2015年5月26日火曜日

(投稿)ご本尊・・・KK時代の反省⑤ 


 
(紹介)ご本尊はその教団の教祖の波動や教団の集合想念に通じていきます。したがってご本尊に祈ると、その集合想念を呼び寄せます。問題は、その教団の想念が清らかなものであればいいのですが、欲念や阿修羅的な想念が渦巻いていた場合、それを呼び込むことになることです。そうなると信者のエゴや心の暗黒面が増幅されていくことになります。Wさんが嫌な経験をされたのは、そういう背景があるからだと思います。

 

(投稿)

私が入会して、何年か経った時に、家庭用のご本尊が出ました。

とても高額なもので、私にはとても手が出ない代物でした。

しかし熱心な信者であった父が、貸与してくれました。

素手で触ってはいけない、自分より高い位置に飾ること

等といった細かな指示を言われました。

 

開けてみれば、顔写真が綺麗に飾ってあるモノでした。

今にして思えば、写真と額で、1万円しないかも、と思いますが

当時の私は、「ありがたい」というより、「恐れ」がありました。

何か、いつも見られている気がしていたのです。

でも、それだけ「霊力が高い、ありがたいもの」であると思って飾っていました。

 

他のグッズも合わせて、小奇麗に飾っておりました。

その部屋は客間で、普段はあまり使っていない部屋でしたので

家族もあまり気にしていないようでした。

しかし、私は威圧感を感じ、恐れがあり、それがご本尊の力と思っていました。

 

当時の私は、ご本尊に対して、ただの写真とは思えなかったのです。

恐れから来る崇拝と言うのでしょうか、

これがご本尊なのかという畏怖がありました。

捨てるどころか、粗末に扱うことも出来ない状態でした。

 

脱会して、改めて見ると、それはただのブロマイドです。

ブロマイドに大金を支払って(私は貸与でしたが)、

有り難く拝んでいるのです。

しかし多くの会員さんが、そのブロマイドを有り難く崇拝しているから、

その想念が働いて、ご本尊があると、

その想念に取り込まれるかもしれません。

今は、そう思います。

 

脱会時に、ご本尊は父に返しました。

発病以来、自室に飾って一生懸命にお祈りしてきました。

朝夕、欠かさずに私の病気が治りますようにと、お祈りしたのです。

その時の私は、自己保身の塊で、エゴの塊でした。

とにかく病気を治したい、何とかしたい、それだけでした。

 

祈りはじめた最初の頃は、祈り終えると高揚感がありました。

ECのご加護で私にも光が届いた、病気は治るだろうという

そんな気持ちが溢れていました。

しかし、それは直ぐになくなり、次第に不安と絶望感が

心を支配するようになりました。

同時に、クラック音などの奇妙な現象が起こりだしました。

これは私のエゴがご本尊で増幅されたのかも知れません。

ご本尊は、自分が気が付かないうちに、

自分のエゴや心の暗黒面を増幅させる、

そんな恐ろしい代物だったと、今は思います。(W)

2015年5月25日月曜日

(投稿)呪い・・・KK時代の反省④



 
(紹介)KKでは初期のころから正会員(現在は三帰誓願)になると、天国に還れると信じられていました。ある説法で教祖が、いままで会員が地獄に落ちた人はいないと説法したこともあるので、信者はそれを疑わないようになったと思います。会員をやめると地獄いきだ、ましてKKと敵対すれば確実に地獄いきだと説かれていたので、退会したり、まして正面切って批判することは恐怖です。その恐怖心が人々を縛り、縛り付けています。そのことを反省してはっきりと気がついたと、Wさんは投稿してくださいました。

 
(投稿)

私が会員だった頃、KKで、

「正会員は地獄に落ちない。最低限、天国に還ることは保証されている」

と、聞きました。

支部でOR氏のビデオ拝聴会で聞いた覚えがあります。

それを聞いた時、

「これで何もしなくてもとりあえず天国には還れる」

と安心した覚えがあります。

同時に、出版物を通して、

KKを信じなかった者やKKに敵対した者は地獄に落ちて業火に焼かれる、

と教わりました。

 

信じないと地獄に落とされる」という「呪い」が私にかかりました。

従って休眠会員になっても、脱会は考えられませんでした。

なぜなら、「脱会したら地獄に落ちる」と思っていたからです。

私が在籍した頃にKKでは、正会員は天国に用意されたKKの村に帰れると

信じられていました。

それを嬉しそうに話していた会員さんの顔も覚えています。

 

会員であった私は、本気で信じていました。

「天国に帰れる」「本物の信仰に出会えた」と。

そして本気で信じていたからこそ、抜け出すのに勇気が必要でした。

「万が一にも、真実だったらどうしよう」

「脱会することが間違いだったらどうしよう」

そんな不安がありました。

それは、KKの呪いに違いないものです。

 

私が抜け出せたのは、家族のお陰であり、

私を守護し導く存在に救われたからであると確信しています。

KKの呪いは強力なものでした。

私は身を持って法語の怖さを体験しないと、

この宗教の怖さが分からなかったと思います

逆に言えば、身を持って体験させる事で、KKの怖さを思い知らせる

導きであったと考えています。

 

修行を重ねて、今も修行中ですが、KKが危険で間違いであることは

私はを通して知ることが出来ました。(注)

だからこそ今、振り返ることができます。

その事に感謝したいと思います。(W)

(注)この夢の内容は、こちらに書かれています。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2015/06/kk.html

2015年5月12日火曜日

(投稿)敵対視・・・KK時代の反省③ 



 
(紹介)


KKでは常に「法敵」をつくり、それとの戦闘を行うことで、内部を引き締め信者の忠誠心・信仰心を高めようとします。法敵がいなかったのは、初期の3年ぐらいでしょうか。その後は、常に法敵をつくっていたと思います。よく考えれば、これは今の中国や韓国と同じです。共産主義国は常に敵を「敵」をつくることで、自由を制限する一種の戦時独裁体制を維持していました。KKもそれとよく似た組織文化を持っていると、Wさんは気が付きました。その組織文化は、教団にとっては組織内の不満のガス抜きであっても、信者のものの見方に深い影響を与えます。その危険性に気づくことが脱却の第一歩だと、Wさんの投稿は教えてくれていると思います。

 

(投稿)KKの行動を邪魔するものは全て敵」という思考

 
私がKKにいた時にも、多くの「」と言われる存在がありました。

それは創価学会であり、講談社であり、他にも多くの敵がありました。

これらは「法敵」であると教えられました。

そして私は他の会員さんと同じく、それらを敵視していました。

講談社への抗議デモにも喜んで参加しました。

講談社に対する嫌がらせファックスも何度かしました。

そこに喜びを感じていたと思います。

 

今にして思えば、それは一種のガス抜きであったと思います。

組織内の不満等から眼をそむけさすために

外部にを作ることは、日本の周りの国でもあることです。

だから、KKの内部的な不満のガス抜きのために、仮想敵は必要なのでしょう

だから今でも、それはKKに必要なはずです。

種村さんを始めとして脱会者たちは法敵なのでしょう。

 

それは危険な刃物のような意識であったと思います。

熱烈信者である父は、母親に対して、「これ以上、活動の邪魔をする事は許さない」と言った時があります。

私の娘が幼い時でした。何気に、娘が私の母親を家に呼びたかったので招待したのですが、母はなんだか寂しそうでした。

後から父親から事情を聞いて、そんな事を言ったと分かりました。

 

KKの行動を邪魔するものは全て敵」という考え、

そこに受容も寛容も肯定もありません。

ただ「倒すのみ」という、地獄的な考え方でした。

家族であっても、敵視するようになります。

今にして思えば、愚かな考えをしていたと思います。

 

KKに与えられた「」にこもって、全てを「」とみなす。

そんな状態であったと思います。

ここから抜けだせたのは、家内の存在・愛情があったからだと思います。

だから私は家内を決して裏切らないと決めています。(W)

 

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2015年5月8日金曜日

(投稿)闇黒思想・・・KK時代の反省② 



 
(紹介)KK時代の反省をし、洗脳によって心につもった垢と邪見をはらい落とそうとしているWさんから投稿です。KKでは悪霊悪魔の存在を強調するので、どうしても気にいらない人を裁きの目で見たり、悪いことを悪魔悪霊の影響とみなして恐怖するようになります。KKが広がらない世の中は悪魔の支配下にあるように錯覚するようになります。神社仏閣に行っても、そこには人々の欲念が呼び込んだ悪想念が渦巻いているのではないかと思って、怖がります。これはKKの教祖が一番影響受けた霊能者にもそういう思想があり、その影響が強く残っていると思います。Wさんご自身の反省には、そうした問題点も気づかせてくれると思います。なおこれはWさんがKKで受けた心の垢の反省ですので、人によっては教えの受け止め方が違う場合もあると思います。その点は、ご理解ください。

 

(投稿)「恐怖心・懐疑心が増大しました」


 KK時代に私は、この世は悪想念に満ちていて霧のように世界を包んでいる、

地獄から這い出てきた悪霊が徘徊していると教わりました。

その結果、この世界に懐疑的になり、どこにでも悪霊がいると思うようになりました。

最近毎日、参拝させて頂いている産土神社も、最初は何か悪いものがいるんじゃないか、と思っていました。

それくらい、この世界に対して懐疑的になっていました。

 

しかも、KKの会員だったころは、「悪いことは魔の影響」、「良いことは、E.C.(注:ご本尊のこと)のおかげ」と言うようになっていました。

私は自分の都合の良いように、病気などした時は「魔の影響」などと思っていました。

 

結果として、私はこの世界を創られた根本の神に対して、

感謝」という事を失念していました。

私が今世に生を受けて修行している意味など考えずに、

自分の都合よいように状況を捉えて、惰性で暮らしていたことになります。

 

私は、この世界が救いようのない世界で、

神がお怒りで、天変地異が起こると教わりました。

世紀末などは、戦々恐々としていた記憶があります。

それは、世界に対する恐怖でした。

 

世界が闇に包まれているので、世界が信用出来ない

そしてその世界に恐怖する

そんな思いから、「自分の殻にこもる傾向」に拍車がかかったと自己分析しています。

 

日本が神道の神々に守られて、いかに美しい世界であるか。

そこに生きて修行することが、いかに素晴らしいことか。

私は改めて考えないといけないと思います。

目に映る世界に対して、見方を大きく変えること、

それがKK的な、闇黒思想の考えから脱却する方法と、今は思います。