2015年9月1日火曜日

(投稿)利用される「信仰心」



(紹介)匿名さんから投稿をいただきました。K会の掲げる信仰心に対して、真っ向から問いかける内容です。

(投稿)
1.中身のない伝道数字
あの100万人の伝道とはなんであったのだろうか。
この目標を達成するには、強い信仰心が必要だ、と。
そしてOR氏は繰り返し説いていた。
信仰は99%ではなく、100%をもとめる、と。
結果的に100万人は数字上達成し、教祖は高らかに勝利宣言を行った。
しかし、一体何が勝利したのであろうか。これが信仰心の勝利であるとしたら、この信仰心というものは、一体何なのだろうか
当時入会したほとんどの者はおつきあい程度の入会であったし、単なる数字合わせ程度しかすぎない、こんな中身のない数字に、一体何の意味があるのだろうか。

2.信仰心を利用する
支部のほとんどが賃貸であった時代、伝道や布施の実績が一番良かった支部に自前の支部精舎の建立を許されるというお達しがあった。そして各支部に達成目標が割り当てられ、この目標を達成するために、全国の各支部が競い合っていた時期があった。
その中に、ダントツに伝道の成果をあげている支部があった。私は当時、その支部の信仰心がダントツに高いのだろうと思っていた。
 あとで聞いた話であるが、その支部は当時、伝道数をかなり水増ししていたらしいということであった。書籍や月刊誌を送りつけて、その送りつけた先を伝道したとしてカウントするなどを平然とやっていたという。それ以外にも伝道数の報告時には数字合わせの水増しも当然のごとく行われていたということを聞いた。およそ信仰心から発生した伝道とは到底思えなかった。
 100万人大伝道の時も同様のことをしていたに違いない。ただ数を増やすためだけの中身を伴わない伝道活動。OR氏は、結果は問わないと、講演会のなかで言っていたが、実際の活動は常に結果が問われていた。結果的には、目標達成だけが目的となったため、信者など育つわけがなかった。
活動信者は、まだ入会してまもない信者もしくは活動していない信者を活動信者にするために、よく「理念を落とす」という言葉を用いていた。伝道活動の意義を理解させることで「信仰心」を持たせ、活動の原動力とすることが目的であるのだが、これは単に、伝道や布施を促進するために、「信仰心」を道具として手段として利用していたにすぎない。これは本来の宗教理念とは大きくかけ離れたものだ。
これなら、「信仰心」を政治活動に利用する、どこぞの宗教団体とさして変わりない。いや、K会も政治団体を持っているから、同類であるか、母体が小さく資金集めが厳しいために、やりかたが露骨でさらにタチが悪いかもしれない。「植福菩薩」などはそのいい例だ。

3.疑問を封じてきた歳月
 K会内の活動がこのような状態であることなど、教祖は当然分かっていたはずだ。だって、創造主、いわゆる仏でもある彼は「地球の裏側にある木の葉が落ちることも感じ取れる」はずなのだから。
 しかし、本当にこの人はわかっているのだろうか?
 自らの「主」を疑うことはいけないことであるとわかっていたが、疑問に感じることは数多くあった。そのうち、信者数は数百万人、そのうち「自称」1千万人近くにまで達していった。しかし、支部に集っている人の数は増えることがなかった。
 「法」シリーズも徐々に増えて行ったが、内容の薄さに疑問を持つことも多かった。これは本当に法なのだろうか? 巷の自己啓発本と変わらないではないか。入会した当初に感じた感動は、もはや書籍から感じることはなかった。それでも、自分の理解度が低いからだと言い聞かせて読み続けていたが、退会したあとで納得した。もともと中身がなかったからだ。
 以前に、講演会の内容が、数日前に突然変更になったことがあった。いつもは度派手な衣装で講演をしていたが、急遽変更になって、背広での講演となった。たぶん橋本龍太郎が首相の頃であったと記憶しているが、そのころの経済政策やアメリカとの関係についての提言を行ない、当初予定していた宗教的な講演内容とは全く違った内容になった。
 しかし、その鋭い指摘に、大変驚くとともに深く感動した。
 しばらくして、OR氏が、「私の考えはリチャードクー氏とほとんど同じです。」ということを言っていた、情報を耳にした。早速、クー氏の本を手にして読んだところ、驚いたことに、あの講演会で話していた内容と本の内容が同じであった。クー氏が講演会の内容をパクったのかと思ったが、初版日が講演会の日時より早かったので、OR氏がクー氏が書いた本の内容をパクったのは明白であった。
 さすがにOR氏に対して疑問を感じたが、疑いは悪魔の誘惑であるということで、自分の心にフタをしてしまった。疑問を押し殺してしまったのだ。
 その他にもそういうことが数多くあった。その度に、内なる心の叫びを押し殺してきた。

4.詐欺集団
しかしながら、信仰心とは、自分の心にウソをつくことではない。内から発するものに対して、素直に正直になることだ
 信仰の強要は、決して信仰心とは言えない。信仰心とは心の内から発する菩提心が基となる。信仰心を持て、と言われて持てるものではない。
 イエスは、「私を信ぜよ」と説かれた。「私を通して神なる父を信ぜよ」と説かれた。そして、数々の奇跡を起こした。そこには確かに信仰があった。イエスは信仰に値する存在であった。
 OR氏は、「私は神であるから、私を信仰せよ」と説いた。しかし、奇跡らしい奇跡は起きなかった。奇跡を起こすことは信仰の証明でもあると言っていたにもかかわらず。そして、選挙でボロ負けした。選挙活動が始まった当初は、40%近くはKJ党が占めるだろうと言っていたのに。K会も世界宗教になるどころか着実に衰退し続けている。奇跡どころの話ではない。さらに、それを世の中のせいにし、自らを省みない。
 OR氏やK会は、「信仰」に値する存在でも何でもない。「信仰」をエサに、人々から金品と時間を搾取する単なる詐欺集団と成り果ててしまった。 本人達にはそのような自覚はないかもしれないが。
 100万人の大伝道の時、地球を救うために、「100万人は必ず達成しなければならない目標で、それはK会が世界宗教になるかどうかの分岐点である」と、「K会が世界宗教になることによって世界は救われる」と教えられてきた。しかし、K会は世界宗教になるどころか、ものの見事に衰退し、OR氏もペテン師の本性を現した。救世主でもなんでもなかった。

5.信仰心は悪用された
私たちは「信仰心」を利用されたのだ。あのとき100万人など達成しなくても、別に世界は変わらなかったのだ。「信仰心」というマインドコントロールによって、真実が見えなくなっていただけだ。

人々の「信仰心」につけ込む行為は、まさに卑劣非道だ。K会では信者一丸となって、ニセモノの信仰心をお互いの心に刻み続け、OR氏やK会を潤すためだけの家畜と化してしまっている。「信仰心」を悪用し傷つけるOR氏やK会の罪の重さは計り知れない。彼らは早くそのことに気づかなくてはならないと思う。そして、信者の方も、誤った「信仰心」を植え付けられているという事実に気づいて欲しい。さらに、その誤った「信仰心」を他の信者に押し付けることや、世の中に広めることも同様に、自らの罪を深める行為であるということに気づいて欲しい。そして、間違った「信仰心」によって自らの心を偽り続けているという事実に、一刻も早く気づいて欲しい。

K会の創り出した闇を拡げるのも止めるのも、まさに信者次第、さらにいうなら元信者次第ではないだろうか。

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