なポスター、そして会員の奉仕の時間、そして虚しく消えてゆく植福。ポスターを張りかえるたびに、「会員の献金と献身を何だと思っているのだ」、と怒りを覚えたのを記憶しています。最後には、一人も当選しない、教祖すら落選した決定的敗北が、教祖の予言の無力さだけを確かなものとして印象付けました。


⒌休眠会員の苦しみ

休眠会員さんに中には、支部運営について支部長に疑問をぶつけてから「悪魔」扱いされ、支部の仲間からも悪い噂を流されて、怖くて支部に行けなくなったという方がいます。Eさんといいます。この方はショックと恐怖心のあまり、その時以来うつ状態に陥り、家庭に引きこもりました。なんと十年以上です。その間、毎日「死にたい」「どうして死のうか」とばかり考えたといいます。教団(支部)から悪魔視されて追いだされた恐怖体験は、Eさんの深いトラウマとなったのです。

しかし、この方は直観力の優れた方で、教団の施設を見ると暗いもので覆われている気がして、怖くて近づけなかったといいます。教団が怖くて、「幸福」という言葉すらつかえなくなっていたそうです。しかも、その教団から追い出された自分は地獄に行くしかないと信じ込んでいたのです。これがKK教団の洗脳の恐ろしいところです。休眠会員であっても、恐怖でがんじがらめになっている方がいらっしゃるのです

Eさんは、ようやく私のブログを何かのきっかけで読まれてみて、私が教祖から教団を追放されるプロセス(還俗体験)が、自分が支部から追放された経験と瓜二つであることに驚かれ、私に相談してこられました。

Eさんは、私に電話するときに、体中を大蛇に締め付けられるような感覚を持ったといいます。しかし、私に電話するとそれが消え、楽になられました。この方は退会する時も、霊的な攻撃を感じたそうですが、私のブログ「真実を語る」を読むと、身体が楽になり攻撃が退いたといいます。その後も、恐怖心や身体が重くなる現象が起きるたびに、「真実を語る」を読んで楽になったと言われます。

私はEさんに心の状態を絵に描いていただいたのですが、最初に描かれた絵がとても印象的でした。地獄のような暗い闇の荒涼とした空間に、Eさんは灰色の姿でしゃがみこんでいます。その後ろの方には大きくて真っ暗な穴があり、それは地下深く闇へとつながっています。その穴がKK教団だと感じるそうです。

私はとても正確に霊的実態を把握されていると思いました。それにもかかわらず、洗脳があるゆえに、恐怖心から教団に縛られて自分も心の地獄にいらっしゃったのです。休眠会員であっても、洗脳を解除し退会しなければ、決して幸福にはなれないということを、私はEさんとの出会いを通して教わりました。

これが私が、会員の皆様に退会を勧める理由です。休眠であっても会員であるうちは、縛りから解放されないのです。

<連絡先>
〒270-1154 千葉県我孫子市白山1-7-7 白山シャトー202
種 村 修
℡(携帯)090-8051-8198
メール:tanemura1956@gmail.com


2015年8月19日水曜日

幸福の科学を退会したい人のために



幸福の科学(以下、KK教団)をいよいよ退会したいと思ったときに、どうすればいいのかということを、色々な方の経験をもとに書かせていただきたいと思います。

.退会の自由は憲法で保障された基本的人権です

まず、宗教教団からの退会は、日本国憲法が保障する基本的人権である「信教の自由」なので、誰でも退会する権利を持っています。その権利は何人もこれを犯すことはできません。ですので、個人が退会したいということをはっきりと意志表示されたら、それで退会できます。

私は宗教法人を管轄している文部科学省にも行き、役人の方にじかにお話を聞いてきましたが、「退会の自由」ははっきりとおっしゃいました。憲法で明記されている権利なので、当然です。


⒉退会手続き

具体的な退会手続きですが、KK教団のサービスセンターに退会の意思を伝えれば、それで十分です。FAXもしくは郵送で書面で退会の意思表示をされたら、受理せざるを得ません。その時に、教団が退会希望者を事務的に特定するために、会員番号を書いてください。会員番号が分からない時は、生年月日を書けば、それで個人が特定できます。

退会届には退会の理由として、ご自分の気持ちをはっきりとお書きください。どれだけ長くなってもいいですし、短くてもかまいません。はっきりとやめる理由を書いてあげて下さい。読んだ職員が、教団のどこが悪かったのかを振り返るきっかけになることを祈りつつ書くと、なおいいと思います。

退会届がサービスセンターに行くと、原則、支部に連絡がいくようです。この時に、「印鑑がないので書類不備だ」といって受け取りを拒否しようとする支部長がいますので、そういうことを言わせないためにお名前の横には、念のために印鑑を押しておかれるといいと思います。

書類的には、出した日付も書くことで、いつ辞めたいと意思表示したかが分かりますので、日付は書いておいてください。

所属支部や住所も書いておかれると親切でしょうね。もっとも個人情報なので、教団に現住所を知られたくない場合は、書かなくても大丈夫です。

なお、内容証明(郵送)でないと受け付けないと言われて、内容証明で退会届を送ったら、退会受理のFAXが届いたという人もいます。ですので、郵便局へ行って、内容証明で送ると、より確実です。

もっともKK教団では、退会しにくくさせる内規を作っているようなので、支部長の承認がいるとか言いだす可能性もあるのですが、それはKK教団内部の手続きの話であり、憲法の保障する信教の自由という人権は、一団体の内規よりはるかに優先しますので、気にしなくてよいと思います。

退会は、単位事務手続きの問題だけではなく、霊的にもKKと縁を切るという重大な側面があります。現実に、きちんと退会届を出した人は、身体が軽くなったと感じることが多いようです。

なお退会届に関してどう書いたらいいかわからない人や、退会手続きでお困りの方は、遠慮なく私に連絡をください。

<連絡先はこちらです>090-8051-8198(種村修)
  Tanemura1956@gmail.com (メールアドレス)

⒊支部からの電話に対して

退会届をサービスセンターに出すと、支部や知り合いの会員さんから電話があると思います。特に支部長は、退会者が出ると業務成績がマイナスになるので、何とか退会を思いとどまらせようとします。その為に、「一度ゆっくり話をしたい」とか、「支部に来ないと手続きが完了しない」、いろいろ言うかもしれませんが、一切応じる必要はありません。手続きはサービスセンターに意思表示の書類を出した時点で完了しています。退会の自由は、基本的人権である信教の自由ですので、それは憲法で保障されていますと、はっきり伝えてください。

知り合いの会員さんからの電話には、ご自分の退会したい気持ちをしっかりと伝えてあげてください。会員の方も、いろいろ陰で悩まれている人は多いはずです。ですから、どうして退会を決意したか、なぜこの信仰がおかしいと思うのか、その理由をしっかりとお伝えになると、いつかその方もそれがきっかけで退会へと向かわれるかもしれません。ですので、伝えるべきことはきちんとお伝えください。ただし、一度、電話でお伝えになれば十分だと思います。

それでもしつこく電話があったり、家に支部長等が訪問してきた場合には、地元の警察にご相談ください。またもし怖いと思うようなことがある場合にも、しっかりと警察に相談して下さい。

私もその昔、仕事をしている事務所に職員の人に押し掛けてこられた時は、すぐに警察に電話しました。あらかじめ「こういう時は連絡するので助けてほしい」と頼んでいたので、すぐに来てくれました。そういうきっぱりとした対応をすると、彼らはさすがに二度と来ませんでした。

これは勇気の問題です。勇気を出せば、恐怖の縛りは解けてしまいます。また、警察に相談することは、KK教団の問題を第三者に知っていただくという効果があるので、大きな意味があります。文部科学省に電話して、相談するのもよい考えです。文部科学省は大学の許認可をしますので、KK教団がどういう団体かを知ってもらうことは、とても大きな意味があります。
<文部科学省>
〒100-8959 東京都千代田区霞が関三丁目2番2号
電話番号:03-5253-4111(代表)
 
 
⒋ご本尊や書籍、資料の取り扱い

私はこれまでのブログの中で、KK教団に関わる資料や書籍、ご本尊は、全部捨てるように書いてきました。これは霊的な悪影響を断つために必要だという判断からです。

しかし、最近、KK教団の問題に取り組んでいる方から、そうした資料や書籍、本尊なども、送ってほしいという要望を受けました。第三者にきちんと研究していただくのに、役に立つようなのです。ですので、処分したいご本尊や書籍、資料のたぐいは、一度私にメールか電話でご相談ください。どこに送ればいいのかをお知らせします。その場合、着払いでよいと伺っていますので、費用の負担もいりません。

資料の中では、布施や組織の目標数字に関するもの、活動に関する指示などは、返還訴訟などをする場合にも役に立つ場合があります。ですので、捨てる前に、ご相談ください。

⒌納骨壇申込金と生前支払の永代供養の返金

最高裁で、KK教団に対して納骨壇の費用の大部分と生前申込の永代供養料の全額の返還を命じた判決(4人の元信者が起こした裁判の判決)が確定しましたので、同様の訴えは短期間で勝訴するとおもわれます。それ以外にも、高額の布施等に関して、返還をして欲しいと思われた場合は、是非、この裁判を勝利された松本憲男弁護士にご相談ください。連絡先は次のとおりです。

松本憲男弁護士の連絡先(松本法律事務所)は、下記の通りです。

・事務所の所在地 東京都港区西麻布2-13-12 早野ビル5501

TEL  03-5466-0045


実は、今まで布施の名目でのお金は、間違ったものを広めるために使われてきました。ですので、少しの金額であっても、それを回収することができれば、教団の間違った活動を抑えるのに役に立ちます。もちろん、お金が戻れば、ご自分の大切なお金を自分や家族のために使えます。

あるキリスト教系のカルトのケースですが、一切返金を認めなかったのが、裁判が続くうちに対応を変えた例があります。信者が布施したお金の返金を求めて裁判を起こし、そのカルトは裁判のたびに敗北していったそうです。やがて敗訴の報道がもたらすイメージの悪化の方が返金よりも被害が大きいと判断し、それ以来、信者が返金を求めてくれば、返すようになったといいます。

ですので、返還にはいちいち裁判が必要になりますが、それがやがては多くの人を救う道をつくることにつながります。ですから返還訴訟は、自分だけのためではなく、布施をし過ぎて生活苦に陥っている人を救う道をつくるために必要だと考えてください。

もう一つ言えることは、納骨壇が残っていると、霊的にはKK教団とのつながりが切れないままになります。ですので、返金を求めてきちんと納骨壇を清算することは、霊的な清算にもつながるので、とても大切だと思います


⒍不安への対策

退会する時は、そうさせまいとして霊的に妨害が来るようです。霊的に敏感な人は、リアルに感じるといいます。また、支部や会員さんからの引き留めも、現実的な「妨害」です。

しかし、ここは勇気と不退転の意思があれば、なにも恐れる必要はありません。断行すれば、障害は消えていきます。霊的な妨害も、怖れるに足りません。断固として退会すると決意し行動すれば、退くのです。ですので、ここは自分の勇気と不退転の意志の力が試されていると思って、乗り越えてください。

その時に、私のブログを繰り返し読むことで、恐怖心や不安が消えていったという方がいらっしゃいます。何度か読むうちに、迷いが消えると、霊的な悪影響も受けなくなるようです。是非ご活用ください。

<連絡先>
〒270-1154 千葉県我孫子市白山1-7-7 白山シャトー202
種 村 修
℡(携帯)090-8051-8198

メール:tanemura1956@gmail.com