2015年6月11日木曜日

(投稿)キレやすい・・・KK時代の反省⑧


 
(紹介)

「そこのトップは、自分が連れて行くように指示したレストランに途中の道が渋滞していて着けないと、車の中で怒りまくるので、秘書は大変らしいですよ」とある宗教団体の信者の方が話してくれました。宗教団体のカルチャーというのは、教祖の行動様式や判断基準を弟子が学び、それが次第に末端へと浸透していくことで形成されると思います。
思い返すと、KKでは大伝道の頃から組織の活動は、目標達成に焦り、いらついて、怒りや裁きが蔓延していた気がします。教えでいくら違うことを説かれても、上層部の行動様式こそが末端信者にも浸透して、そちらがカルチャーとなっていきます。そして、熱心に活動する信者ほどそのカルチャーに毒されていきます。自宅で熱心に電話連絡をする姿を見て、「お母さんは、いつも人の悪口を言っていたね」と子供に指摘された経験を持つKKの信者の方は、少なくないのではないでしょうか。イライラしてキレやすくなっていた自分を反省することの大切さを、KK元信者のWさんは気づかせてくださっています。

 

(投稿)

地区長時代の私は、様々なことに悩み、苦しみイライラしていました。

家では、些細な事でキレたり、すねたりする。

自分の思い通りにならないと、それが気に入らない。

そんな状態でした。

 

それはまるで、子供のような状態だったと思います。

気に入らないと、家族と口を利かずに部屋にこもる。

あるいは、大声でどなる。

そんな事がよくありました。

 

当然ですが酒の量も増えました。

スポーツしないというか、する暇もなく、

そもそも救済活動優先で、スポーツなど後回しでした。

だから、スポーツで気持ちを発散させることがないのです。

ただただ、お酒で紛らわしていたと思います。

 

なぜ、イライラとしてキレてしまうのか、

自分でもわからない時がありました。

しかし、怒りの感情を抑えることが出来なかったのです。

ある意味で、それは私のエゴが全面に出ている状態でした。

我を押し通す。

それだけしか考えていない状態であったと思います。

 

前に「幸福の仮面」(注)で書きましたが、支部や会員さんの前では笑顔です。

逆にその反動が家で爆発するのです。

我慢し、抑圧した分、家で発散させているとも言えます。

エゴの塊で、自分の都合しか考えない。

そんな状態だったと思います。

 

KKにいると、自分の怒りやキレる気持ちを抑えられない時があると、

私は思います。

それは、私だけではなかったと思うのです。

そして、それこそがKKの正体ではないかと今は思います。(W

 

(注)「幸福の仮面」はこちらです。

2015年6月9日火曜日

(投稿)生まれ変わり・・・KK時代の反省⑦



 
(紹介)

自分が釈迦の生まれ変わりであり、ヘルメス、リエント・アール・クラウド、オシリス等の聖者の生まれ変わりであるということをしきりと宣伝してきた教祖の心には、最初から深い過去世の名前への依存があったことに、もっと早く気がつくべきであったと反省しています。教祖にその依存心があると、弟子は自分の過去世を知りたがり、その名前に依存したくなります。勝手に誰々の生まれ変わりだと思いこみ、己を偉しと吹聴する人も数多く出てきます。教祖が過去世依存症なので弟子にもその病気が広がるのです。今回のWさんの反省は、そうした教祖や信者の隠れた依存心に気づき、それを見つめる機会を与えてくださいました。

 

(投稿)

最初にKKを紹介され伝道された時、「この方が、あのお釈迦様の生まれ変わりである」、と聞かされました。

最初の感想は、正直言ってあまりピンときませんでした。

いきなり、写真を見せられて、「この方がお釈迦様の生まれ変わり」、

などと言われても、その人を知らなかったし、信じられなかったのです。

「『太陽の法』を読めばわかる」と言われて『太陽の法』を読みました。

内容は、今まで私が考えてなかった、この世とあの世の世界観が書かれており、

法則も書かれておりました。

私は、内容に感動して入会したのです

 

ただ、その当時から疑問がありました

誰にも言っていないことだったのですが、当時を振り返る為に、

正直に告白することにします。

それは、

「お釈迦様の生まれ変わりにしては、布教が陳腐すぎないか。」

「真にお釈迦様の心があるなら、言わずとも世の人は帰依するのではないのか。」

そんな疑問が当初からありました。

 

仏教は世界3大宗教の一つです、その開祖の生まれ変わりならば、

それに匹敵する広がり方、あるいは、より多くの人の感動があって不思議でないはずだ。

そんな疑問が消えませんでした。

これが、私が伝道活動が苦手だった一番大きな原因です。

 

今にして思えば、誰の生まれ変わりとか、どうでも良いことなのです。

今世の結果は今世の自分が出さないといけないことなのです。

今世、自分が学んで掴んだことが自分の全てなのです。

過去世を言っている時点で、過去世にすがりついている状態なのです。

今、修行をしていて、そう思うようになりました。

 

東京ドームに言った時、舞台に立たれた姿を拝見して感動しました。

同時に、派手さに驚いた記憶があります。

お釈迦様の生まれ変わりであると心から信じられなかった私は、

入会当初から、すでに破門されていたのかもしれません。(W

2015年6月7日日曜日

(投稿)夢の知らせ・・・KK時代の反省⑥




(紹介)Wさんは「(投稿)呪い・・・KK時代の反省④」のなかで、「KKが危険で間違いであることは、私は夢を通して知ることが出来ました。」と書いていました。この「夢」について、今回詳しい内容と、その夢分析を送ってくださいました。夢は潜在意識からの大切なメッセージであることがあります。ユングが指摘したように、顕在意識の間違いを修正する補償作用を夢は持っています。どんな夢なのか、早速ご紹介したいと思います。なお夢の解釈も、Wさん自身によるものです。

 

(投稿)夢の内容

 

その夢の中で、何故か私は、

「私と幸福の科学を許して下さい」と

何度も懇願していました。

私は、「許し」の中に「私」を入れるのは不謹慎で、

だから願いが叶わないのではと思いました。

 

携帯に電話がかかってきました。

その電話は見たこともない携帯電話で、

丈夫そうな大きめの携帯でした。

電話からは、「KKは許さない」

という内容が聞こえました。

 

私の左手にテレビがあって、

青い旅客機が炎上するシーンが写りました。

その瞬間に、KKの熱烈信者である父がその事故で死んだ、

と理解しました。

 

前を見ると知らない若い少しキザな人(男性)がいました。

髪の毛を染めたような濃い金髪で、前髪が長く左に分けていました。

その若い人が、

「やはり地獄に頼るしかない」

といった内容の独り言を言いました。

私は、「それは違うぞ」

と思って見ていました。

 

その若い人は、火を噴くドラゴンを召喚して、

螺旋状の坂を、ドラゴンを後ろに従えて、登ってきました。

私は上からその様子を見ていましたが、

いつの間にかドラゴンが先頭になって

若い人が後から付いていく状態でした。

どちらの姿も、丸いパンのような姿に変わっていました。

 

ドラゴンは「なぜ、逃げなかった」と、

若い人に言っていたようです。

螺旋の坂の最後は、小さな広場でした。

若い男は、逃げるところがなく困っていました。

広場から思い切って飛び降りたのですが、

その広場に落ちてきました。

ドラゴンは、

「逃げられると思ったのか」

と言っていました。

そこで目が冷めました。(W

 

(夢の解釈)

この夢を、つぎのように解釈しました。

夢に出てきた携帯電話はとても鮮明で、目ざめてからその携帯電話の絵を描きました。そこまで鮮明に描けたということは、この夢のメッセージが重要なメッセージであり、深い潜在意識の世界からのものであったと思います。夢の中に出てきた携帯電話が、大きなずっしりとした携帯電話だったので、そこから来るメッセージが、いうなれば高次元の世界からの重要なメッセージを送る媒体であることを暗示しているように思います。

携帯から聞こえた「KKは許さない」とは、いうなれば高次元の世界の総意ではないでしょうか。あまりにも神を冒涜し、「己一人を貴し」として慢心し、多くの信者を狂わせてきた罪は、決して許されません。神々や仏への信仰を全部自分へと奪い取ろうとしているのが教祖であり、それを広めているのがこの教団組織です。この罪は重く、「決して許されない」という意味だと思いました。

 

私がこの団体から出て、信仰から離れることができたことは、私が大変恵まれており、救いの手が差し伸べられたからです。もっと、そのことへの感謝が必要だと思いました。

夢ではKKにとどまった父親が、飛行機事故で炎上した機体の中で死んでいくのを、テレビの映像で知ったわけですが、それはKKを続けることの怖さや先行きの末路を暗示しているのではないだろうかと思いました。「青い飛行機」の青は喪失の悲しみを表わしているように思います。現実には父親は事故にあったわけではないので、夢の中だけことです。しかし、その夢が暗示していることは、私は重く受け止めようと思いました。

 

夢に出てきた若い人(男性)は、かつての私の心の状態を表しているのであり、またKK時代に私にのりうつり、憑依していた存在でもあると思います。

その人は、「自分とKKは許されない」ということを知ると、「地獄に頼るしかない」という考えを持ちました。

結局かつての私がKKに惹かれていた心には、そういう側面があったのだと思っています。当時の自分は病気から救われるなら、何でもよかったのです。病気が治るなら神でも悪魔でもよい。治してくれれば何でも良いと思っていました。

とにかく病気を治したい一心で信仰していた昔の自分には、そうした傾向が確かにありました。それは夢の若い男性と同じ側面だと思います。

しかし、この夢で私は、「それはおかしいぞ」という判断をして、この若者を見ています。これは心境が変化してきたからではないかと思います。

私は、この病気をきっかけに自分を振り返る修行をすると決意しました。

修行を始めた理由は、目が治ることを期待してのことです。

しかし、修行を進めるうちに、自分の気持ちに変化が出てきました。

まず、病気に感謝出来るようになりました。病気のお陰で自分を振り返る修行の道に入ることが出来たからです。それに病気にならなければKKの会員のままだったでしょう。病気は私に新たな人生の道に進むきっかけを与えてくれました。だから私は病気に感謝できるようになったのです。

今の私は、病気のことを全く気にしていません。なぜなら病気になって修行の道に否応なく進むように仕向けたのは、自分自身であると思っているからです。私の顕在意識がKKに染まり危険な状態であるので潜在意識の自分が、修行をするように決意したと思っています。そして顕在意識の私も自分で気がつかないうちに、その事に同意していたと思っています。

そうであるなら、病気のことを案ずるより、自分を振り返って心を浄化する修行をすることの方が大切であると思うのです。

だから、夢に出てきた若い人(男性)の「やはり地獄に頼るしかない」

という言葉に「それは違うぞ」と思うことができたのだと思いま。

若者が、ドラゴンを従えながら、やがてドラゴンに先導されるのは、自分がKKをしていた時代は、悪魔の龍にいつの間にか先導されていた姿を物語っていると思いました。広場からとび落ちるが、再び元の広場に戻り、KKから逃れることができません。これはこの若者が、ここからの逃れ方が分からないでいることを暗示しています。

私が現在取り組んでいる自己改造。それに真剣に取り組んで、しっかり成長できれば、その姿でその若者も気づきが与えられて、出口を見出す可能性があるのではないかと思いいたりました。その若者はかつての私の心の状態と同じであり、私が反省し、成長できると、連動して導かれるかもしれません。ですので、私の心の変容は自分一人の幸せにとどまらず、縁ある方をも導くものとなる。そうした自覚をしっかりと持つように見せられた夢だと感じました。

私はこの夢で、KKにいることがどれだけ恐ろしいことであるかを、改めて教えられました。そして、過去の考えを捨てて、変えて、人格の成長の道へと進むように促されていると思いました。

今進んでいる歩みを決して緩めることなく、成長を続けよう。そう決意しました。(W