2015年1月27日火曜日

煩悩の発信電波塔、その影響を振り返る


①ある宇宙人霊言にみる価値の構造
 

私が霊言集を読んでいて、さすがにおかしいと思い、これは異常だと、信者としてついていくことへの限界を感じだしたのは『レプタリアンの逆襲』でした。ここに出てくる宇宙人は、要するに「俺はこんなに偉いんだ」ということをひたすら強調していました。この宇宙人の霊言というのは、教団の職員の潜在意識にある宇宙時代の意識が話しているという設定ですが、上昇志向丸出し、名誉欲、自己顕示欲のあまりの露骨さに、うんざり内容でした。「こんなものを読まされて、それにお金を払う価値があるのだろうか。読者をバカにしている。」と、本を投げ捨てたい衝動にかられたことを覚えています。

言うまでもなく、これは私がまだ会員だったころの体験です。教祖の本を捨てたくなったのは、この時がはじめてでした。

 
もちろん、こういう考えもできます。「元職員の私が教団で教祖に評価されず冷遇されてきたので、現在高い評価を受けて、教祖の魂のそば近くに宇宙時代にいたという職員を嫉妬したので、そうした気持ちが湧いたのではないか」、と。そういう可能性も検討する必要はあると思います。

しかしながら、私がこの時感じた違和感を、今冷静に振り返ると、教祖のそば近くにいることを霊格の高さ、存在価値の高さとして競い合う(教祖の立場から見ると弟子を競い合わせる)という価値の構造それ自体が、滑稽に見え始めたように思うのです。

私は信者時代に、まさにそうした価値観にずっぽりと染まっていました。そして如何に教祖に評価されるか、如何に他の弟子より評価されるかということに、鎬(しのぎ)を削るという心がありました。それは焦りとなり、嫉妬となり、名誉欲、劣等感などになって揺れていたと思います。

信者以外の人には理解できないことだと思いますが、この価値の構造を受け入れている信者にとっては、そこで与えられる序列は永遠の転生輪廻における自分の価値を決定づける深刻かつ重大な問題なのです。今なお熱烈信者や職員の方々は、そのような気持ちを持って、苦しんだり喜んだりしておられます。

他の方はともかく、少なくともかつての自分がその価値の構造の中にはまり込んで、その中で落ち込んだり有頂天になっていた姿は、とても滑稽なものであったと考えています。

 

②賞賛の使い方
 

これらの霊言集をよく読むと、職員の中にあるという宇宙人の意識が、まず徹底的に教祖を讃えます。物凄く持ち上げて、教祖が宇宙の根本神であるということを強調します。そしてこれほど教祖の偉大さを語れるのは、自分がこんなに教祖に近い存在であるからだということを語ります。それによって、自分がどれほど偉大な存在かということを誇示します。

これを教祖の側から見ると、弟子が過去、どれほど自分に近かったかを語ることで、その職員が教団で占める上位の立場に正当性を与えます。またその弟子の意識に自分がどれほど偉大かを語らせる(実際は教祖が自分の口から話している)ことで、教祖自らの偉大さを一生懸命に演出しているのです。

「結局これは、教祖が自分を誉めて、偉大さを誇示しているだけじゃないか。」

「教祖と弟子がお互いを賞賛しあって、それを書籍にしているのは、あまりにもグロテスクではないか。」

「教祖の忠義を尽くした弟子はこうして賞賛してもらえるのであるから、弟子はもっと教祖への信仰をもって忠義を尽せと、誘導しているに過ぎないのではないか。それが霊言集の舞台裏ではないのか。」

こういうことが、突然、洗脳されていた自分の目にも少しずつ映り始めました。それが、その本を読んだ時に私の心に起きたことだったように思います。

そういう見方ができるようになると、それまで教団のなかで躍らせられていた自分が、ひどく滑稽な、ある意味では哀れなものと見えてきました。

なぜなら、私も過去の有名人を守護霊であるといわれて、同じような価値の構造に組み込まれて操られてきたからです。過去の自分の姿が滑稽に見えてきます。そして今、同じことを別の形で、さらに大規模に、多くの人を巻き込んでしているのが、この教団です。

 

③煩悩の発信電波塔

 
今あらためて客観的に冷静に見ると、こうした霊言集で登場人物が自分自身の力を誇示してみたり、偉さを競ってみたりする姿は、名誉欲、権勢欲を競う煩悩そのものです。それを煽り立て、弟子や信者の信仰を競わせ、布施を競わせ、忠誠心を競わせるのが教祖の手法です。重度の自己愛性人格障害でもある教祖は、自らを偉大に見せたいという煩悩にまみれながら、同じ煩悩を周辺にも拡散させ肥大化させていきます。

言うまでもないことですが、こうした霊言集を読んで、それが読者の心の成長を少しでも促すかといえば、そうしたことはあり得ません。霊だとか宇宙人だとかいう登場人物の割には、話の内容が極めて世俗的な自己賞賛や力の誇示であったり、もしくは敵対する者への罵倒であったり、要するに極めてこの世的な内容です。高次の霊的バイブレーションがまったくないのは、一読すれば分かります。読み手の名誉欲、競争心、怒り、そうした煩悩を刺激し拡大させる霊言集は、悟りとは逆の方向へと読者を向かわせます。

私は思うのです。「教祖は煩悩の発信電波塔である」と。

この教祖の影響を受けると、その人の中にある同種の煩悩が活性化して、膨らんでいきます。その煩悩をそのまま肥大化させていくと、その人は確実に転落してゆきます。こうして没落の法則が働きだします。だから、この教祖の図書は有害図書の指定をするべきだと思います。

もっとも、これは私自身が反省していることですが、教祖の影響を受けて肥大化する煩悩は、もともと自分の中に種子があったものです。その自分の中の煩悩の種子が、教祖の波動や言論の影響を受けて膨らんでいくにすぎません。もっとも膨らむことで、自分にそういう煩悩の種子があったことを自覚しやすくなるということはあります。私はそういう意味で、教祖の影響を自分の成長のエネルギーへと転じてゆきたいと思っています。

2015年1月17日土曜日

返還請求訴訟⑨ 東京地方裁判所(第一審)の判決文(抜粋)(8)



<解説>

第一審(東京地裁)の判決文では、永代供養料については全額の返還を命じていますが、納骨壇申込金については9割の返還を命じました。その算出の根拠となる部分を抜粋します。

<判決文の抜粋>

8 争点7(不当利得及び原状回復義務の範囲等)について

2)納骨壇申込金について

(途中省略)

このような観点から考えるに、本件納骨壇使用契約の締結から上記解約まで、57か月~77か月程度の期間が経過しており、その間はいずれの納骨壇においても実際に遺骨は収蔵されていないものの、被告において、原告らのために各納骨壇を割り当て、碑銘を入れた金属製プレートを納骨壇の扉に取りつけるなどして、原告らによる使用に委ねていたのであり、これに見合う対価相当部分は返還義務の対象とならないというべきである。他方、実際に遺骨を収蔵するという納骨壇としての本来的な意味での使用はいまだ開始していないこと、永代【(旧)半永久的】とされる期間を合理的に画して仮に100年だとしても、経過期間は57%程度にすぎないこと、碑銘を入れた金属製プレートの取付料の実費はさほど大きなものとは考えられないこと、被告は納骨壇のシフトアップに係る納骨壇の変更(旧納骨壇に着目すれば解約にほかならない。)を認めており、単独での解約についてのみ不利益取扱いをすべき実質的な理由を見いだせないこと等を総合すると、納骨壇申込金の1割に相当する金額を控除してこれを返還させるのが相当である

   なお、原告Bは平成22926日に開壇式を行っているが、開壇式の実質的な意味は納骨壇を親族に披露するためのものと認められ、開壇式の有無によって異なる取り扱いをすべき理由はないというべきである。

 

<解説>

 この中で金属プレートの取付け等にかかる実費は大きなものではないとされています。また「永代」の意味を100年間とすることで、申し込んでからそのうちの何パーセントが経過したかという計算式の算定方法も示されています。これらの分を差し引いた金額が、返還されるべき金額であるというので、申込金の9割が元信者に返されるべきだという判定がなされました。

なお、開壇式を行っていても、それは身内へのお披露目に過ぎないから、焼骨をいまだ収蔵していない場合には開壇式の有無は返還される金額に影響を与えないと判断されています。

これから納骨壇申込金の返還を求めたい人は、以上の計算式で、おおよその金額が割り出せると思います。

この裁判はいま最高裁に舞台を移しています。最高裁の判決は、遅くとも年内に出ると思われます。裁判のゆくへはK会被害者の現実的な救済に直結するものだけに、重大な関心をもって見守って行きたいと思います。

 

2015年1月16日金曜日

返還請求訴訟⑧ 東京地方裁判所(第一審)の判決文(抜粋)(7)


 <解説>

第一審の判決は、一部が第二審で修正されている箇所があります。そこで第二審で指示された修正(修正箇所は赤字で表示します)を加えた形で抜粋を紹介することにします。その際、原文は【(旧)  】に入れて示します。争点5は納骨壇使用契約の解除に関するものですが、そのうち(1)は第二審で大きく書き変えられたものを既に紹介しました。ここでは(2)だけを取り上げます。

 
<判決文の抜粋>

6 争点5(納骨壇使用契約の解除又は解約の成否)について

2 被告〔*幸福の科学〕は、本件納骨壇使用契約は負担付き贈与類似の無名契約であって、申込金は御布施(植福)として交付を受けたと主張し、証人C、証人D、証人E及び承認F並びに同人らの陳述書中にはこれに沿う証言及び記載がある。しかし、永代供養料については前述したところと同様、当時者の意思としては、長期間にわたる特定の納骨壇における焼骨の収蔵【(旧)納骨壇の半永久的な利用権の設定】に主眼があると解される上、納骨壇の位置に応じて価格設定された申込金の支払が必要となるものであるから、申込金が長期間にわたる特定の納骨壇における焼骨の収蔵【(旧)納骨壇の半永久的な使用】の対価という性格を持つものであることは明らかである。

   そもそも、被告の上記主張は、信者が被告に支払う金員は、それが純然たる御布施であれ、他の名目に基づくものであれ、すべからく植福という宗教的な意味を有するものだという教義上の理解をいうものと解されるのであって、これをそのまま法的な意味での贈与に結びつけることには無理があるというべきである。

 
<解釈>

ここで注目したいのは、「申込金が長期間にわたる特定の納骨壇における焼骨の収蔵の対価という性格を持つ」という部分です。納骨壇申込金は、法的には対価であって、対価性のない布施〔*法的には贈与〕とみなすことはできないわけです。ですから贈与ではありません。教団側が、布施〔*法的には贈与〕として申込金を受け取ったと主張しても、それを裁判所は認めていません。ここは極めて重要です。ですから、「布施だから返還できません」「いただいたものは返しません」と主張してもそれは通らないわけです。

そうした教団側の主張は、「信者が被告に支払う金員は、それが純然たる御布施であれ、他の名目に基づくものであれ、すべからく植福という宗教的な意味を有するものだという教義上の理解をいうものと解される」に過ぎないのです。教団の教義としては主張できても、法廷の場では通用しません。そのことを明確にしたこの判決は評価されるべきだと思います。(次回に続く)

 

2015年1月15日木曜日

返還請求訴訟⑦ 東京地方裁判所(第一審)の判決文(抜粋)(6)



<解説>

これまで第二審の東京高等裁判所の判決文で、特に重要な部分を紹介してきました。ここからは、第一審である東京地方裁判所の判決文を、これも重要なとこらだけに絞って紹介させていただきます。まず最初にご紹介するのは、永代供養に関する第一審の判断箇所(「5 争点4」、判決文15頁~16頁)です。

 
<判決文の抜粋>

5 争点4(永代供養契約の解除の成否)について

(1)永代供養とは、一般に、故人の供養のために毎年の忌日や彼岸などに寺院で永久に行う読経をいうものであり、自己又は配偶者の死後に事実行為たる読経を依頼し、これに対する対価として金員を支払うことを内容とする本件永代供養契約の法的性格は事実行為を委託する準委任であると解するのが相当である

   被告〔*幸福の科学〕は委任者の死亡により終了するのを原則とする委任契約と本件永代供養契約は、その性質上相容れないものであると主張するが、本件永代供養が委任者の死亡によっても委任契約を終了させない旨の合意を包含し、民法653条の法意がかかる合意の効力を否定するものではないことは明らかである。(最高裁平成4年9月22日第三小法廷判決・金融法務事情135855頁参照)

 また、被告は、被告が受け取ったのは永代供養の対価ではなく御布施で あり、本件永代供養契約の法的性質は負担付き贈与類似のものであるとも主張する。しかし、本件永代供養契約における当事者の意思としては、供養という事実行為の委任に主眼があることは明らかであり、また、証拠によれば、供養の費用については、「永代供養(奉納目安100万円)、7年供養(奉納目安70万円)、3年供養(奉納目安30万円)、1年供養(奉納目安10万円)」とされるなど、供養1年につき10万円という明らかな対価関係を見出すことのできる料金設定がされていたことが認められ、被告の上記主張は採用することができない。

(2)したがって、別段の合意がない限り、民法656条、6511項の規定により、各当事者は本件永代供養契約をいつでも解除することができるところ、本件において、これと異なる合意の成立に関する主張立証はないから、本件永代供養契約は、原告A及び原告Bの解除の意思表示により解除されたというべきである

(3)被告は、本件永代供養契約の法的性質が準委任であるとしても、契約の主要部分は履行済みであり、解除はできない旨主張するが、証拠によれば、本件永代供養契約における供養の開始時期については「【生前申込について】ご生前にお申し込みの場合は、ご他界の連絡をいただいた時点から供養が開始されます。」とされており、被供養者の死亡によって初めて委任事務が開始されるものとされていることが認められるから、永代供養契約が被供養者の死亡前に解除された本件では、いまだ被告の負担する債務の既履行部分はないというべきである。

  したがって、被告は、原告A及び原告Bに対し、上記契約解除に伴う原状復帰義務として、被告に交付した永代供養料の全額(原告A 及び原告Bにつき各200万円)を返還すべき義務を負う。

 
<解説>

ここでは永代供養契約は、申し込んだ当事者の意思としては「供養という事実行為の委任に主眼があることは明らか」だと裁判所が認定しています。そして、「自己又は配偶者の死後に事実行為たる読経を依頼し、これに対する対価として金員を支払うことを内容とする本件永代供養契約の法的性格は、事実行為を委託する準委任である」としています。

ここでは特に、「読経を依頼し、これに対する対価として金員を支払う」。要するに、永代供養料は読経を依頼したことへの「対価」であると言っていることに、注目しておきたいと思います。(次回に続く)

 

2015年1月14日水曜日

心検のブログ・カウンセリングのこと



 一般社団法人心検のブログに、ある宗教団体の人のカウンセリングをした内容を、紹介していたことがありました。K会との裁判でもこの問題を取り上げられたことがあります。その中でしばしば誤解されたのは、私が架空のカウンセリングを創作したのではないかという憶測でした。さすがにその誤解については、K会との裁判の法廷でも、きっちりと説明させていただきました。

今なお、真相を正しく理解されておらず誤解されている方がいるようですので、念のために正確な事実を公表しておきたいと思います。

今手元に、東京地方裁判所で平成2466日に私が宣誓書を読み上げたうえで「陳述」した内容を、裁判所が記録した「本人調書」があります。そこから該当箇所を一部抜粋します。なお、誤字については修正しておりますとともに、人の名前は記号で記載します。

 
原告ら代理人(MK会弁護士)

 今、心検のブログについて、A氏の心に映したものが独自の手法だとおっしゃいましたけれども、具体的には、どういうふうな方法でカウンセリングをされているんですか。

証人(種村)

  カール・ロジャーズさんのいう自己一致という技法がありますけれども、相手の方の意識を自分に映し取って、感じ取って話す。それを更に発展させた代理の自己一致の手法によって行いました。

原告ら代理人(水谷:K会弁護士)

 誰の心に写したんですか。

証人(種村)

  これについては、A氏の心に映しました。

原告ら代理人(水谷:K会弁護士)

 そうすると、映すと、A氏はなにをするんですか。

証人(種村)

  A氏が、その相手の方の心を感じ取って、浮かんでくる言葉をお話になります。

原告ら代理人(水谷:K会弁護士)

 A氏がしゃべったんですか、実際に。

証人(種村)

  A氏の言葉です。

原告ら代理人(水谷:K会弁護士)

 A氏っていうのは、心検の代表理事を務めている方ですよね。

証人(種村)

  そうです。

原告ら代理人(水谷:K会弁護士)

 その方が自分でしゃべった言葉を記録しているということですか。

証人(種村)

  A氏の言葉を記録しております。

原告ら代理人(水谷:K会弁護士)

 A氏の言葉っていうのは、誰かの意識を映しているということですか。

証人(種村)

  A氏はそのように理解しております。

 

以上が、裁判所の法廷での証人調べの際のやり取りです。

私はこのカウンセリングの際には、現実のクライエントに対するのと同じように聴いておりました。いわゆる傾聴です。A氏に映し取った意識といえども、カウンセリングによって癒される可能性があると考え、あくまでもその可能性を追求しました。ですから、このブログ・カウンセリングでの私の役割は、カウンセラーとしての傾聴の役割と記録の役割の二つでした。

 
アメリカの高名な心理学者のカール・ロジャーズは、自己一致の状態で傾聴していると、対面しているクライエントの語られていない言葉や相手の願い、自己イメージが伝わってきて、感じ取ることができることを発見しました。とりわけ統合失調症のクライエントはあまりしゃべらないので、カウンセラーがクライエントの気持ちを心に映し取り、感じ取って、それを相手に伝えることが重要であると指摘しています。

この手法は心研でも重要視していましたが、実践をつむうちに、その場に居ない人の気持ちも心に映しとることができることを発見しました。そこでその場に居ない相手へのカウンセリングが可能になったのです。

心理療法の世界では、こうした不思議な現象がしばしば起きますし、さまざまな心理学者もそれを経験していることは、少し調べればいくらでも出てきます。心の世界の不思議は、宗教の独占物ではないということです。

2015年1月13日火曜日

返還請求訴訟⑥ 東京高等裁判所の判決文(抜粋)(5)


 
<解説>

これまでは納骨壇についての裁判所の判断を紹介しましたが、今回は永代供養契約について、幸福の科学側の主張に対する裁判所の判断を紹介します。

常識的に考えて、自分が死んだときには永代供養をお願いしますと、前もって供養料(100万円)を支払ったとしても、その後気持ちが変わってキャンセルしたら、まだ供養がなされていないわけですから、そのお金は返却されるのが当然だと思います。ところが幸福の科学はかたくなに、一切の返金を拒んできました。東京高等裁判所が一つひとつ幸福の科学側の主張に対して、法律論で批判してくれています。判決文の続きをご覧ください。

 
<判決文の抜粋>

(2) 本件永代供養契約にて

 ア 控訴人は、本件永代供養契約は、永代供養を受ける地位の確定的取得を目的とする無名契約であると主張する。

   しかし、本件永代供養契約を準委任契約と解すべきことは、引用した原判決の説示するとおりである。

   また、本件永代供養契約の締結により、被控訴人ら両名のような委託者には永代供養料の支払義務が発生し、受託者である控訴人には、委託者の死後、同人について永代供養をする義務が発生するが、それ以外に控訴人に何らかの義務が発生するとは認められないから、永代供養を受ける地位といっても、委託者の死後控訴人に永代供養義務が発生するという法律関係と同義であり、このことから解除権が排除されるとの控訴人の主張は採用することができない。

   また、被控訴人ら両名が、本件永代供養契約を締結した当時、死後、控訴人から永代供養を受けたいという強い意図があったことはそのとおりであるが、これは当時被控訴人ら両名と控訴人との間に信仰心に基づく信頼関係があったことを意味し、そのことが本件永代供養契約が準委任契約であることの妨げとなるものではない。

 イ 控訴人は、解約が認められるとしても、控訴人に債務不履行は一切ないのであるから、既払金の返還請求は認められないとも主張するが、本件永代供養契約の解除は民法6511項による解除であって、債務不履行の有無はこれを左右しない

   また、同解除には遡及効はない(民法620条、652条、656条)ものの、控訴人の永代供養をする債務は未だ始期が到来しておらず、控訴人が永代供養の債務を履行済みであるとは認められない。そして、本件永代供養契約において、その解除によって一切返金をしないとの合意があったとは認められないから、控訴人が永代供養をする債務を履行していない以上、同契約の解除により、控訴人は被控訴人ら両名に対し永代供養の対価である永代供養料を返還する義務がある

 ウ 控訴人は、死後に当事者間の信頼関係が継続するとは考えられないとか、準委任契約とすると委任者の死亡により契約が終了する点で背理であるなどとも主張するが、本件永代供養契約は、委任者の死亡後における永代供養の実施を目的とするものであり、合意に基づくこのような内容の準委任契約が許されないとの理由はない

   また、控訴人は本件永代供養契約がいずれも契約締結後10年以上が経過しており、その後に控訴人に返金を強いるのは不当であるとも主張するが、将来的に長期にわたって継続する契約であることは当事者間の共通の認識であったといえる上、控訴人〔*幸福の科学〕は未だ本件永代供養契約に基づく義務を全く履行しておらず、永代供養料は返還しない旨の合意もないのであるから、控訴人の主張は採用することができない

   さらに、控訴人は、宗教界において永代供養契約による前払金の返還請求ができないことは当然の事柄があるとも主張するが、本件全証拠によるも、当事者間に前払金を返還しないとの合意がない場合において、一切の返還請求ができないことが当然の事柄であるとの合意がない場合においても、一切の返還請求ができないことが当然の事柄であると認めることはできない

 
<解説>

要するに、生前申込みの永代供養契約は、「準委任契約」であるから、委任者が自由に解約することができる。しかも、幸福の科学がまだ委任者の永代供養をしていないのであるから、「永代供養の対価である永代供養料を返還する義務がある」と明快な判断が下されました。

信者の方の中には生前に永代供養を申し込んだものの、それを解約してお金を返してほしいと思っている方がいらっしゃると思います。今回の判決は、そうした方に大いなる朗報となる判決でした。

 

2015年1月12日月曜日

返還請求訴訟⑤ 東京高等裁判所の判決文(抜粋)(4)



<解説>

次に紹介するのは、幸福の科学の主張に対する裁判所の判断です。教団側の一つ一つの主張に対して、明快に否定していくので、読んでいても痛快ですっきりします。法律用語が難解なのでわかりにくいと思いますが、ここは幸福の科学が掲げた控訴の理由が、ことごとく退けられている部分です。それを楽しんでいただきたいと思います。

 
<判決文の抜粋>

(第3の続き)

2 控訴人〔*幸福の科学〕の当審〔*東京高等裁判所〕における主張に対する判断

(1) 本件納骨壇使用契約について

 ア 控訴人〔*幸福の科学〕は、本件納骨壇使用契約について、契約締結当時の当事者の意思が「お墓の購入」にあったことは明白であるとして、特定の納骨壇を固定的かつ永久的に使用できる納骨壇使用権の設定(売買)契約であると主張する。

   しかし、本件納骨壇使用契約は、被控訴人〔*元信者〕らが控訴人〔*幸福の科学〕に対し、本件納骨堂の特定の納骨壇において焼骨の収蔵を委託することを中核とする無名契約であることは、付加訂正後の原判決説示のとおりである。

   なお、控訴人の側においてもシフトアップを許容し、本件納骨堂の建替え後には合祀施設への収蔵も予定するなど、本件納骨壇を固定的かつ永久的に被控訴人らに使用させることを予定していたと認めることはできない

 イ また、控訴人は、本件納骨堂の堅牢な構造や各納骨壇の隔壁及び扉により区分された構造などに照らし、本件納骨壇使用権は直接的排他的支配権としての物権ないしこれに準じる権利または本件納骨壇を固定的・永久的に使用し得る債権的地位であり、本件納骨壇使用契約の性質はその設定契約であって自由に解除はできないとも主張するが、本件納骨壇使用契約の内容は前記説示のとおりであり、また、本件納骨堂内の納骨壇において焼骨を収蔵する主体は被控訴人〔*元信者〕らから委託を受けた控訴人〔*幸福の科学〕であって被控訴人らではないから、控訴人の主張を採用することはできない

 ウ さらに、控訴人は、申込金は本件納骨壇使用権の設定の対価であるから、その設定が既に履行された以上、同額相当の不当利得は成立しないとも主張するが、申込金が本件納骨壇使用権の設定の対価であると解することができないことは付加訂正後の原判決のとおりである。

   また、控訴人は、標準契約約款においては、墓地使用契約に関して使用者が解約できる旨の特約が定められ、その解約権を行使した場合であっても、納付済みの使用料及び管理料は原則として返還されない旨規定されているとも主張するが、標準契約約款においても、使用前には納付済みの使用料の一部返還をする旨の定めもあるから、前記主張を採用することもできない。

 
<解説>

これは納骨壇申込金は一切返却できなとする幸福の科学の主張を、ことごとく退けたものです。法律論なので少し難しいと思いますので、別の興味深い話をします。

教団側が裁判所に提出した資料の中に、色々なお寺の住職等にヒアリングをした内容がありました。それらを通じて、お寺の納骨壇や墓苑は返金をしないということが宗教界の常識であると主張していました。

ところがです。その中にはTVコマーシャルをしているある有名な墓苑の管理者(僧侶)の方の名前もあったのですが、その方に直接お話を伺いに行って驚きました。幸福の科学の提出した報告書に名前が出ているその方は、幸福の科学の弁護士から一度も取材を受けた覚えがないというのです。

そこで、幸福の科学側が裁判所に提出した報告書をお見せすると、「こんなことは話していません。この数字が違う。私が間違えるはずがありません」と全面的に否定されました。

墓苑の運営について教えを乞うと、丁寧にお話くださいました。この墓苑では「お墓や納骨壇のお金は原則はお返ししないことが契約書に明記されているが、ケースバイケースで返金したこともある」と、ご自身が体験された事例を教えてくださいました。幸福の科学が提出した資料には、そうした内容は一切書かれていませんでした。

ところで、この墓苑の管理者(僧侶)の方は、幸福の科学のやり方に立腹され東京高等裁判所に「申入書」を提出されました。そこには、「まず、〇〇〇〇〔*報告書を作成した幸福の科学の中心的な弁護士〕なる人物より面談および電話での取材を受けたことは、記録も記憶もなく」と否定され、自分の名前が許可なく幸福の科学側の報告書に利用されたことに「大いなる不快感を禁じ得ない」と書かれています。その上で、この報告書に記載されている「内容すべてについて、一切の責任を負うことはできないことを、茲に明確に表明する」旨が記されています。

幸福の科学には、でっち上げてでも敵をつぶせという教えがあることは知っていますが、これはその教えを忠実に実践した結果というべきでしょうか。それにしても裁判において、第三者の証言をねつ造してまで信者に金を返さないという心根は、本当に卑しいと思います。(次回に続く)