2014年6月29日日曜日

(投稿)渡辺淳一の霊言を読んで


(紹介)最近、大川隆法著『「失楽園」のその後 痴の虚人 渡辺淳一直伝』を読んだ感想を送りますということで、投稿をいただきました。あまりにも手を広げすぎたのでしょう。渡辺淳一氏を読みこんだ読者が読むと、内容の浅薄さが目につくようです。(種村)
 

のあまりにも希薄すぎる内容

 

(投稿)

私は2005年に脱会してから、家中の大川隆法氏の本を処分してしまい、もう全然読んでいませんでした。

渡辺淳一が、霊言を下しているというので、9年ぶりに、大川隆法氏の霊言本を読んでみたのですが、

正直いって、3分の2でやめてしまいたいほど、くだらなかったです。

 

というのは、私は高校時代、渡辺淳一が好きで、当時出ていた本は全冊読んだ記憶があるからなのです。

 

私には、この本が大川氏の創作に見えてならない直観でした。

詳しく読み込んで、分析しようという気にもならない一冊でした。

 

瀬戸内寂聴とともに、「血の池地獄」の住人にしたてあげたい意図が見えるような気がするか らです。

 

書いてある渡辺淳一氏の発言は、馬鹿みたいなことをいっており、渡辺淳一、こんなに頭が馬鹿だとは思えないのになあと思います。

 

従って、色々な意見はありません。

大川隆法氏が、一方的に渡辺淳一氏を血の池地獄の住人と決めつけ、それにあわせたような

発言を出しているという印象でしかありませんでした。

 

みなさん、この本はばかばかしいので、買う必要性はありません。

全国の渡辺ファンは、「実際に渡辺淳一が書いた作品」を読めばいいのであって、

大川版渡辺淳一の霊言を、真に受ける必要はどこにもないと思います。


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2014年6月22日日曜日

読書依存の問題点・・・K会のシミをとる⑥


K会にいた頃から、私の修行の努力といえば、メインは読書でした。

これはもともとあった傾向ではありますが、K会に入って特に強くなりました。本を読むことは手放しに賞賛されると思っていましたが、そうではないことに気がつきました。

 
本の思想に憑依される
 

本の思想に憑依されることがあるのです。憑依とは、霊に憑依されるだけではありません。本の著者の想念や思想にも憑依されます。しかも憑依されて言っているだけで、本当の自分の思想ではないことに気がつかなくなります。

以前はOR氏の本を読んでいると、何でも分かった気になるので滔々と言いたくなっていましたが、これはまちがいなく思想の憑依であったと思います。

 
さらに私は、一般的な学問の常識を重視する傾向がありましたが、一般的な学会の主流の意見であっても、それは一つの足かせになることがあります。カウンセリングとはこうあるべきだという常識的な考えが、逆に自分を縛ってしまい、救済力を減らす場合もあることに気がつくこともあります。

本を読んでも本に読まれるなとは、こういうことを警戒した言葉なのでしょう。

 
他者への関心が薄れる

 
もう一つ重要なことは、本ばかり読んでいると、人や自然への関心が希薄になるのです。私は特に、今、ここで体験していることに注意を払わないで、本にばかり目がいきがちでした。電車に乗ってもすぐに本を開く習慣がありました。目の前にどんな人が立っているのか、その人はどんな思いで今いるのかなど、まるで無関心に自分の世界に入りがちでした。これは関心の欠落を生み、そこから愛の欠乏をもたらしました。一種の自己中心的な心の状態でした。

 
逃避としての本依存

 
本を読んでいると安心する、向上している気がする、煩わしいことを考えないで済むという錯覚と逃避がありました。特に逃避の最大のものは、本を読んでいると自分の心を見つめることから逃避できるのです。自分のなかのネガティブな面と対決する、向き合うというのは、とても大変なことです。それを本を読むことを言い訳に回避しがちであったと反省しています。本依存は修業とは言えないと思います。
 
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2014年6月20日金曜日

修行における他力依存・・・K会のシミをとる⑤


他力依存の傾向


修行における他力依存的な傾向は、K会で染みついた心のシミの一つです。
 

会員の時代に、支部や精舎に行けば何かが与えられるので、それを受講したり祈願に参加したりすれば修行していると思いこみ、そこで受け身的に何かを与えられるのを待つという傾向性が身につきました。

 
その結果、本当に意味での自助努力の姿勢が希薄になりました。

 
本当意味の自助努力

 
本当の意味の自助努力・・・。それはこういうことではないかと思います。

 
自身の心の課題に日々の中で気がついていて、それを変えていく目標を立て努力をすることではないでしょうか。特にその過程で壁を感じたら、それを乗り越えるために問題意識をもって主体的に努力する姿勢が、自助努力だと思います。

 
OR氏の教えにも、「自己変革への意欲」という言葉はあります。しかし日々自己変革の課題を自覚して向上に取り組み、自分から求めていくという姿勢が、不思議なことに希薄になっていきました。

 
消えた理由

 
どうしてK会にいてそうなったかと考えると、一つ思い当たることがあります。K会では、教えの実践も、活動のイノベーションに連れてコロコロ変わり、継続性をもちません。

例えば反省という教えも、反省を重視した当初は盛んに取り組みましたが、大伝道の時に反省するとブレーキになるので、発展が叫ばれて反省はかえりみなくなりました。反省を重視して説く講師は「時代遅れ」と見なされる雰囲気が出てきました。

さらに顕著なのは、OR氏が離婚騒動をおこすと、家庭ユートピアの教えは異端視される雰囲気が教団内に蔓延しました。そのだいぶ前から、夫婦の調和や家庭ユートピアを強調すると「伝道活動の妨げになるから困る」という波動を露骨に出してくる支部長がいました。それが教祖の離婚で決定的となり、「今世はエルカンターレのために家庭をないがしろにしても仕方がないのだ。主のお役にどれだけ立つか、これこそが大事なのだ」「夫婦が信仰の理由でうまくいかなければ、いつでも別れていいのだ。それは信仰深い行為なのだ」という雰囲気が蔓延していきました。
 

結局、教祖や教団の事情によって、そのつど教えが実質的にコロコロ変わる中で、自分自身が主体的に心を向上させるテーマを発見して日々主体的に努力する姿勢が欠落していきました。そして上からの指示があったときに、そのテーマにだけ取り組むという習慣が染みついたと思います。
 

日々の心の姿勢

 
誰かから、もしくは何かから、自分が与えられるのを待つという他力依存傾向は、心の修行にとっては間違っていると思います。

自分が問題意識を持ち、自分でできる努力を常におこないながら、さらに自分の問題や心の壁について大いなるものの導きを求めていくという姿勢が必要だと肝に銘じています。そして日々その姿勢を持たなければならないと感じています。
 

その為の努力として、今心がけているのは、潜在意識の深いところにある「本当の自己」が自分に要求しているものや、顧客が要求している自分の在り方を見抜く努力をすることです。

また、他者から指摘されたことをどうとらえるかを深く考えようと努めることにしました。それが意味するものは何か、どういう心の問題につながっているのかを、日々自分に問いかけないといけないと思う毎日です。

 
「他人の過ちは見やすく、己の過ちは見難い。他人の罪は風のように四方に吹き散らすが、己の罪は、さいころを隠すように隠したがる。」(法句経)

 
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2014年6月19日木曜日

他力依存と指示待ち族・・・K会のシミをとる④



指示待ち族になる

 
OR氏の教えは自助努力の精神を重視します。ところが、K会に長くいことで、他力依存に陥っている自分を見出しました。

これは教えと行動の明らかな矛盾なのですが、K会で染みついた心のシミです。

 
他力依存は宗教の言葉ですが、現代的にいうと指示待ち族です。

私がK会の職員をしていて、1994年ごろのイノベーションの時機に、OR氏から「教団組織は大企業病になっている。職員は指示待ち族だ」と言われて、自分がそうだったので愕然としたことがありました。自分の問題だと思い、その時は反省したのですが、今振り返るとK会のカルチャーの帰結であった気がするのです。

教団では、方針と目標が与えられると、とにかくその目標達成のためには様々な努力をしました。しかし、将来的に見て組織がどうあるのがいいのかを考えて自発的に何かをするということは、非常に少なかったと思います。

その理由は2つあります。一つはOR氏の指示が直接次々に降りてきて、特に3年に一回ぐらいは大きな方針転換が起きるので、長期的な見通しを立てにくかったことです。

もう一つは、人事異動が激しかったので、その時々の方針に合わせて目標を追うだけで精いっぱいになり、自発的に何かを企画して長期的に取り組むという気持ちがなくなっていったからでした。言われたことはやる。しかしそれを見る視点が非常に狭く、広い視野からその指示を見直して、トータルで成果を上げるということができない人間になっていたと思います。命令を忠実に遂行するだけの「兵隊」的な発想です。

これは自分に主体性がなくて、単なる兵隊として命令されたことだけをやるという習慣がしみついた姿です。還俗後の支部での活動でも、献本、布教誌配布、布施の勧進、選挙活動などは、まさにそうでした。


指示待ち族を克服するために

 

この「指示待ち族」及び「兵隊」的な心のシミをとるために、今心がけていることは、二つあります。

その一つは、自分がやりたいことをやることです。その際に、次の3点を確認することにしています。

・自分は本当にこれをしたいと思っているのだろうか?

・これをしたら誰かを傷つけることにならないのだろうか?

・これをしたことで未来の自分は喜ぶのだろうか?

この三つがOKであれば、アクセルをふかせて積極的に行うようにしています。

 
もう一つは、仕事の関係で誰かの要望を受けたとき、やるべきことを自分で深く受け止めて、色々と多角的に考え、見通しを立てたうえで行動するということです。私は要望があったことだけを見て、それだけをやろうとする「兵隊」的な思考がありますので、立ち止まって考えるように修正中です。


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2014年6月12日木曜日

(投稿)2つの進化と3次元物質界の存在意義②


(前回から続く)

 
善悪2元論の世界

 もし3次元物質界が存在しなければ、地獄も存在せず、悪魔も、争いも、戦争も発生しません。

闇が、悪が、地獄が、存在できるのは、3次元物質界と4次元アストラル界の最下層だけです。ここに、3次元物質界を創造された神の意図があるのではないかと思います。

人間にとってどんなに不条理であろうとも、人間の理性では理解できなくとも、神は地球のような光と闇、善と悪、天使と悪魔という2元論の世界をよしとされているようです。

谷口雅春先生が説かれているように高次元霊界、天上界は光一元の世界であり愛に満ちた平和な実相世界でしょう。でも、神はそのような光一元の世界のみをよしとされませんでした。

人間には理解できませんが、光と闇、善と悪、天使と悪魔というダイナミックな2元論の世界をよしとされたのです。

天上界は確かに愛に満ちた光一元の世界ですが、それだけでは変化が少なく進歩もとぼしい、ある意味ではつまらない世界かもしれないという見方も出来ます。

 
3次元世界の意味

 
こうしてみると、3次元物質界には3次元物質界としての存在意義があることが分かります。高次元霊界を目指すこと、高次元霊になることだけが価値があるのではなく、3次元物質界を積極的評価に評価し生きていくことが大事だと思います。

3次元物質界を肉体を媒体として「愛」を表現することこそ「人間の使命」なのではないかと思うのです。

物欲、物質は価値中立なものであり善でも悪でもありません。

仏教を学んだ人が、3次元物質的なものを執着だと切り捨てたりネガティブに捉えたりしても、物欲を性欲を食欲を断つことは不可能です。

否定すれば否定されるというのが大宇宙の因果の理法です。逆に悪しきカルマの原因となり、仏弟子に男女問題や経済的な問題が多いのも、過去世に自然の摂理に反して3次元物質的なもの物欲を否定したり抑圧したりしたための反動・反作用かもしれません。

 
3次元物質界は一種の晴れ舞台であり、霊界は地上に生まれるまでの控室だと考えてみてはどうでしょうか。

人生はその人の個性に応じた配役を与えられ、人生こそが本番のドラマと言っていいでしょう。

映画には大作がありますが、お金をかけない少人数のものであっても大作映画に見劣りしないおもしろいもの感動的なものがあります。

人生ドラマもそれと同じで、数やスケールだけが大作だけが素晴らしいドラマではありません。

K会のように数やスケールばかり求めるのは問題です。たとえ人数は少なくても、スケールは小さくとも、ピュアな生き方、感動的な生き方という神々に評価される人生ドラマがあると思うのです。
 

チャレンジの星地球

 
地球という星はハイリスクハイリターンの星と言われています。飛躍的に魂が進化することもできるけれど、苦に満ちた地獄に堕ちる危険性が高い星でもあるのです。そのため、地球のような星に転生する人は少ないという説もあります。

平和で愛に満ちた星はたくさんありますが、地球のようなダイナミックでスリルとサスペンスに満ちた星は少なく、地球に転生したくないという人が多いという話もあります。

それによると、地球人というのはチャレンジ精神に富んだ勇気ある人として宇宙中から注目されているそうです。

何事もなく平和な毎日が永遠に続くのではドラマになりません、何の感動も与えられません、そんなドラマを誰も見たがりません。

地球の人生ドラマほど波乱万丈で面白いドラマはないそうです。観客は霊人達や宇宙人だそうです。

実は神こそが、地球における人生ドラマ、光と闇、善と悪、天使と悪魔の2元論のダイナミックなバトルドラマを望んでいる観客なのかもしれません。(了)

(小川幼子)
(コメント)
誰がこの3次元世界や肉体をつくったのかといえば、偉大なる叡智であり大宇宙の創造主というべき存在でしょう。この創り手の視点から見ると、創造主が肉体をつくり性欲を与え、食欲を与えているのですから、肉体や欲望それ自体が悪であるはずがありません。
本来欲望は人間の心身を健全に維持するために必要なものですし、それが適度に満たされることは、健康と幸福を増大し、心の進化にも役立ちます。
たとえば薬も適量もちいれば病気を治しますが、多すぎると毒になって命を損ないます。この適量というものが智慧のいるところです。欲望も同じだといえます。その智慧を学び身に着けるために、色々な経験をしていると思います。
3次元世界や、3次元の存在の意味を、進化の観点から積極的に肯定する点で、この論者の意見はとても有意義であると思います。悪と見えるものの存在も、こうした視点で捉えるなら、それを一方的に裁くのとは違った善悪不二の受け止め方ができます。悪と見えるものがあることで、進化が促進されるという側面です。そこには裁きを克服する視点が出てくると思います。(種村)

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2014年6月11日水曜日

(投稿)2つの進化と3次元物質界の存在意義①



(コメント)

宗教的なものに惹かれる人はこの世的なもの、物質的なものを否定的に見る傾向性を持っています。その結果、この世的なことを軽んじて、失敗する人も少なくありません。この傾向性を克服するための有力な武器になると思われる思想を、小川幼子さんが投稿してくださいました。非常にユニークな視点だと思います。2回に分けて掲載しますので、是非ご一読ください。(種村)

 (投稿)

 宇宙の二つの流れ

 大宇宙は一なる神であるところのホワイトホールがビッグバーンすることにより創造されたという説があります。

つまり、一なる光源から分光し、分化、個性化することにより万物が創造されたということです。

 大宇宙にはこの分光という流れと、逆のプロセスである、一なる神に戻っていく集光、統合、ワンネスという流れ2つの流れがあります。


通常は集光、ハイアーセルフ、神と一体化することを進化と呼んでいるようです。

K会でも、4次元よりも5次元、5次元より6次元と、次元が高ければ高いほど進化している、悟りが高いという教義になっています。そして人霊としては9次元霊こそが最高度に進化したものということになっています。

こうした考えは、低次元は価値がない、3次元物質界は仮の世界であり3次元的物質的なものや欲望は値打ちのないもの執着すべきものではないと、宗教的な禁欲や禁酒などの物欲否定の教義なっていくのです。

 
宗教家というものは、3次元物質的なものや欲望をネガティブに捉える傾向があります。3次元物質的なものや欲望を断つことにより、悟りが得られ高次元へと進化できると考えます。そのため世俗を離れ出家してみたり、ヨガとかお籠りしたりとか特殊な修行をしなければいけないという考えを持っている人が少なくありません。

 

もう一つの進化

 
でも大宇宙には集光と分光という大きな2つの流れがあるのであれば、創造主から見れば、分光もまた進化だと言えるのではないでしょうか。

大宇宙の創造とは、一なるものが分光し、分化し、個性化しいくプロセスを通して行われます。こうした観点から見ると、分化・個性化が進めば進むほど進化したとも言えるのではないでしょうか。

つまり、最も一なる神から遠く離れ分離した、最も低次元で波動が荒い地球の3次元物質界こそが、分光という流れから見たら最も進化した形態、ある意味では最終進化段階にあると言えるわけです。

 

こうした観点から見ると、3次元物質界の存在意義もまた変わってきます。

そもそも最も低次元である3次元物質界が、値打ちのないレベルの低い退化した世界、仮の世界だとするなら、創造主が3次元物質界を創造する意味が理由が分かりません。

 ですから3次元物質界こそが、分光という創造プロセスにおける最も進化した形態であり、重要な存在意義があると考えるのが合理的だと思います。

(次回に続く)

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2014年6月8日日曜日

(投稿)K会の洗脳・・・「平等と公平」を考える


(紹介) 私のブログを時々読んでくださっているという小川幼子さんから投稿をいただきました。私のブログの「差別観の克服」を読んで、ご自分の経験と思索によってつかまれた内容を書いてくださいました。 私の言いたかったことを、少し角度を変えて補完してくださっていると思います。感謝申し上げます。
なお「差別観の克服①②③」はこちらからアクセスしてください。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/05/k.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/05/k_31.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/06/k.html

(投稿)

1.平等と公平

平等とは神の法則のもとの平等ということだと思います。全ての存在は一つの例外もなく、因果の理法や波長同通の法則などの大宇宙の法則により厳格に法治されています。

また公平とは、人間には個性というものがあり、他者を著しく害さない限りお互いの個性を尊重しあい個性に応じて公平に処遇すべきだということだと思います。 

K会における平等と公平は、努力と強者の教えだと思います。人間は自分の意志で生まれて来る環境を選択してくるのだから環境のせいにしてはならない、他人のせいにしてはならない。全ては自分の自由意思で選択した結果責任、自己責任であると説きます。

K会では可能性としては平等と言いますが、実態論としては人間には能力や体力などの格差があり一律に論ずることには無理があります。スポーツでさえ体重制を採用しており、著しく体重差がある場合にはいかなる努力によっても勝つことは不可能です。ですから、「悪いのは全て努力が足りないから」と弱者を切り捨てるのは現実を無視した愛のない強者の暴論です。

K会における努力とは、エルカンターレ信仰とORの説く仏法を学ぶことです。幸福になれないのは、信仰心が足りないからだ、仏法の学びが足りないからだと、信者の努力不足が原因だ自己責任だと一刀両断に切り捨てます。

2.K会の洗脳と上下感覚

K会にいると、自分は光の天使だ、悟っているんだ、他の人達とは違うんだと洗脳され、無意識に自分を偉しと、他人を見下したり自分を正しいとして他人を裁くようになります。上下感覚が強いのがK会の信者の特徴です。

というのはワンネス自他一体であり、自由と個性を最大限尊重するものだと思うのです。

しかしK会の正しき心の探究(ORの教え)を学べば学ぶほど、自分を正しいとして他人を裁き批判し自他を分けていくことになります。

また、すぐに自説(ORの教えですが)を主張し、論破しようとしたり、相手の間違いを指摘しようとするのも、K会の信者の特徴です。

人間というものは信頼関係がなければ相手の言うことを受け入れようとしないものです。K会の信者には受容というプロセスが、愛が欠けています。相手が間違っていると思っても、まず忍耐強く相手の話を聞き、優しく受け入れ、信頼関係を築くということが大切です。

全てをORに委ね、自分の頭で考えることができないのもK会の信者の特徴です(カルト脳と呼んでいます)。「法をまげてはいけない」「信仰心は100%を要求する」と洗脳され、全てORの言いいなりになり個性のないORのコピーマシンなり、疑問を持つと信仰心がない阿鼻叫喚地獄に堕ちるなどと恐れるようになっていくのです。

このように、人間にとって一番大切な愛、自由意思、個性が失われていくのです。

3.波長同通の法則

K会の信者は、正法には「」と「規則」の2つの概念があることを理解していません。

とは波長同通の法則や因果の理法などで、一つの例外も許されない大宇宙を貫く神光物理学的法則を言います。一方、規則(ルール)とは時代や国などに応じて変わるものです。

K会の教義では9次元霊の霊言を受けられるのは9次元霊だけということになっています。これは正法における法と規則という概念を混同していることからくる間違いです

9次元霊は、3次元から9次元までの全ての波長域を出すことができるから9次元霊なのです。ですから、8次元の波長を出せば8次元霊にも霊言を送ることが出来ます。

これを波長同通の法則と言います。しようと思えば、9次元霊であっても8次元霊や7次元霊に霊言を送ることは可能です。つまりORが9次元霊でなくとも、9次元霊の霊言を受けることができるということです。
 
ORの一夫多妻制は正法の規則に当たり、宇宙レベルで見れば善でも悪でもないのでしょうが、地球的正法では悪になり許されるものではありません。たとえ大如来であっても(ORが大如来だといっているわけではありません)地球人である以上は、地球的正法に従わなければなりません。

4.過去世認定に思う

私は種村さんのように職員でもなく、単なる一会員です。

ただ、初期の頃、皆の前である有名な講師に「過去世仏弟子であった」と言われたことがあります。

言われる前までは、この世的な低い自己評価から、自分を光の天使だなどとは思ったことはありません。

しかし、過去世認定とは罪なもので、過去世偉大な光の天使だと言われると増長慢になるか、逆に現実の惨めな自分とのギャップに苦しむか、どちらにせよろくなことがないと思います。

仏弟子と言われ、使命を果たさなければならないというプレッシャーと、現実世界における無力な自分との間の葛藤でずいぶんと苦しみました。

その後退会し、時間の経過とともにK会に対するマイナスの想いも少なくなりました。

今はK会に残っている人たちがOR信仰から解放されるよう願い、時々こうした投稿などを行っています。

K会を辞めてから、愛が一番大切だということが分かるようになりました。
(小川幼子)
 
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