2015年9月6日日曜日

(投稿)「呪縛」からの解放2  -選挙と信仰-



(紹介)
「信仰と洗脳」「利用される信仰心」「K会の呪縛からの解放①」に続いて、匿名さんからの投稿です。匿名さんは、自分の洗脳を解くための作業をされていますが、それが読者のK会の「呪縛からの解放」にも役立つと思います。

(投稿)

1.活動への復帰と選挙

私は大伝道期の挫折から、しばらく活動を休止していたが、大学時代に一緒に活動していた仲間に、OR氏の講演会に誘われたのをきっかけとして、徐々にではあるが活動に参加するようになっていった。
気づいたら、支部の青年部長にも選ばれ、毎日のように支部や本部に顔を出したり、他の信者に連絡を取るようになっていった。しかし、大伝道期の時のトラウマが残っており、活動に極端にのめり込むようなことはなかった。
また、会の活動自体も、フライデー事件のようなものを除けば、大伝道期のような極端な行動や必達目標、指示がでるようなことはなかった。試験制度や研修もそれなりに充実していて、ある意味で充実した活動時期であったとも言える。
もちろん目標というものはあったが、これが達成されなければ・・・、というような「恐怖」に訴えるような感じではなかった。K会でも内部固めをしているような感じで、「安定期」のように感じられた。

2009年の選挙活動の時も、それほど熱心ではなかったが参加した。
K実現党の主張していることは、当時の私には非常に的を得ていると感じられた。この主張が日本全国に広まったら、必ず日本は良くなると信じた。
さらに、「この実現党は仏がつくられた政党であり、地球霊団の支援霊達が応援し指導している。だから必ず今回の選挙で、自民党に次ぐ大きな政党となるに違いない」と確信していた。
しかし、選挙活動を続けている内に、徐々に不安の度合いが増していった。
「なんか最初に言われていたことと違うな・・・。」
世間の反応、ちぐはぐでコロコロ変わる本部からの指示と対応、まさに「理想」と「現実」の違いを痛感したようだった。
しかし、「必ず奇跡は起きる!」と繰り返し言われていたので、奇跡を起こすための朝令暮改であろうと思い、またそう信じていた。
この選挙でも、K実現党の成功による「未来への希望」と、失敗に終わったときの「滅亡へのステップ」が示されていた選挙では、この両方を世間に訴えていたが、そうすることによって、この希望と恐怖の両面が信者の心の中に深く刻まれていった
選挙の大敗により、信者の理想はものの見事に崩れていった。そして、結局最後までK実現党を理解せず、支持しなかった国民に対する不満と怒りを持った。さらに、これから訪れる「危機へのステップ」に恐怖した。実際に私はこのように感じたし、他の信者も同じような考えを持っていたと思う。

2.信仰の敗北、恐怖と罪悪感の呪縛

この選挙活動は「信仰心の敗北」であった信者達は「主への信仰心」を支えとして活動をしていたからだ。そして、この敗北とともに、信者の信仰心は大きく傷ついたが、見えない「鎖」のためにさらに強くK会に縛り付けることとなった。
なかでも「恐怖による縛り」を決定的なものにしたのが、選挙の翌年に出版された、ある霊能者の霊言など、いわゆる「不幸の預言書」であった。
『エドガーケイシー未来リーディング』のエドガーケイシーとジーン・ディクソンの日本が中国の植民地になるとの予言に怯え、「人類に残された希望は5%」という宣告に真っ青になった。
『人類に未来はあるのか』のあるモーゼと黙示録のヨハネの地球滅亡、宇宙人による植民地化の予言に絶望した。
この本はある講演会で先行販売されたので、さっそく購入して講演開始前に読んだのであるが、読み始めた途端、愕然として頭が真っ白になったのを今でも憶えている。真っ逆さまに奈落の底に落とされたような気分であった。
その日の講演の内容など頭に入らなかった。OR氏の声がむなしく聞こえ、自分達の力が及ばなかったために、こうした危機の事態を招くことになってしまったことを強く自責した
今思うと、この霊言の信憑性はまったく疑わしい。「霊言」という名の下に、選挙で全員落選させた世の中に向けての不満と怒りをぶつけたものでしかないように思う。OR氏は、選挙に大敗したとき、世の中に対する不平や怒りを相当強く持ったに違いない。オウムの麻原が落選した時に類似した心理状態だと思われる。
そして、おそらくはOR氏の自己保身のために、この「不幸の預言」を出したと思う。
なぜならOR氏は選挙のみじめな敗北による、信者の組織離れを恐れたに違いないからだ。
これらの本はOR氏の主張に耳を傾けず、自分を選択しなかった国民への呪詛であるとともに、「弟子の力がなかったので敗北した」と黙示録のヨハネたちに語らせ、その結果は最悪の不幸が起きる宣告することで、信者に罪悪感を抱かせ、OR氏への批判を封じたのだ。
その結果、K会の信者の心理はこう変わったと思う。
第一に世間への呪詛と怒りを深く持つようになった
第二に人類の未来に絶望しながら、ORへの信仰にしがみつくことでかすかな未来への希望を持とうとする完全な依存心理に陥った。
第三に「自分たちの力がなかったから主を敗北させた。申し訳ありません」と、深い罪悪感を抱いた
それらの心理的な要因により、さらに呪縛が深まり、伝道活動と布施にのめりこんでいくこととなった。この哀れな信者の群れの中に、私もいた。

もちろん、選挙活動の無駄にお金を散財するやり方に嫌気がさし、全員落選という敗北に疑問を感じて組織を離れた人も少なくなかった。
しかし、残った人は、さらに呪縛が深まっていく。離れた人でも、恐怖心の呪縛は解けていない。

そしてこれ以降もK会は、こうした「恐怖」を煽る路線と、「希望」をちらつかせる路線をうまく並行させて、信者の「信仰心」をコントロールしていく。
OR氏やK会にとっては、「信仰心」は信者から布施や献身を引き出すための道具でしかないと思う。私たち信者は、OR氏やK会の企みに、まんまと乗ってしまっていたということになる。

3.恐怖心をリセットする

これらの不当に植え付けられてしまった「信仰心」は、その奥にある「恐怖心」を取り除かない限り、なかなか拭い去るのは難しい。
K会の「恐怖」を植え付けるために用いる材料は、中国脅威論や宇宙人脅威論など、自分たちに危機をもたらす存在の「脅威」をベースとしている。自分たちを害するような存在を「敵」と認定し、徹底的に批判し反撃する。さらにそれらから受ける「脅威」を強調し、信者たちをまとめる上げ、コントロールする材料として利用する。
中国に占領される日本を舞台とする映画を作った理由は、恐怖心を広げて国民を巻き込むためだ。これは、OR氏やK会の常套手段である。
ただ、中国脅威論や、左翼に対抗する思想というものは、OR氏のオリジナリティではない。
それらには正当性を持った考えもあり、OR氏はこれらをベースとして極端な論理を構築し、恐怖による洗脳へと利用しているのである。オウムの麻原の手法と酷似してきたことを感じる。

私は、実際のニュースなどで、中国の東シナ海での暴挙や、安保法案への反対記事などを見ると、ついつい心が揺れてしまう。こうしたことに過度に反応するのは、心の奥にある「恐怖心」だ。それはK会で植え付けられた「恐怖心」にほかならない。だからこそ、K会で植え付けられた思想はいったんリセットする必要性があると思っている。

K会の信者は、F事件をはじめとして、自分達に対して危害を加える存在への「怒り」を持ち、場合によっては「報復」ともいえる行動をとる。私もそれを活動を通して実践してきた。それはOR氏の本性から発していると思うが、私は「信仰心の確立」を通して、OR氏のこのような意識に自分の意識を同通させてきた。
OR氏の意識の中には強い「恐怖心」が存在する。OR氏から出ている思想や教えを学び吸収し、さらに活動することによって、その恐怖心が私の心の中にも染み渡ってきたと思う。

OR氏やK会で主張していることは、K会にいたときにはまともなように聞こえていたが、客観的に見るとかなり偏っているようだ。本当にK会の洗脳をリセットするためにも、新しい知識を学びなおす必要を痛感している。

K会からの心理的「因縁」を断ち切る作業は、K会に長く深く関わってきた人ほど、多くの時間と労力を要する。一人でも多くの人がこの忌まわしき「鎖」を断ち切り、心が解放されていかれることを切に希望する。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿