2014年6月8日日曜日

(投稿)K会の洗脳・・・「平等と公平」を考える


(紹介) 私のブログを時々読んでくださっているという小川幼子さんから投稿をいただきました。私のブログの「差別観の克服」を読んで、ご自分の経験と思索によってつかまれた内容を書いてくださいました。 私の言いたかったことを、少し角度を変えて補完してくださっていると思います。感謝申し上げます。
なお「差別観の克服①②③」はこちらからアクセスしてください。
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/05/k.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/05/k_31.html
http://tanemura1956.blogspot.jp/2014/06/k.html

(投稿)

1.平等と公平

平等とは神の法則のもとの平等ということだと思います。全ての存在は一つの例外もなく、因果の理法や波長同通の法則などの大宇宙の法則により厳格に法治されています。

また公平とは、人間には個性というものがあり、他者を著しく害さない限りお互いの個性を尊重しあい個性に応じて公平に処遇すべきだということだと思います。 

K会における平等と公平は、努力と強者の教えだと思います。人間は自分の意志で生まれて来る環境を選択してくるのだから環境のせいにしてはならない、他人のせいにしてはならない。全ては自分の自由意思で選択した結果責任、自己責任であると説きます。

K会では可能性としては平等と言いますが、実態論としては人間には能力や体力などの格差があり一律に論ずることには無理があります。スポーツでさえ体重制を採用しており、著しく体重差がある場合にはいかなる努力によっても勝つことは不可能です。ですから、「悪いのは全て努力が足りないから」と弱者を切り捨てるのは現実を無視した愛のない強者の暴論です。

K会における努力とは、エルカンターレ信仰とORの説く仏法を学ぶことです。幸福になれないのは、信仰心が足りないからだ、仏法の学びが足りないからだと、信者の努力不足が原因だ自己責任だと一刀両断に切り捨てます。

2.K会の洗脳と上下感覚

K会にいると、自分は光の天使だ、悟っているんだ、他の人達とは違うんだと洗脳され、無意識に自分を偉しと、他人を見下したり自分を正しいとして他人を裁くようになります。上下感覚が強いのがK会の信者の特徴です。

というのはワンネス自他一体であり、自由と個性を最大限尊重するものだと思うのです。

しかしK会の正しき心の探究(ORの教え)を学べば学ぶほど、自分を正しいとして他人を裁き批判し自他を分けていくことになります。

また、すぐに自説(ORの教えですが)を主張し、論破しようとしたり、相手の間違いを指摘しようとするのも、K会の信者の特徴です。

人間というものは信頼関係がなければ相手の言うことを受け入れようとしないものです。K会の信者には受容というプロセスが、愛が欠けています。相手が間違っていると思っても、まず忍耐強く相手の話を聞き、優しく受け入れ、信頼関係を築くということが大切です。

全てをORに委ね、自分の頭で考えることができないのもK会の信者の特徴です(カルト脳と呼んでいます)。「法をまげてはいけない」「信仰心は100%を要求する」と洗脳され、全てORの言いいなりになり個性のないORのコピーマシンなり、疑問を持つと信仰心がない阿鼻叫喚地獄に堕ちるなどと恐れるようになっていくのです。

このように、人間にとって一番大切な愛、自由意思、個性が失われていくのです。

3.波長同通の法則

K会の信者は、正法には「」と「規則」の2つの概念があることを理解していません。

とは波長同通の法則や因果の理法などで、一つの例外も許されない大宇宙を貫く神光物理学的法則を言います。一方、規則(ルール)とは時代や国などに応じて変わるものです。

K会の教義では9次元霊の霊言を受けられるのは9次元霊だけということになっています。これは正法における法と規則という概念を混同していることからくる間違いです

9次元霊は、3次元から9次元までの全ての波長域を出すことができるから9次元霊なのです。ですから、8次元の波長を出せば8次元霊にも霊言を送ることが出来ます。

これを波長同通の法則と言います。しようと思えば、9次元霊であっても8次元霊や7次元霊に霊言を送ることは可能です。つまりORが9次元霊でなくとも、9次元霊の霊言を受けることができるということです。
 
ORの一夫多妻制は正法の規則に当たり、宇宙レベルで見れば善でも悪でもないのでしょうが、地球的正法では悪になり許されるものではありません。たとえ大如来であっても(ORが大如来だといっているわけではありません)地球人である以上は、地球的正法に従わなければなりません。

4.過去世認定に思う

私は種村さんのように職員でもなく、単なる一会員です。

ただ、初期の頃、皆の前である有名な講師に「過去世仏弟子であった」と言われたことがあります。

言われる前までは、この世的な低い自己評価から、自分を光の天使だなどとは思ったことはありません。

しかし、過去世認定とは罪なもので、過去世偉大な光の天使だと言われると増長慢になるか、逆に現実の惨めな自分とのギャップに苦しむか、どちらにせよろくなことがないと思います。

仏弟子と言われ、使命を果たさなければならないというプレッシャーと、現実世界における無力な自分との間の葛藤でずいぶんと苦しみました。

その後退会し、時間の経過とともにK会に対するマイナスの想いも少なくなりました。

今はK会に残っている人たちがOR信仰から解放されるよう願い、時々こうした投稿などを行っています。

K会を辞めてから、愛が一番大切だということが分かるようになりました。
(小川幼子)
 
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2 件のコメント:

  1. (ご紹介)小川さんの投稿に対して、別の角度からの読者のコメントをいただきました。ORの洗脳を完全に解くために、老婆心からのコメントであると思います。ここに紹介します。(種村)

    (コメント)
    平等は神の法則の元に平等、というのは大きくは誤ってはいないと思いますが、これはK会の思考の範疇だと思います。
    平等とは、いうまでもなく、各人の中に神の魂が与えられているということだと思います。

    公平とは、公平な処遇も確かに入ってはいますが、処遇ならORの域を超えないでしょう。
    公平とは、各人の努力の結果、悟り(幸福)が境地に応じて発露するということだと思います。
    処遇という思いからは、自我我欲、高慢心、裁きをなどを生んでいきやすいと思います。

    相撲取りで体が大きくない方でも横綱をとっています。こういう方は、努力が足らないと思い、必死で努力しています。そして、勝ち得ています。
    環境や生まれた条件に固執せず、制約を受けず、ある意味、自分で自分(の制約条件)を切り捨てているのだと思います。だから悟りの向上(成長)があるのでしょう。
    そういう意味では、可能性の平等は正しいと思います。これが平等でなければ言い訳け、あきらめ、絶望などが出てきます。

    K会の教えは、愛がなく切って捨てるというのは、絶対に正しいです。

    脱会して、愛が一番大切だと気がついたのは、同じ課題の者同士、嬉しいですね。

    もし揚げ足とりになっていたらすみません。
    一生懸命に投稿して下さっていますので、感謝しております。

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  2. (紹介)
    読者の方からブログへのご感想をいただきましたので、ご紹介します。直接このブログ内容に関するものではないのですが、大変ユニークなご意見です。ありがとうございました。(種村)

    (感想)
    私は、私の友達が皆、幸福の科学に無関心か、嫌いだったので、
    脱会したら、「良かったわね」と言われた部類です。だからそのまま昔からの
    友達とつきあっており、退会は信者との接触がなくなったに過ぎません。

    ある人からは「お金もちを救う宗教だね、やめて良かったよ」と言われ、
    またある人には、「やめて良かったと思うわよ。カルトだと思うわよ」
    などと言われております。

    ま、私の中では、幸福の科学は「悩みの種」だったんです。実は。
    「私は幸福の科学の組織がいやでたまらない」が、会員時代の
    「悩みの種」だったのです。

    「幸福の科学に入ったら、大きな悩みが増えた。それは幸福の科学の
    組織がいやでたまらないということだ。」だったんです。

    だから、その大きな悩みの種は、脱会後消滅しました。

    組織では、「魔がはいった」とか、幸福の科学批判者を悪魔視したり、
    「悪霊がついている」とか、そういうことを言いたがりますが、
    そういうこと自体が、私が大嫌いな要素でした。

    脱会したら、そんなこともなくなり、幸せです。

    悪霊だとか悪魔だとか、そういう話自体を、私が好まないからなのです。
    もっと楽しいこと、考えて生きていたいからなのです。

    種村さんのブログを読むと、「自分と正反対」で、あははと笑いが出ます。
    私が体験しそうにもない、心境です。
    ま、素から、幸福の科学には向いていなかったのでしょう。

    菩薩になりたい、などと思いもせず、むしろ、「やめてくれー菩薩なんて。
    そんなものになったら大変だ。大変な人助けの世界だ。大変だから
    ならなくていい」などと思うような人間だったので、菩薩願望も
    100パーセントありませんでした。あはははは。
    自分は自分でいいというスタンスです。

    熱心な信者の目からすると、そういう私は「何もしない役立たず」と思われていたようで、よく裁かれました。あははは。
    だから、私は「裁きの科学」と内心思っており、信者とつきあいがなくなって、
    幸せです。

    幸福の科学職員アレルギーがあり、この間まで治っていませんでした。
    それほど、幸福の科学職 員にアレルギーに近いものをもっていました。

    種村さんのブログを読んで、「職員の視点」が書かれてあるので、
    ふむふむと思い、「あー、だからこうなるんだあ」と納得ができて、
    それで、少しだけアレルギーが治りました。あはははは。

    私はそれほど、幸福の科学職員を信者時代嫌っていたのです。
    ごめんなさいね。「ああ、あの人たちかあ」という具合にです。

    なんか「職員特有の共通項目があり」、それが私が職員嫌いになった
    原因ですが、それがなんなんだか、うまく説明できずに、
    もやもやした形であったのです。

    それが種村さんのブログを読むことで、職員がどういう心理状況になるかが
    把握できて、なるほどねーと思い、長年の職員アレルギーが少し治ったように
    も思います。

    がしかし、職員嫌いは、治ってはいませんね。アレルギーは治ったようにも
    思いますが。

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