2015年1月16日金曜日

返還請求訴訟⑧ 東京地方裁判所(第一審)の判決文(抜粋)(7)


 <解説>

第一審の判決は、一部が第二審で修正されている箇所があります。そこで第二審で指示された修正(修正箇所は赤字で表示します)を加えた形で抜粋を紹介することにします。その際、原文は【(旧)  】に入れて示します。争点5は納骨壇使用契約の解除に関するものですが、そのうち(1)は第二審で大きく書き変えられたものを既に紹介しました。ここでは(2)だけを取り上げます。

 
<判決文の抜粋>

6 争点5(納骨壇使用契約の解除又は解約の成否)について

2 被告〔*幸福の科学〕は、本件納骨壇使用契約は負担付き贈与類似の無名契約であって、申込金は御布施(植福)として交付を受けたと主張し、証人C、証人D、証人E及び承認F並びに同人らの陳述書中にはこれに沿う証言及び記載がある。しかし、永代供養料については前述したところと同様、当時者の意思としては、長期間にわたる特定の納骨壇における焼骨の収蔵【(旧)納骨壇の半永久的な利用権の設定】に主眼があると解される上、納骨壇の位置に応じて価格設定された申込金の支払が必要となるものであるから、申込金が長期間にわたる特定の納骨壇における焼骨の収蔵【(旧)納骨壇の半永久的な使用】の対価という性格を持つものであることは明らかである。

   そもそも、被告の上記主張は、信者が被告に支払う金員は、それが純然たる御布施であれ、他の名目に基づくものであれ、すべからく植福という宗教的な意味を有するものだという教義上の理解をいうものと解されるのであって、これをそのまま法的な意味での贈与に結びつけることには無理があるというべきである。

 
<解釈>

ここで注目したいのは、「申込金が長期間にわたる特定の納骨壇における焼骨の収蔵の対価という性格を持つ」という部分です。納骨壇申込金は、法的には対価であって、対価性のない布施〔*法的には贈与〕とみなすことはできないわけです。ですから贈与ではありません。教団側が、布施〔*法的には贈与〕として申込金を受け取ったと主張しても、それを裁判所は認めていません。ここは極めて重要です。ですから、「布施だから返還できません」「いただいたものは返しません」と主張してもそれは通らないわけです。

そうした教団側の主張は、「信者が被告に支払う金員は、それが純然たる御布施であれ、他の名目に基づくものであれ、すべからく植福という宗教的な意味を有するものだという教義上の理解をいうものと解される」に過ぎないのです。教団の教義としては主張できても、法廷の場では通用しません。そのことを明確にしたこの判決は評価されるべきだと思います。(次回に続く)

 

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