2014年3月18日火曜日

K会の心のシミをとる①…慢心


心のシミをとるために

 

悪質なカルトであるK会と教祖OR氏とは、物理的のみならず、精神的にも霊的に完全に決別することが必要です。


しかし、完全に精神的、霊的に縁を切るということは、並々ならぬ決意と努力が必要だと感じています。

特に私のように、教祖の側近の幹部だったものは、教祖の教えを学び、その意を汲むことに長い年月をかけてきてしまいました。間違った思考や物の見方は心に染みついております。

その染まった汚れを取り去り漂泊するには、まず教祖から受けた「心のシミ」をひとつひとつ自覚していかなくてはなりません。気が付くことで「浄化」も可能になるからです。気が付かなければ、汚れは残ったままです。

そのシミが霊的にOR氏の生霊や、K会の悪い波動を知らず知らずに呼び込んでしまいます。類は友を呼ぶからです。教祖の生霊が思考の同質性の部分をついて、入り込んできます。

私は、K会の教祖からつけられた心のシミを発見して、それを取り去る作業を今なお継続中です。私が気づいたことを、元信者の方や退会を考えている方のお役に立つことを願って、公表させていただきます。書いた内容は、私自身の反省に基づいております。

 
慢心という心の病
 
教祖は神仏への礼節のない方だと思います。そのためにK会にながくいると、神仏への礼節が欠けてきます。

OR氏は自分がいかなる神々や仏より偉いと思って慢心しています。弟子は、天上界の序列は、OR氏への距離の近さで決まると思っています。ですから、側近であればあるほど、ほとんどの如来菩薩や神々より偉いはずだと無意識的に思っていきます。こうして「慢心」していくのです

ですから、慢心という「心のシミ」を取り除くには、自分の小ささを自覚して、謙虚に、礼節をもって、身を低くして神仏に首を垂れる姿勢が必要だと思います。特に心の首(こうべ)を垂れることが、何よりも大切です。

祈願や祈りでも、謙虚に頭を低くしてお願いしなければ、神仏のご加護はないものと思い、意識して謙虚さを取り戻す必要があります。

いかに悟ろうとも、煩悩のこの肉体を持ちながら人生を生きるものと、純粋に神仏のみ手足となって働かれる天上界の神仏の立場というものは、明らかに隔絶しております。そのことを一瞬たりとも忘れないことが大切だと思います。

そして常に神仏への感謝の祈りと参拝を肝に銘じなければならないと戒めております。これが人間としてのあるべき姿であると思います。

 K会にながく身を置いたものは、自分を「偉い」と錯覚していきます。宇宙の根本仏を自称する教祖の弟子であるだけで、既に偉いと思いあがるのです。その思い上がりにより、万事修行において甘くなり、己の心の浄化において甘くなり、ぞんざいになります。これは慢心して謙虚に修業をしない教祖の影響でもあります。

 
読書の隠れた弊害


 K会の教祖は修行をせずに、本ばかり読んでおります。読書量を誇りますが、これは自己防衛のための知識です。大量の知識で自己防衛しているのです。そこには、自己保身の気持ちが隠れています。

 また教祖の知は「手段としての知」です。ソフトとしての金儲けのための知識を仕込んでいるのです。

さらに己を偉大に見せかけるため、知識を利用しています。

 つまり知の奥に、自己保存(恐怖心)と欲(金銭欲、名誉欲)があります

  ですから、教祖の影響を受けて読書していくと、自己保存欲、金銭欲、名誉欲がどんどんつのっていきます知識を持てばもつほど、臆病で傲慢で鼻持ちならない人間になっていきます。

 慢心を助長する方向に向かっていたり、自己保存の心が読書へと駆り立てている時、OR氏と同類になっているという自覚が必要だと思います。

  大量の読書を勧めることは、よいことだと思われます。ゆえにその影に気がつきにくいものです。それがOR氏の手口です。一聴すると良いことを言いますが、その基本にはOR氏の心の闇が必ず入っていることに気が付くことが、心のK会の影響を、心のシミを取る必要条件になると思います。

 
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2 件のコメント:

  1. 大川の読書についてですが、読書は頭を鍛えてくれて知識を与えてくれますが行いがないと 光になりません。

    シュリハンドクの例をあげれば 知識より毎日の生活での行いが悟りにつながるとわかるでしょう。 心は行いに現れるから 行即光 です。

    また悟りをひらいている人は読書はそんなにしません。

    本物は本を読まなくても過去世で学んだ知識が出てくるからです。
    また観自在の霊能力も出てくるから自然にわかるのです。

    それに昔の文献などは書いた人達の思考フィルターが何重にもかかって変質してるので
    正しくないのです。聖書も仏典も含めて歪んでるのです。

    大川が 大量の読書家 という事実だけみても、実は何も悟っていないという事の証明にもなるのです。

    また理屈をつめれば詰めるほど、心の知の領域だけが膨らんで、心の形が歪んでしまうの
    で悟りから遠ざかるだけです。
    悟るには想念帯の汚れを落とす反省だけでなく、心を丸く保つことも必要なのです。

    以上横から失礼しました。






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  2. (読者からのコメントをいただきましたので、ここに掲載させていただきます。鋭い指摘をいただき、教祖と教団の実態がさらに明確になったと思います。感謝申し上げます。)

    (投稿)
    言われる通りだと思います。
    仏陀と信じているので、信じれば信じる程、自分が偉いと思えてくるのはその通りだと思います。
    私もそうでした。
    純粋な時は、誇りと感じ、恥じない心と行いを努力し、日々謙虚に反省しておりました。
    それが、教祖の高慢心が伝染し、自分は最高神の弟子ということで、慢心していきます。
    教祖は、神々を下に見る「上目線」的な発言が神々に対しても多々見られたと思います。
    又、神々を自分に降臨させ霊言させる方法を見せて信じさせていました。
    ですから余計に伝染し、慢心していったと思います。
    謙虚なつもりでも他人に対して、上目線でした。
    三次元の世界だけが世界と信じて苦しんでいる人々を、上目線で哀れむようにみてしまうのです。
    この法がわからないレベルの低い人々、三次元に捉われた人々・・・というようにみてしまいます。
    更に、仏陀の法がわからない人々を裁くようになっていきます。
    このように心が変遷していったのは事実です。
    これは明らかに教祖の影が、祈り、読書や言葉、実践を通じて自分の中に入っていると思います。
    教祖の影だらけで、教祖の思考パターンになっていきます。

    鵜呑みにした知識だけで実践が伴わないからその正邪の判断ができなくなっていきます。
    又、パターン化された見方、考え方を身に付けて、実践するほど、影が投影されます。
    これが、洗脳だと思います。悪魔の洗脳指導は巧妙ですね。

    やっかいなのは、初期の天上界の指導の存在や法の実践による現象だけをみれば、法と一致するところです。
    教祖の転落は教祖の内心の話で、その外にある信者が気づくには、過去の記憶が邪魔をします。
    ですから、ORは会員への真実の情報を遮断し、教団の偽の内情や偽実情、偽の神聖な言い回しの情報を与えます。
    又、魔の存在を強調し、恐怖心を利用して、これは見てはいけないとか、接してはいけないとか、制限をかけています。
    そして、信仰心を継続させていきます。
    つまり、慢心や他人への悪魔視を継続させていき、自分の欲望の手先にしていきます。
    ですから、実働会員にもかなりな慢心が根深いものとなっています。

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