2013年11月27日水曜日

『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告⑤ 判決の問題点


判決に対する私の見解


 これまで私は、この裁判の判決の概要を紹介してきましたが、ここで私の見解を述べさせていただきます。


 結論から言うと、この判決は不当判決です。そして大きな禍根を将来に残すと確信しています。その理由は3つあります。

 第1の理由は、大川隆法氏の霊言方式による意見の表明や論評は、信者以外の一般の読者はそれを信じないという認定が、まず誤っています。

 そもそも幸福の科学は、大川隆法氏の霊言集の発刊によって教団を形成してきた歴史があります。私も霊言集を読んで、大川隆法氏の言葉を信じ、会員になり職員になった一人です。つまり霊言方式による大川氏の言葉を、文字通り霊の言葉として信用し、その内容の真実性を信じた人々が信者や職員になってきたのです。信者数を大川氏は1000万人を超えると大語し、全世界に広がっているといいます。そして、世界各地にさまざまな自前の施設が立てられています。つまり、一般的な読者の中に、霊言方式で表明された大川氏の意見や論評を信用する人が多数存在し、教団の主張によれば今なお世界に増え続けているわけです。また、信者にならなくても大川隆法氏の愛読者はさらに数多く存在しています。

また幸福の科学は中学、高校の学園を2校建設していますし、大学も建設中です。幸福実現党という政党を結成して、数十万票を獲得しています。これは大川隆法氏が一定の社会的信用を得ていることを示唆しています。

ゆえに大川隆法氏の意見の表明や論評は信者以外にも信じる人がおり、それゆえに本書籍の刊行により私の社会的信用が低下することは否定できません。私は大川氏の霊言で誹謗されたあるマスコミの方から、信者以外の人が霊言の影響を受けて攻撃的なメールを送ってきたとお聞きしたことがあります。信者以外にも霊言を信じて攻撃的になる人が出るのです。一般読者は信じないという判決の判断は、絶対に誤っています。

2の理由は、こうして生じた社会的信用の低下の結果のみならず、本書が発刊されて一般書店に並べられ、新聞広告が出されるということ自体で、私は非常な精神的苦痛を受けました。それに対する配慮がこの判決にはまったく見られません。精神的心理的な被害の程度を確認するために、通常は証人喚問が行われるそうですが、私の場合は証人喚問すら行われませんでした。被害を受けた私の気持ちは、考慮すらしてもらえなかったのです。この一点だけでも、私は不当判決であると考えます。

これは私の憶測ですが、私より先に結審した大川きょう子氏の名誉棄損裁判で、非常によく似た判決が出ていたため、今回はそれにあてはめることを優先し審理を尽くさなかったと思われます。実に不当な手抜き裁判です。

3に、そしてこれが最も重要なのですが、この判決により、司法は大川隆法氏に霊言方式であれば誰に対していかなる内容を書こうとも名誉棄損にならないという保証を与えてしまいました。これがもたらす災禍を想うと、私は慄然とします。

この判決によって大川隆法氏は、自らへの批判者に対し「霊言方式による人格攻撃」を、法を気にせず自由にできることになります。そして教団の組織と財力にものを言わせて、それを広告し、批判者を追い詰めることも自由です。単なる一個人、私人に対しても、何お懸念もなく行えます。名誉棄損の被害を受けた個人には、法による救済は与えられません。司法はカルトによる言論の暴力から、個人の人権を守ってくれません。これがこの判決の意味するものです。

 霊言問題に関して、さらにいうならば、大川隆法氏は天皇陛下の霊言なども平気で書籍にしています。『今上天皇元首の本心 守護霊メッセージ』では、大川隆法と幸福実現党が主張してきたこととほぼ同じことを天皇陛下もお考えであると、読者に印象付けています。憲法草案では天皇は京都に引っ込んで伝統行事や祭祀に特化して、政治的に責任が発生しないようにするべきだと言いつつ、本書では今上天皇が幸福実現党の政策と実によく似た見解を述べる内容となっています。天皇陛下は幸福実現党の政策を支持している方のように見えます。そう思って喜んだ幸福実現党の党員、シンパは多いと思います。これは露骨な天皇の政治利用です。これによって、右翼や伝統的保守派の幸福実現党への批判を抑え込むことを意図しているのだと思います。このような新手の天皇の政治利用に対しては、厳しい批判がなされるべきであると考えます。

 そのほか幸福の科学に批判的なマスコミ人等に対しては、名指しで霊言方式での誹謗中傷を行い、公然と悪魔視しています。

こうした悪辣なカルトの言論活動に対して、この判決は法による救済に道を閉ざしてしまったと言わざるを得ません。法に依る制約を受けないカルトの権力が横暴さの度合いを増した時、この判決の持つ過ちが誰の目にも明らかになり、歴史によって裁かれるに違いないと思います。大川隆法氏とK教団に対して、このような「霊言方式により人格攻撃できる表現の自由」を与えてよいのでしょうか。これはあまりにも危険です。大川隆法氏に人格攻撃の自由を与えた今回の判決は、将来に大きな禍根を残すと思います。

私はこのような惨禍を絶対に防ぐためにも、控訴審で戦い続けます。この裁判のゆくえは私個人の名誉の問題にとどまらないのです。必ずや勝利してゆきたいと思います。

 

この裁判への私の見解は、以前にブログに書いたことがあります。関心のある方は、下記のアドレスをクリックしてください。

http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/03/blog-post_19.html

2013年11月24日日曜日

『舎利弗の真実に迫る』名誉毀損裁判の報告④



大川氏の憑依に飲み込まれた裁判官

今回の名誉棄損裁判での裁判所の判断は、大川隆法氏の意図するところへと誘導されたように思います。そういう仕掛けが『舎利弗の真実に迫る』にはあります。それは、本書で大川隆法氏が、次のように述べている点です。大川氏が本書を書いた意図について、判決ではこう書いています。

(被告大川は)「原告(種村修)と訴外きょう子と結託して別派活動をしたならば、古い会員などを引っ張っていけるチャンスもあるのかなと感じるので霊的な部分についてきちんとしておかなければならないとか、原告(種村修)が、『今、別派的な動きをしており、当会に多額の布施をした信者あたりを狙って、布施をしたお金を取り返させ、それを資本金にして別派をつくろうとしているらしいということが分かっています。彼が舎利弗であったか否かについては、とっくの昔に明らかにし、否定しておかなければいけないことであったと思います』などと記載しているから、・・・」

 つまり、大川隆法氏は私がきょう子氏と結託して古い信者を引っ張ろうとしているとか、布施返還を仕掛けてそれを元手に別派をつくろうとしているとか、自分の妄想を書いています。何の根拠もないことですし、事実はまるで違います。このことでも大川隆法氏に霊能力がないことが証明されてしまいました。

 
 大川きょう子氏の離婚訴訟に私はきょう子氏から依頼されて、陳述書を出したことがあります。動機は、きょう子氏個人に対して、教団をあげてバッシングする大川氏のやり方は汚いと思ったからです。それは以前、大川氏の主張を信じてきょう子氏一人を悪者に考え、集団呪詛に加わったことへの謝罪という意味もありました。きょう子氏との関係はそれだけです。

 仮にも仏陀と名乗った人が行うことではないと思います。ですから私は心から悔いたのです。

  また布施返還に関しては、大川氏に幻滅し納骨壇を返却しお金の返還を求めた信者に対し、支援をしたことはありますが、返還されたお金を資本金にして別派をつくるなど、大川氏の妄想もいいところです。私の仕事は心理カウンセラーであり、私はこの仕事を天職と考えているからです。

このような被害妄想を重ねる大川氏は強度な憑依(のりうつり)状態であるとしか言えません。強度の憑依状態の人の話を聞いたり、書いたものを読むと憑依の伝染を受けますので注意が必要です。

 しかし、裁判所は本書で大川氏が上記の主張をしていることを根拠に、私の名誉棄損裁判が宗教とその別派に対する内部紛争であると、誤って解釈したようです。いわばコップの中の嵐であり、うちわもめにすぎないため、そうした状況で書かれたと見なされる本書を、一般の読者は信じることは考えられない。だから原告の私の社会的信用は本書によって低下しないという論理が見られます。それは先ほどの引用箇所に続く判決文によって明らかです。判決はこう続けています。

「一般の読者は、本件書籍の執筆及び出版が幸福の科学内部における別派活動の紛争に端を発するものであって、かつ、被告大川が原告(種村修)の別派活動を教団に波及させないようにするための書籍であるとの印象を受けるといえ、本件書籍に記載されている内容はかかる被告大川の意図に基づき著された内容であると判断するということができる。この認識を前提として原告の主張を検討する。」

 裁判所は内部紛争であると誤解することで、教団が邪教化していくのを防ぎたいと思って抗議した個人を、教団が自由にバッシングしても、何らの法的な制約を加えられないことを判例として残してしまいました。大川氏の描いたストーリーそのものが何の根拠もない妄想であるにもかかわらず、そのストーリーを認識の前提において判決をしているのです。私はここに、大川氏の強度の憑依の影響を受け、それに飲み込まれた裁判官の姿を見ます。

 次回には、私から見たこの判決の問題点を書きたいと思います。


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2013年11月22日金曜日

『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告③


4.判決の趣旨

論点3 一般人は事実だと認めない。ゆえに社会的信用は低下しない。

 この判決では、名誉毀損はどういうものかについて、次のように書いています。

「名誉棄損の不法行為は、問題とされる表現が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、成立し得るものである。」

 つまり「名誉棄損」という「不法行為」は、「事実」の摘示のみならず、「意見」や「論評」であっても、それが私の「人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるもの」であれば「成立」するというわけです。

 ここだけ見ると、私への名誉棄損は明白なはずです。ところが「ある記事の意味内容が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは、該当記載についての一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断すべきものである。」という但し書きが付きます。実はこれが曲者なのです。

 では驚きの判決を、具体的に列挙していきましょう。

まず「原告(種村修)が権力欲が強く自己中心的な人物であるとの印象を一般の読者に与える」という私の主張(記載①)に対する判決です。

一般の読者が、普通の注意と読み方をした場合、本件霊言方式をとった記載①の内容が事実であると直ちに受け止めることはないということができる。したがって、記載①によって原告の社会的評価が低下したとは認められない。」

 つまり、霊言の形で大川隆法氏が自分の意見として、いかに種村の人格を貶めるような発言をしても、一般の人はこれを事実だとは認めない。だから種村の社会的評価は下がらないと、こういう判決趣旨です。

どうやら私は裁判官にこう言われているようです。

「大川隆法氏の霊言は、大川氏の個人的意見の表明と一般読者は見なすものの、一般の人は誰も大川氏の発言を信用していないので、種村さん、あなたの社会的評価は少しも低下することはないよ。だからこの記事は名誉棄損にならないよ。」

 
 以下、同じような論法が全ての論点に渡って繰り返されます。

「「上記(2)の本件書籍の特徴からして、一般の読者が記事④を読んだからといって、その記載内容が事実であると直ちに受け止めることはないということができるから、ゆすり・たかりの手口という記載があるからといって、原告が金をとるためには何でもする人間であるとの評価をするとは認められない。記載④によって、原告(種村修)の社会的評価が低下したとは、認められない。」

 
「記載⑥には本件霊言方式がとられており伝聞形式で記載されていることも考えると、一般の読者の普通の注意と読み方を基準とすれば、記載された事実の信ぴょう性は低いといえることからして、記載⑥によって原告の社会的評価が低下したとは認められない。」
 

 結局全部で7つの記載個所を、すべて同じような理由で「原告(種村修)の社会的評価が低下したとは認められず、名誉棄損の不法行為が成立するとは認められない。」ので、「原告(種村修)の請求はいずれも理由がないから、これを棄却する」との判決がおりたのです。

 
大川氏の霊言の社会的信用

 結局、判決文が言っていることは一つです。大川隆法氏が霊言方式で話した事実や意見、また職員が内部調査と称して持ち出した事実は、一般の人がこれを読んでも、事実を語っているとは信じない。また大川氏の意見や評価など、誰も信用しない。一般の人は誰もこの本に書いていることは信用しないから、種村の社会的評価は少しも低下していない。裁判所はそう判断したというのです。

 
  ある人は、これは「東スポの論理」だと教えてくれました。「東スポ」というのは「東京スポーツ新聞」の略ですが、一般の読者は誰もこの新聞が本当のことを書いているとは思いません。だからこの新聞に何を書かれても、その人の社会的信用が低下しないので、名誉棄損が認められないというのです。これが「東スポの論理」です。

大川隆法氏の霊言集も「東スポ」と同じだと社会(裁判所を含む)は見なしているので、大川隆法氏に霊言で何を書かれても、その人の社会的評価は低下しない。つまり大川氏の霊言集は「東京スポーツ新聞」と同じ程度の社会的信用しかないということを、この判決は言っていると言うのです。
 

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2013年11月21日木曜日

『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告②


3.判決の趣旨

 
論点2 霊言は大川隆法の意見である

 判決は言います。「守護霊の霊言が真実であるとは一般人には受け入れられていないことは被告らが認めるところである。」

被告ら」というのは、著者の大川隆法氏と幸福の科学出版株式会社の両者です。つまり、大川隆法氏は、自らが「守護霊の霊言が真実であるとは一般人には受け入れられていないこと」を「認めている」のです

 では、霊言書がどのように一般人には認識されるのかというと、「本件霊言方式による舎利弗ないし原告(種村修)の守護霊の発言」は、「被告大川の意見を記載した記述であると理解することができるというのです。

 要するに「霊言は舎利弗が話したことでも、種村守護霊が話したことでもなく、大川隆法氏の意見である」と一般人は見なすと裁判所が認定したのです。もちろん「一般人」には裁判所も含まれています。

 その上で本件書籍の特徴を次のように見なします。

「本件書籍は客観的事実を調査・分析・評価して意見を表明する類のものではなく。主に被告大川の意見(論評)を表明したものであると理解することができる。」

 つまり、本書は霊言方式をとっているが、これは種村についての事実をきちんと調査・分析・評価した内容ではなく、まして本物の霊の言葉でもなく、主に著者大川隆法氏の意見(論評)の表明にすぎないというのです。これが一般人の本書に対する見方であると、こう認定しています。

 
一般人から見た舎利弗と種村守護霊の正体

 ちなみに、判決文では本書に登場する舎利弗も種村修守護霊も全部被告大川自身の発言であると一般人はみなすとしています。具体的な記述は以下の通りです。

一般の読者は、舎利弗の発言部分は被告大川が舎利弗という形式で自らの意見を記述した部分であると判断するといえる。」

そこで私が名誉毀損だとして訴えた記述についても、「一般の読者」は、「被告大川の意見・推論等が記載されていると判断する」とします。

 
 また別の部分では、種村守護霊についても、「守護霊の霊言が真実であると一般人には受け入れられているとは認められない」ことからして、「一般の読者」は・・・「種村守護霊及び舎利弗の発言部分は被告大川による記述であると判断するといえる。」と認定します。
 

 繰り返しますが、いかに霊言方式をとろうが、著者が大川隆法である以上は、霊人の意見はすべて著者大川隆法氏の意見であると、一般人は見なすのだという認定がされていることに注意したいと思います。

(次回に続く)

 
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2013年11月19日火曜日

『舎利弗の真実に迫る』名誉棄損裁判の報告①



1.既に控訴しました

20131025日に東京地方裁判所において、私が『舎利弗の真実に迫る』の著者大川隆法とその出版元の幸福の科学出版株式会社(代表取締役本地川孝三)の両者を、名誉棄損で提訴していた「損害賠償請求事件」の裁判の判決が出ました。

 判決は、私の主張が退けられ、敗訴となりました。

私はこれに対して、東京高等裁判所に控訴しました。
 

 弁護士の先生が私に最初に判決結果を伝える電話をくださった時の言葉を今も覚えています。

「種村さん、私はこの判決をどうしても納得できないんだけど、どう思いますか?」

 弁護士の先生はこの裁判を始めるにあたって、「これが名誉棄損にならないなら、名誉棄損それ自体が成り立たなくなるよ」との意見を持っておられました。

 それにもかかわらず、私の名誉棄損の訴えは棄却されました。

いったい、何がそうさせたのか。いかなる理由で棄却なのか、私は納得いかない気持ちで判決文を繰り返し読みました。また弁護士の先生の意見を聞いたり、同様の裁判を経験した人から話を伺いました。

 判決が出てから約1か月が経とうとしていますが、どうしてもこの判決内容に納得がいきません。そこで私は、既に控訴手続きをとっているのですが、それとは別に、広く多くの方に一緒に考えていただきたいと思い、判決内容を公表することにしました.
 
 
2.判決の趣旨

 最初に、私が判決文から読み取った問題点や興味深い論点を簡単に紹介します。

 まずこの裁判の経緯について、簡単に説明します。

 昨年『舎利弗の真実に迫る』が67日に書店で発売され、新聞広告も出ました。本書の第2部「現代の舎利弗とは誰か」の第1章に「元職員・種村修氏守護霊の霊言」と名指しで、私について書かれています。その内容は私の人格・名誉・信用をはなはだしく棄損するものでした。

 そこで、私は3315万円の慰謝料と産経新聞への謝罪広告の掲載を求め、東京地方裁判所に提訴しました。また、私の名誉を自分で守る必要から「真実を語る」のブログをスタートさせ、「『舎利弗の真実に迫る』講義」を公開しました。この内容は全世界から多数の方が見てくださり、多くの支援の言葉をいただきました。その励ましによって、私は正々堂々と生きていく勇気をいただきました。

 なお判決文では「被告大川」と表現されていますので、そのままの表現を使わせていただきます。

 
論点1 宗教論争ではなく法律的に争点になりうる

「被告大川ら」(著者大川隆法氏と幸福の科学出版株式会社)は、本書を巡っての訴えは、「宗教論争」であるから「法律上の争訟ではない」と主張しました。その理由として「被告大川ら」は、次のような驚くべき主張をしました。(以下鍵括弧「 」の中は、特に断らない限りすべて判決文からの引用です)

霊言現象の存在と霊言を真実と考えない一般人にとって、本件書籍の内容は理解の域を超える。本件書籍は、幸福の科学の信仰を有しない者にとっては理解困難な宗教的事柄が主題となっており、本件は宗教論争といえるから、法律上の争訟ではない。」

 これは分かりやすくいうと、<一般人は幸福の科学の霊言を真実とは考えない。だから信者以外には理解できない内容だから、宗教論争であり法律上の争点にはならない>ということです。

 判決ではこの点は被告大川らの主張を退け、「本件は法令の適用により終局的に解決することができるといえる。」としました。つまり、たとえ霊言方式をとった本であっても、被告大川らは宗教論争に逃げ込むことはできないと、くぎを刺したのです。

(次回に続きます)



 
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