2013年9月29日日曜日

依存性人格障害の視点から⑬孤独が苦手



支えてくれる人が欲しい


一人が苦手


依存性人格障害の人は、「一人が苦手で、いつも一緒に時間を過ごす相手を求めてしまう」という傾向があります。というのも「孤独になると、すべてがつまらなく思え、空虚に感じて」しまうので、つい電話をかけて友人を呼び出したり、しゃべることで自分を紛らわそうとするのです。


ですから、「この人なしでは生きていけない」と思いつめていても、その人と別れると、すぐに次の恋人と付き合うようになります。それほど孤独が苦手なのです。誰かとのつながり、一緒にいないと、不安やむなしさが襲ってきて、いたたまれないのです。どうしても「代わりに自分を支えてくれる人」に頼ってしまうことになります。


この場合の恋人の選択基準は、「誰でもいいから自分に優しくしてくれる人」です。従って、周りが見て全然釣り合いのとれない相手と付き合っていることが少なくありません。

 

しがみつく

 「自分からは絶対に分かれられない。相手が分れると言わないと別れることができない。」というのが、依存性人格障害の人です。

こういうタイプの人が信仰や信条でつながった団体に入った場合は、自分から辞めることが難しくなります。そもそもこのタイプの人は、団体に入る目的が、そこで気の合った友人を作りたいからです。したがって、通常はやめる場合も、気の合った友人が辞める場合でないと、自分から辞めるのは難しいのではないでしょうか。

 しかし、逆に信頼している人が辞めた場合、その人もやめることは難しくありません。人間関係でつながっているからです。

 

団体の猜疑心

そのためにある団体では、そこの職員を辞めた人や有力な会員に対して、過度に警戒するということが起きました。その元職員や元会員に影響力があればあるほど、警戒してリサーチしていきます。さらに、その元職員や元会員の影響力をそぐために、団体内でその人への批判や悪口を流します。これはその人が団体を辞めたことで、団体への不信が出ることを恐れるからです。さらにいうなら、その人がもしも団体への批判者に変わった時に、それに追随する人がでてくるのを恐れているからです。

ところが、その人が依存性人格障害があった場合には、いくら冷たくされても必死にしがみついて行こうとします。そこでの人間関係や団体とのつながりを切実に求めている場合は、特にそうなります。

そして、つながりを保つための努力をするので、懸命に奉仕活動をする場合もあります。やはりその奥には、切り離されて孤独になることへの恐れがあるのではないでしょうか。その結果、その団体にいいように利用され、使われていくようになることがあります。

孤独になることがなぜそんなに怖いのか。一人になることが、なぜそこまで不安なのでしょうか。これは自分の心とじっくりと向き合って、孤独への恐怖心の奥に、どんなことを感じているのかを発見する必要があるように思います。
 

<希望のブログ>

 種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」では


人格障害についての全体像を解説しています。

人格障害について関心がある方は下記をご覧ください。
 
http://tanemura2013.blogspot.jp/2014/06/blog-post_26.html
 
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>

 種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198

2013年9月27日金曜日

依存性人格障害の視点から⑫孤独と一体感


孤独からの解放


深い一体感

信仰や信条でつながったグループは、心の深いところまで一つに結ばれるようになります。非常に深い結びつきが生まれます。基本的な価値観の共有や信じるものの共有は、一体感をもたらしてくれます。すると孤独から解放され、寂しさが癒されます。こういう深い関係はなかなか得ることができません。

 

人が自発的に伝道をする動機は何でしょうか。自分から価値観や信じるものを共有できる深い関係を保ちたいからではないでしょうか。通常の人間関係を、もっと深いものにしたいというのは、人間としての基本的な欲求でもあると思います。夫婦や家族への伝道、友人への伝道には、より深い一体感をつくりたいという願望が潜んでいます。

 

警戒心の壁

しかし、現実には特定の信仰や信条を押し付けられたり、勧められることに、人は強い警戒心を持ちます。特にその信仰や信条を持つ団体や人が、社会的な信用を失う行為や風評があればなおさらです。そうなると互いを強く結び付けるはずの信仰や信条が、お互いを遠ざける壁になります。そして、勧めた側は警戒され孤立することになります。孤独です。

 

だから余計に自分の信仰や価値観を分かってくれ、共有できる仲間が大切になります。こうして信仰や信条を共有する仲間から、なおさら離れがたくなっていくのです。これを手放すとこの仲間とも疎遠になると思うと、孤独が怖くて手放すには勇気が必要になります。

 


手放すことで生まれる信頼関係

ところが、何らかのいきさつで信仰や信条を手放してみると、逆に色んな人との結びつきが強くなります。家族や友人、それ以外にも「私は〇〇を辞めました」というと、「よかった。安心しました。あなたが熱心にされているので、心配していました。」という人が出てきたり、「そうですよね、私もあそこはおかしいと思っていました。」という人と話が弾み、距離が近くなったりします。そういう話はよく聞きました。そこを辞めたということが、社会的な信用につながるのです。すると、新しい人間関係が生まれたり、疎遠だった関係が修復できるのです。

 

今まで所属していた信仰や信条を捨てたときは、思い切ってそのことを宣言して人に伝えるのがいいと思います。いままでそれを伝えて断られていた相手であれば、なおさら伝えるほうがいいと思います。それによって安心されるようになり、関係が深まるからです。特に、今までその信仰や信条を持つことで「上から目線だ」になっていた場合には、素直に自分の過ちを告白することで謙虚さを示してゆけば、人は安心してくださり、心の距離がぐんと縮まると思います。そして孤独から解放されていくように思います。プライドは捨てたほうが絶対にいいと思います。


<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました。
 
「真実を語る」とは別の心理学の専用のブログです。

 関心のある方は、下記をクリックください。
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>

 種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198


2013年9月21日土曜日

依存性人格障害の視点から⑩・・・依存に陥る仕組み


何故依存していくのか


外の人間関係を失う

 私が経験したある団体では、今振り返ると会員が、次第にその組織に依存せざるを得ないようになっていったと思います。

 私自身、熱心に活動すればするほど、その団体以外の人間関係が切れていくということを体験しましたし、そういう人を数多く目にしました。なぜ他の人間関係が切れていくかというと、団体の教えを普及しようとするからです。

たとえば、こんな経験をしました。

・団体の書籍を献本したことで、友人を失った。

・会社の中で、部下を団体のビデオ会や集いに連れて行ってから、その部下のみならず会社での人間関係がぎくしゃくしはじめ、警戒されるようになった。

・営業所の所長が賛同してくれて、部下全員に団体の教えが書かれた書籍を読ませようとしたら一部の人から猛烈な反発を受けて、その営業所にいずらくなった。

・私がその団体の職員をしたことがあり、しかも地元の人に書籍を配っていたので、地元のお寺から、地域の人が必ず参加するお寺の儀式に来ないでくれと言われた。

・会社の社長が社内に団体の信仰のシンボルを置いたところ、有力な社員が反発して辞めた。また社内に経営者と私への警戒感が生まれた。

 
 こうして団体のために活動すればするほど、職場や地域での人間関係は切れてなくなっていきました。そうすると、同じ団体の教えに賛同する人としか親密な交流ができなくなります。

 外部に少し親密になりかけた人ができても、すぐに団体の教えを伝えようとしてしまうので、結局友人になれません。そういうことを繰り返すうちに、団体関係者以外の人間関係がほとんどなくなっていくのです。

 こうなると、その団体を辞めるということは、親密な人間関係をほとんど失うということになります。これが怖いので、熱心に活動をした人ほど、その団体から離れることができなくなります。

 これは「団体に依存させるしくみ」といえるのではないでしょうか。

 

居心地の良さと怖さ

 全国組織を持つ団体に所属するということは、ある意味で居心地がいい面があります。それは見知らぬ土地に転居しても、その団体の支部や施設に行けば、すぐに友達ができるからです。これは大変大きな魅力です。同じ団体を信奉しているというだけで、初対面でも警戒されずに親しくなれるからです。

 ましてやその団体で全国的に有名になったりすると、いろんな所へ行っても知らない団体関係者から尊敬の目で見られ、声をかけてもらえます。これは他では味わえない喜びです。

 その代わり、団体に疑問を感じて辞めたりすると、「あの人には悪〇が入った」「あの人はおかしくなった」と言われて、それまでの人間関係が一瞬で崩れます。それははっきりしています。これは団体を辞めさせないための抑止力として働いており、「団体に依存させる仕組み」のもう一つの側面です。

 私がいた団体では、しばらく支部に来ないだけで、「あの人は悪〇にやられているのではないか」とうわさされたりしていました。これもまた「団体に縛り付ける仕組み」であったと思います。

 やはり、団体の外にも、信頼できる人間関係を残しておかないと、非常に危険であると思います。その団体に依存せざるを得なくなるからです。




<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」では


人格障害についての全体像を解説しています。

人格障害について関心がある方は下記をご覧ください。
 
http://tanemura2013.blogspot.jp/2014/06/blog-post_26.html
 

<ご連絡ご相談はこちらまで>

種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198


依存性人格障害の視点から⑨ ・・・依存と自立


 
良い依存と悪い依存


依存そのものは悪ではない

私は依存性人格障害をテーマに論じていますが、依存を決して悪いとしているわけではありません。人間はお互いに支えられ生かされて存在する社会的な存在ですから、依存が全くないということはあり得ないと思います。

人間意は依存と自立という二つの心が、ともに存在しています。時期によっては、依存が強かったり、自立が強くなったりします。どちらかが完全に無くなる状態はあり得ないし、もしあったらそれは不自然だと思います。

問題は、大人になっているにもかかわらず、依存傾向が過剰になり自立とのバランスを大きく欠いてしまうと、人格障害とみなされるのではないでしょうか。

ですから、このシリーズではネガティブな依存について論じていますが、依存にはポジティブな依存も当然存在していると思います。どうしても必要な依存はあります。例えば赤ん坊が依存してくれなかったら、その子は死にます。恋人が自分に依存してくれなかった、「自分は必要とされていない」と感じてむなしいのではないでしょうか。病気で倒れた親が子供の世話になることを拒んだら、子供は悲しむでしょう。「世話をさせてほしい、もっと自分に頼ってほしい」と思うはずです。どんな社会的に評価されている人でも、伴侶の褒め言葉がないと元気が出ないのではないでしょうか。それらは依存ではありますが、それがないと人間関係がうまく回らないし、愛が循環しなくなります。

 

良い依存と悪い依存

依存そのものは悪ではありません。悪いのは、自立とのバランスを大幅に欠いたり、依存することでお互いの向上が妨げられたり、愛の循環が止まるような依存ではないでしょうか。依存によって、ある人や団体に縛られて、自由を失っていく状態があれば、それは悪しき依存だと思います。何でも人に頼って、自分の力を出せなくなっているのも悪しき依存でしょう。

時期によっても異なります。幼少期には完全な依存状態ですが、この時に十分に依存できて十分に愛されたという経験が、人生の心の安定の基礎となります。この時期に十分に依存できた子供は、逆に自立が早くなります。

人生の最初の時期に、虐待や育児放棄にあって十分な依存ができないと、大きくなって依存性人格障害になりやすくなります。依存したいという気持ちが、抑圧されているので、無意識にそれが出てくるのです。

神への信仰も、苦しい時に神に依存するという気持ちが生まれるのを否定することはできないと思います。ある面これは信仰の一つの側面であると思います。神と人が親と子の関係にあると思われる以上、神への依存心がゼロということはありえないように思います。
しかし、依存するだけの信仰は片手落ちだと思います。神の言葉を実践し、少しでも人を幸せにするという側面が信仰にはあるからです。

 依存性人格障害として問題にしているのは、自立とのバランスを欠いた依存や悪い依存であることをお断りしておきたいと思います。

<希望のブログ>

 
種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました。
 
「真実を語る」とは別の心理学の専用のブログです。

 関心のある方は、下記をクリックください。
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>

 種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198




 

 

2013年9月15日日曜日

依存性人格障害の視点から⑧断れない


嫌われたくないために

不本意でも相手に従う

依存性人格障害の重要な特徴に「相手に認めてもらうため、あるいは、嫌われないために、明らかに自分にとって不利益なことや、自分が本当には望んでいないことをしてしまう」という傾向があります。

別の表現をすると「支持または是認を失うことを恐れるために、他人の意見に反対を表明することが困難である。」(米国精神医学会「DSM-Ⅳ-TR精神疾患の診断・統計マニュアル新訂版」)のです。

たとえば、セールスの勧誘に断わり切れず高額な化粧品を購入してしまったり、本当は望んでいないことを嫌といえずにしてしまって、あとで嫌な思いをして後悔することがあります。
 

宗教の勧誘に弱い

 たとえば、宗教に関してみるとどうでしょうか。依存性人格障害を持つ人は、宗教の勧誘に嫌といえずに、話を聴くだけのつもりが、入信し、やがて宗教活動にのめりこむことが多いようです。お金がないのに献本の本を何十冊も買う約束をして、あとで後悔したりすることもあるかもしれません。 

 なぜこうなるのでしょうか。

実は心に引きよせるものがあって、そこにつけこまれてしまうのです。それはどんなことだと思いますか?

 
ノーと言えない

 実は依存性人格障害を持つ人は、断るのが苦手です。「断ると、嫌われてしまう、見捨てられてしまう」という思い込みがあり、そのためにノーと言えないのです。「これだけ熱心にしてくれたから、断ったら悪い」という気持ちも、断れなくしている理由の一つです。

心の中で「常に頼りになる存在を求めている」と、頼れるものを失うのが怖くて、本心を偽って従ってしまうこともあると思います。

 このタイプの人は、もともと人当たりがいい人であり、良好な人間関係を築ける力も持っています。良い子に見られるのではなく、本音で話せる関係を作れるようになると、もっと楽に生きられるはずです。

そんな自分を弱くしているのは、「強い存在に頼らないと生きていけない」「断ると嫌われてしまう、見捨てられてしまう」という「思い込み」ではないでしょうか。


2013年9月13日金曜日

依存性人格障害の視点から⑦・・・献身型


二つのタイプ


思い込みに縛られる

依存性人格障害には受動的なタイプと能動的なタイプという、大きく異なる二つのタイプがあります。

受動的なタイプの人は、「赤ん坊型」「ペット型」とも呼ばれ、「自立心や生活力がなく、相手の顔色をうかがいながら上手に甘えて世話や保護を受ける」のが特徴です。時に相手が横暴でも、耐えるしかないと思って忍従します。これは自立能力、生活力が欠けている場合に見られます。

これと異なる能動的なタイプは、「献身型」と言われ、活動的で自立能力や生活力はあります。しかし、「自分一人では不安で生きていけない」という「思い込み」に縛られて、つまらない男に報われない献身を捧げたりします。その他に「新興宗教やカルト集団に、働いた稼ぎをほとんどすべて献金し続けている」場合も、このタイプだと言われています。つまり活動信者、熱烈信者に多く見られるタイプなのです。
 

縛りを解く質問

 以上の説明を聞いて、もしいずれかに心当たりがあるようでしたら、どうか自分に質問をしてみてください。

「あなたはその宗教に出会う前にも、生きていたのではないですか。それなのに、どうしてその宗教がないと不安で生きていけないと思うのでしょうか。」

「あなたは、その人と出会う前にも、生きていましたよね。なのにどうして、その人がいないと不安で生きていけないと思うのでしょうか。」

 「自分の『思い込み』が、自分自身の心を縛り付けて、『一人では不安で、これがないと生きていけない」と思わせているだけではないのでしょうか。』」

「その不安は本当はどこから来るのでしょうか。」
 

 それをこそ、しっかりと見つめることが必要なのではないでしょうか。

 そして、それがなくてもしっかりと生きていた時期があることを、自分自身で再確認するところから始められてはいかがでしょうか。
 


<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました。
 
「真実を語る」とは別の心理学の専用のブログです。

 関心のある方は、下記をクリックください。
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>

 種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198