2013年4月30日火曜日

(投稿)脱会者からのメッセージ①・・・逆境からの脱出


洗脳解除そして逆境を越え、自己の確立へと向う


K会を脱会し洗脳解除中の方や、洗脳解除されているが今後の人生に不安を感じている方は、多いと思います。

私が逆境より脱する事ができた経験や想い、気づいた事が少しでも参考になればと思い記した次第です。

私も洗脳を解除したものの経済難が常に付きまとい、働かなければと分かっていながらできない自分がありました。洗脳を解除しても後遺症が残っており、K会で学び活動してきた悪い面の心の習慣が消えず社会に溶け込めない状態が続きました。そうしている内に、心と生活は益々過酷なものになっていきます。

脱会後、洗脳をしていてもその後にかなりの試練が襲うのです。洗脳解除後もたいへんなのです。

これは心の面と実生活の面で、かなり過酷な逆境として目の前に現れてきます。その時に、必ず絶望という二文字が心から離れず、自分の人として生きる価値が否定されてきます。「もう自分には何も残されていない」という絶望感だけが残っている状態になるのです。

私自身も死の淵に立って、死に神が顔を見せ初めていたと思います。何も無い自分、心は空洞になり経済は無く、有るのは絶望。生きる気力は失せ、いっそこのまま・・と暗闇の中で悶え苦しんでいました。
 

しかし、どのような逆境も越えていけるのです。それは、人が神の子だからです。残されているものは、唯一無二の存在として、自分に与えられているのです。全てを失っても残されているものがあるのです。

人は思います。お金、財産が残されているのかと。だから助かるのだろうと。

それも確かに正しい。信者にはお金をできるだけ残すように言いたいのです。毎月毎月の活動費の積み重ねは、少しずつでもたいへんな額になります。まして、退職金を布施した方がいますが、たいへんなことなのです。財産があって解決に向うなら、その方は恵まれた方でしょう。一般庶民はそうはいきません。

唯一残されたものは、真なる心しかないのです。そのが自分を救っていくのです。その心によって神は救い導かれます。人が神の子である以上、神と心で繋がっているのです。神は全てを創造されたお方です。神に不可能はないのです。財産等はこの世の方便にしか過ぎないのです。
 

Ⅰ.逆境の中で内なる神に出会う

 
1.洗脳解除と脱会後に非情な苦しみが襲う

 
  過酷な経験からくる後遺症
 

K会を脱会した直後は、私はどこからともなく襲う恐怖心、人間不信、自己不信、強度な挫折感、後悔の念などに苦しんでいました。本来の健全な自分の心が隠れてしまって空洞になってしまっています。同様にそういう方は多いと思います。

しかもその上、経済難に陥ってどうしようもない状況になっていました。私は会社で迫害を受けて無職状態になっていました。私の周囲でも活動会員で会社を追われた人がいました。早く就職して、収入を得ないと期間が経てば経つほど追い込まれていきます。会員を20数年してきたような方は、同様な状況に追い込まれると年をとって就職といっても就職先が決まらず、どんどん追い詰められていくのを感じます。会社を辞めれば、税金が押し寄せてきます。又、住宅ローンなどを抱えていると本当にどうしようもなくなってきます。

しかし、いくら就職しようと努力しても自分の心がいうことをきかず、反対の心がかなり出てきて壁を作ってしまいます。これは、迫害の経験による人間不信、人間関係を破壊してしまったという思いによって、自分自身の社会的な存在価値が見出せず、自己不信、強い自信の無さが出てしまいます。社会で自分は必要とされていないという思いが出てきます。

そしてそこからくる恐怖心です。この恐怖心は、就職してもうまくやっていけないという強い不安であり、社会が受け入れてくれないという迫害感です。自分では気づいていないのですが、他人を敵視している自分がいるのです。自分が勝手に決め付けて、自分で自分を社会から抹殺しているのです。
 
これは、K会の恐怖による予言で自他共に支配しようとしてきた後遺症です。社会を悪視してきた結果です。又、仏への依存度が強かったものが、急に依存するものが無くなってしまった揺らぎです。今まで仏をバックにした自己の高慢(上目線)裁き体質が抜け切っておらず、自分に向けられる少しの批判的な言葉にも傷つく状態になっています。自己の自信ではなく、仏と共にあるが故の自信でしたが、仏なき今は自己信頼が無くなっていているからです。K会でバリバリしていた頃は、仏という絶対の自信の拠りどころが有ったので、批判に対しても立向かい相手の考えを上目線と裁き心で喝破してきたはずです。

しかし、今や自分の間違いに気がついているものの自己信頼が無い上に高いプライドが残り、他人の批判等を受け入れることができないので、心にぐさりと傷が入るのです。

別の言葉でいうと急激になったひどいうつ病状態にプラスして、種村ブログで学んだ自己愛性人格障害を併発しているようなものです。極度に自信は無いが、高慢さはあり、裁き心はあるが、自己の誤りもわかっている。与えられた環境でうまくやっていきたいが、自分は人に害されるという心や厳しい他人の言動に耐えられないという恐怖心が出てきます。そして現実逃避します。

これでは、就職は決まりませんし、行動ができないのです。ますます経済難引きこもりになっていくのです。まさに生き地獄です。

 
 この地獄から抜け出すには、「そういう自分を愛している自分」を発見することなのです。私もそうでしたが、それに気づくのは難しいのです。目先の現実が迫ってきて、益々自己保身の塊になっているのです。これから先の生活不安や沈んで言う事をきかない心の状態の中で、反省しても反省にならず、ただ神にすがる思いでしょうが、沈黙されています。神は何かを待たれているのです。

 現状、苦しみあえいでいる自分は、本来の自分ではないことを知ることなのです。視点を変えれば、一番それがわかりやすい状況に現在おかれているのです。現に今、ここで苦しみ抜いている自分を自分で目の当たりにしているのですから。まずは、今の自分は本来の自分ではないと思うことが大切なのです。本来の自分ではないと認める事によって、本当の神へと向うのです。これが至難です。



 (ブログ管理者からのコメント)

「内なる神」ないしは「神」という表現は、心理学的には「超越潜在意識」という表現になります。
ですから、特に断りがない限り、特定の宗教の神概念ではありません。

往々にして、新宗教K会からの脱会者は、K会で身につけた思考パターンが後遺症となって、人生の再建を妨げら、苦しみます。
この投稿では、そうした後遺症との生々しい戦いと克服の軌跡が書かれていきますので、ご注目いただきたいと思います。

<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました
心理学の専用のブログです。
関心のある方は、下記へアクセスください。
http://tanemura2013.blogspot.jp/
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>
種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198


 

 

朗報・・・千の風さんが統合失調症の克服への記録を執筆


 幻聴、幻覚で苦しむ人々への道しるべに

 
このブログにしばしば投稿してくださった千の風さんが、統合失調症を発病してから13年間にわたる幻聴、幻覚との戦いの記録を、ご自分のブログにまとめられましたのでご紹介します。

 このブログの名前は「愛あるところ」ですが、その中にある「実話 統合失調症神問答」というコーナーにその記録が書かれています。

アクセスは、次の処へお願いします。


 
この「実話 統合失調症神問答」が生まれた経緯をお話します。

 千の風さんは、昨年末ぐらいまでには大分幻聴が軽くなっておられたのですが、どうしても一つの幻聴だけが消えないので、これは新宗教KKのことを完全に頭からシャットアウトしないとだめだと考えたられました。

 
そこで、私ともメールのやり取りも、一時中断したいと申し出られました。私もそのお気持ちを理解して、メールを出さないようにしていました。それが今年の初めのことでした。

ところが、3月下旬に千の風さんからお電話とメールをいただき、幻聴がさらにひどくなり悩乱状態になっているという苦しみを訴えてこられました。私は統合失調症を治すには個人的潜在意識の中にたまったマイナス想念、嫌な記憶や感情を全部吐き出す必要があるとアドバイスしました。

千の風さんは、文学的な才能のある人でしたので、最初はノンフィクションとして書き出すつもりだった統合失調症神問答を、実話として書き進めることを決意されました。ただ、最も見たくない封印した過去の記憶と向き合うのは、怖い気がすると不安を訴えてこられました。封印していた嫌な記憶を思いだすと、かえって病気が悪化しないか不安で恐ろしいと言われるのです。

 もっともだと思いました。しかし私は、「恐怖は向き合うことによってしか消えない。向き合えば必ず恐怖は消えていく」とお伝えしました。その結果、勇気を奮って封印して忘れようと努力してきた悪夢のような幻覚幻聴の記憶と真正面から向き合い、それを書いていかれたのです。

 
すると書くことが「芸術療法」の効果をもたらしたようで、表現すればするほど幻聴がどんどん軽減し、書くことに専念している間は、全く幻聴が聞こえなくなりだしたのです。

そのうちにどんどん心境が前向きになられ、部屋の大掃除と、壊れた電化製品の買い替え、そして料理作りと禁煙をされるようになりました。

そして、わずか1カ月の間に、見違ええるように元気になられました。

 
千の風さんは、この貴重な記録の中で、彼女自身が編み出した幻聴対策法をいくつか紹介しています。またこれを読むと、幻聴や幻覚とはどういうものなのかが、具体的に詳細にわかります。

これは統合失調症で苦しむ人への励ましになるとともに、身内や友人などに統合失調症で幻覚や幻聴が出る人がいた場合に、彼らの苦しみを理解するための手引書にもなると思います。
 
新宗教KKの影響で、退会してからも幻聴で苦しんでいる人は少なくないようです。そういう人には、是非このブログを読んでほしいです。希望を見出されると思います。
 
千の風さんは、このブログでは特に新宗教KKを批判はしていません。KKの名前も伏せています。自分はこうだったが、ほかの方の信仰の自由は尊重したいという姿勢で書かれています。それがかえって、非常に読んでいて気持ちがいいのです。自分の不幸を何かのせいにしようとはしていないからです。その代わり、どうして自分はこういう目に遭っているのかを探求したいという気持ちが、全編を貫いています。
 
千の風さんは、今現在、統合失調症を発病した友人に毎日電話をして、自殺衝動が消えるように励ましています。また、なぜ宗教を縁として自分が統合失調症になったのかをもっと本格的に解明したいという気持ちで、次の小説「自己信頼」の執筆に取り掛かっています。
 
私はKK問題に関心がある人には、なるべくこの千の風さんのブログを読んでほしいと思います。そして霊的にみてKK問題とは何なのかを、じっくりと考えてみてほしいと思います。
 
統合失調症で苦しむ患者が、自分でその記録を書き上げ、自らの病気を分析し、それによって自分でこの病気を克服していったというのは、これは世界でも稀有な出来事だと思います。通常は精神科医がそうした記録をとって分析をするものだからです。そうした非常に希少価値のある記録であることを強調して、千の風さんのブログをお勧めしたいと思います。
 
千の風さんのブログ「愛あるところ」へのアクセスは、次の処へお願いします。


 なお、千の風さんのブログを紹介しするにあたって、新宗教KKから彼女に妨害があって、ブログを閉鎖しなければならない事態が発生することを、私は懸念しています。万一、そういう事態が起きた場合には、私は千の風さんのブログを全部コピーしていますので、私のブログで全部を紹介することにします。ですから、千の風さんへの嫌がらせや妨害活動は無効であることを、あらかじめ申し上げておきたいと思います。



<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました
心理学の専用のブログです。
関心のある方は、下記へアクセスください。
http://tanemura2013.blogspot.jp/
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>
種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198

2013年4月28日日曜日

<心の探求シリーズ17>不安の本質をつかむ




 自分の「影」との向き合い方

 

Aさんの深層潜在意識との対話は、内容がさらに深くなっていきます。

不安の本質と克服について。

自分の存在価値への不安の対処法。

ありのままの自分を愛すること。

そうした課題について、Aさんが問いかけ、心の奥にある自己が答えます。

非常に深い内容なので、じっくりと考えながら読んでいただく価値があると思います。

 

Aさんからの投稿>

 
1.      不安と対決せよ、希望の灯をともせ

 
質問 私は感謝行を通して、神の心に近づいていきたいと思います。

どのように日々の修行をしたら良いのでしょうか。

 
回答 まず、不安と感謝の関係について知らねばなりません。不安な心がある時、感謝の心を持つことはできません。逆もまたしかりです。ですから、今、心の中が不安で満ちているなら、感謝の心を持つことはできません。

「自分はなぜ感謝ができないのだろう」と悩んでいるでしょう。その理由は、心の中に不安を持っているからです

ですから、まずは不安との対決をしなければなりません。不安というものは得てしてこの世的な感情です。しかし、不安をいつまでも持っているべきではありません。不安は実在するものではないからです。本来希望しかないということも前回述べたとおりです。本来は希望に満ちた存在であること、そして、絶望というものは希望の不在ではないということを思い出してください。

 まず、ゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせることです。本来の希望に満ちた自分のイメージをしていくことです。これは自己暗示によって不安を包み隠すということではありません。希望のみを意識することによって、不安を潜在意識下に押しやるということではありません。

光、明るさをはっきりと示すことによって、不安というものがより一層はっきりと浮かんでくるのです。心が闇のように暗い中では、なかなか不安の輪郭も見えてこないのです。そう、不安を心の中に押し込めるのではなく、光を当てることによって、をはっきりと浮き立たせるということを意識してください。さすれば、不安というものは、自分が意識していたものとは比べ物にならないぐらい粗末で小さなものであるということがわかるでしょう。

 そうなのです。(自分は)小さな不安というものが、壁に映し出された大きな影の姿を見て、それを実在だと思っていたのです。小さな不安というものが、壁に大きく映し出された姿をみて、「なんと大きなものであろう、なんと手ごわいものであろう」と思っているのです。

 さあ、希望の光を高らかに照らし出してごらんなさい。周りは明るく照らされ、そこに現れたものは、本当の小さな姿を照らされ、小さくおびえている「不安」を目にすることでしょう。そして、なんと小さなものに自分は踊らされていたのか、と思うことでしょう。

 このたとえがわかるでしょうか。不安とは、たとえていうなら、このようなものです。そして、希望の光を自らのうちに灯すことによって、不安というものは恐れおののいて消えていくものなのです

 まず、このような方法によって、心の中の不安を追い出してください。心の中の不安の正体は、今までのカウンセリングである程度知ることができました。

 そして、次の段階として、その不安の克服があります。もうすでに心は癒されているのです。足りないのは、心の中の光です。心の中に光がないと、いくら癒されても、心の中の不安は消えないでしょう。心の中に光をさしていくことです。そうすれば、心の中の不安は消え、おのずと感謝の思いがふつふつとわいてくることでしょう。

自分は神仏の子であることをしっかりと胸に刻んでいくことが、心に中に光を照らすことになるのです

今述べたことをよくよく繰り返し思い返して、段階をおって修行をしていくことです。

 
 
 2.自分の存在価値の基準
 

 
質問 私は、人と比較して、自分をさげすんでみたりすることがあります。でも自分としては、非常につらいことです。どのように直していけばいいのでしょうか。


回答 根本にあるものは自己不信です。自分を見失っているのです。自分は一体何者なのか、どのような存在なのか。その答えを決めあぐねているのです。

 心の根本にあるものは「不安」です。自分の存在価値が確立できないでいる。その不安なのです。ちょうど浮き草のように水中をさまよっている状態とでもいいましょうか。

心は、しっかりとした足場をほしがっているのです。なぜ不安なのでしょう。生まれたときのトラブルもあるでしょう。過去世における体験も影響しています。

この世に生まれてくると、すべての記憶を失います。ゼロになった状態で、人々は、自分は何者であるかというアイデンティティを求めます。どんな人であれ、自分は何者なのかという自分探しをします。そのなかで、自他を意識し、他人の評価の中に自分の存在価値を見出していきます。大多数の人はそのようになるのではないでしょうか。そうした中で、自他を比較し、時には嫉妬の炎を燃やしてみたり、優越感にひたってみたり、自己否定してみたりと、自分をあの手この手で傷つけるようになったりします。それは、自分の存在価値を、この世的な尺度や他者の評価に求めてしまった結果なのです

さすれば、一体自分の存在価値をどこにおいているのかを反省しなければなりません。その価値基準があいまいになっているのではないでしょうか。もう一度よく反省してみることです。
 

質問 自分の価値は、他人の評価にあったのではないかと思います。生まれたとき、母から十分な愛情を受けずに、自分の存在価値を見失い、そのトラウマがずっとつづいていると思います。

 
回答 確かにそれは大きく影響していると思います。

しかし、なぜそのようなことがあったのかを考えないといけません。人々の苦しみも、実は同じようなところにあるのです。この世の人々もまた同じように、本当のアイデンティティを確立できないでいるのです。この世的な尺度に依存している限り、本当に信仰に基づいたアイデンティティを確立するのは大変難しいからです。

(自分は)強い劣等感にさいなまれもしているでしょう。それを克服するには信仰の力が必要となります。ただ、信仰を持つことにかなりの不安があるのではないですか。過去いろいろな苦しい体験をしてきましたからね。でもそれを乗り越えていかないといけません。雲を突き抜けて、太陽の光を浴びなければいけないのです。

 
3.弱い自分を愛する

 
質問 では具体的にどうすればよいのでしょうか。私は、そこを知りたいのですが・・。

回答 ですから、自己確立の部分です。それは人の話を聞くよりも、自分でつかまなければなりません。自己確立への道は、悟りへの道でもあるのです。それは、「自分とは何か」という問いへの探求であるからです。真の自分を発見するためには、神への探究心が必要であるのです。

今の自分は、ニセモノの自分であることを感じていることでしょう。自分はそのように弱い存在ではないことも、頭の中ではわかっているでしょう。たしかに、神の子はそんなに弱い存在であるはずはありません。神の子が、他人と比較して、劣等感にさいなまれるような存在であるはずもありません。

自分の弱さに嫌悪することもあるでしょう。しかしそれを克服したときに、その弱さであった部分は、他者への愛、慈しみとして生かされてくるのです。ですから、その弱さを嫌がらずに、しっかりと「受容」しなければいけません。まずはじめに、しっかりとそういう弱い自分を受け止めることからはじめるのです。

自分の本質は「光の子」であるということは明らかです。そうしたことを自分の中に腑に落としながら、そうした弱い自分を受け入れるのです。弱さを愛に昇華させることが大切であるからです。

まず自分を愛してください。そうした不完全な自分というものを愛してください。限りない神の目を持って、やさしく包み込んであげることです。そうすれば、自分の心は癒され、光に向かって進むことができるでしょう。

そこにいる自分は、かつての劣等感に打ちひしがれた弱々しい自分ではありません。人の心の痛みを知り、そしてそれをやさしく包み込める愛深き神の子としての自覚を持った自分がいるのです。

自分を愛し、慈しみを持つ心。それは必ず他者へと向けられていくことでしょう。

そして、次のステップが待っているのです。

どうか力強く進んでください。
 

質問 自分の本質は神の子であるということを忘れずに、まずは現状の自分を受け入れることから始めよ、ということですね。自分を愛せないものに他人を愛することはできないということですね。まずは、今の自分を受け入れることからはじめてみます。

 ありがとうございました。

  
今回のロールレタリングでは、自分が恐れている「不安」の正体が、光に照らされて恐れおののいている姿が、強くイメージの中に浮かんできました。「恐怖心」や「不安」というものも、実は、その「影」を見て、私達はただおびえているのかもしれないということを教えられたような気がします。

先日、カウンセラーさんに『ゲド戦記・影との戦い』という本をご紹介頂き、読ませて頂きました。少年本ながら、とても奥深く、参考になる本でした。主人公が、自分から生まれた「影」から逃げずに、それと立ち向かっていく姿は、まさしく自らの「恐怖心」や「不安」と対峙し、受け止めていくということの大切さを教えられました。

①自らの「」から「恐れ逃げる」のではなく、「真正面から対峙」し、

②自らの光を強くすることにより、「影」の存在をただ単に「消す」のではなく、しっかりと「正体を認識」し、

③「裁く」のではなく、しっかりと「受容」する、

というステップが大切ということであろうかと思います。

そうして、より「愛深き」自分として成長することができるということであろうかと思います。今自分が抱えている問題も、より高く成長するための砥石であるということですね。そのために今世での修行があたえられているのだと思います。

こうしたこの世での仕組みの中に、深い神の愛の御業を感じるのは、決して自分だけではないと思います。これも「感謝」と「許し」に必ずつながっていくものと感じます。

 

<コメント>

「感謝できないのは不安があるからだ」

「希望の光を心に灯して、恐れずに不安と向き合え。ちっぽけな不安の姿が見えてくる。」

「自分の存在価値を確信するには信仰の力がいる。」

「弱い自分を受け容れ愛すること。不完全な自分を愛すること。」

いずれも非常に深い内容があります。心のコントロール法として十分に通用する内容だと思います。

またAさんのロールレタリングに関するコメントは、自分の影との向き合い方について、深い示唆を与えてくれています。

「自分の光を強くして、影を消すのではなく、その正体をしっかりと認識する」という言葉は、Aさんの体験と内心の声からにじみ出た言葉です。

 

2013年4月27日土曜日

<心の探究シリーズ16>失望感、絶望感と向き合う


常に希望の太陽を見よ!


 

Aさんは、ある資格試験に取り組んでいましたが、勉強が思うように進まない時期が続きました。不安や絶望感が襲ってきて、どうしても集中して勉強ができません。


そこで、「内なる自己」との対話をして、その原因と対策を考えようとしました。ここでいう内なる自己とは、深層潜在意識に相当します。
 
その結果が、ここに紹介する質問と回答です。Aさんが質問を書いて、それにAさんの心の内側から浮かび上がってきた言葉を「回答」として、書いていきます。
Aさんの「内なる自己」(深層潜在意識)は、適確に答えており、Aさんの心の問題を乗り越えるヒントも与えてくれています。
この手法は、自問自答の一種なのですが、深層潜在意識を想定して対話すると、このように自分で回答を出せることが少なくありません。非常に考えが深まったり、インスピレーションが得られるので、やってみることをお勧めします。
 
Aさんからの投稿>


ある資格試験の勉強をしているのですが、気持ちが乗らず、思うようにすすめられなくなりました。自分の怠け心にも、ほとほとイヤになってしまいましたが、なぜヤル気が起きないのかを、自分に問いかけてみました。自分の「怠け心」に意識を集中すると、ある種の「恐怖感」と「絶望感」が伝わってきました。心の中にある恐怖感や絶望感が、「怠け心」に形を変えて、自分の将来を切り開く事への強い抵抗として表れているのではないかという感じがしました。
この「恐怖感と絶望感の克服」が、自分の人生を積極的に切り開く大きなカギであると感じたので、これらのことを関連させながら、どのように自分の将来を切り開いたら良いか、を心に問うてみました。
 
質問 今後、どのような人生計画をたてればよいのでしょうか。

 
回答 目標はしぼられてきます。心の修行を第一としなさい。目の前に示した「感謝」と「許し」の探求をすることです。まず、これが早急に行わなければならないことです。

 
質問  資格試験はどうすればいいですか?
回答 勉強を進めまいと、少々邪魔が入っています。しかしそれは、心の中の失望感、絶望感に問題があります。まず、これを取り除かないと先には進まないでしょう。
勉強が進まないことに、あまり自分を責めずに、肩の力を抜いてやることです。受かればもうけもんだ、というぐらいの気持ちでやったらよいでしょう。

 
質問 失望感、絶望感がなかなかとれません。どうすればよいのでしょうか。


回答 これはだいぶ根深い問題があるのです。そうやすやすとは取れるものではないでしょう。しかし、これをクリアすることも修行なのです。この問題を取り組んでいくことによって、人々への救済力を高めていく訓練をしていくのです。
ですから、まず自分の心を客観的にとらえることが大切です。心の問題をよく見ることです。失望感や絶望感というものは、多かれ少なかれ、だれの心にも存在しているものです。数多き転生の中では、だれもがこの感情を味わっているのです。
しかし、この感情を持っていることは、決して自分にとってプラスではありません。これらの感情は苦しみを伴います。悲しみを伴います。人々は時として、失望感や絶望感によって自分を苛み、世の中に希望を見出せなくなってしまいます。
神はどのような存在でしょうか。希望そのものであるはずです。神の中に失望や絶望を見出せる人がいるでしょうか。そのようなことはないはずです。さすれば、神への道を進むべき人々は、希望に向かってひたすらに歩んでいく存在でなくてはなりません
それでは、なぜ失望絶望があるのでしょうか。人々は神を見失ってしまったということでしょうか。
神を太陽にたとえるなら、失望感や絶望感を持った人々は、雲が厚く垂れ込み、大嵐の中をさまよっている人々のようなものです。彼らは太陽をみることはできません。自分が吹き飛ばされるような大嵐の中、ただ辛く、ただ苦しく、何らの希望も見出せないときもあるでしょう。しかし、その厚い雲の上で、太陽は燦然と輝いています。そして、時が過ぎれば、この厚い雲もなくなり、さっきとはうそのような青空の中、太陽は人々の上に燦然と輝くことでしょう。
その時に人々は大いなる希望を見出せるでしょう。そして人々はこう思うことでしょう。
「ああ、何て気持ちがいいんだろう。雨上がりの太陽の光ほど気持ちのよいものはない。考えてみれば、あのつらい大嵐は、この雨上がりの清々しさをいっそう引き立たせるためにあったように感じる。そして、永遠に続くように見えた大嵐も、いつの間にか過ぎ去ってしまった。そう、苦しみは長くは続かないものだ。いずれまた大嵐も来るかもしれない。でもその後は必ず晴れるときもくるものだ。だから、あの太陽のように元気に明るく生きていこう。
 
質問 「絶望も長くは続かない、希望を持って生きよ」ということですね。

 
回答 絶望は、希望の不在ということではありません。本来、希望しかないのです。神は希望そのものだからです。時々、生きているときに、雲がかかったように希望が見えなくなり、絶望感を感じる時代もあるでしょう。しかしそれは、希望が失われたわけではないということです。
そしてまた時代が下り、希望が顔を出してくるということです。永遠に続く絶望など存在しないからです。
神を見んとする者は、希望しか目にすることができません。
そうです。絶望感に浸っているうちは、神を見ているとはいえません。ただ、そうした中に神を感じることもあるでしょう。その中にも、神へたどり着くヒントが隠されているからです。
雲を突き抜けて、太陽を見ようとすることです。そして、雲の上から下界を見下ろしてごらんなさい
同じ仲間が、同じような絶望感や失望感、自己否定で苦しんでいるのを見ることでしょう。
そして、その苦しみを和らげてあげることです。雲の上の存在を知らせてあげることです
雲の上に引き上げて、太陽の暖かさ、光の強さを感じさせてあげることです。
それが(わたしに)課せられた使命なのです。
そのために、「感謝」と「許し」が必要であるということです。
そして、真なる希望へとつながっていくのです。


 
この「恐怖感」や「絶望感」については、今までのロールレタリング療法により、以前よりはかなり軽くなってきましたが、根本的に取り除くことはまだできません。1つの原因を取り除いたとしても、また違った「恐怖感」が表れてくるといった感じで、まるでイタチごっこのようです。このロールレタリングにもあったように、過去において数多くの「恐怖感」や「絶望感」を味わってきたということなのでしょう。ですから、あせらず1つ1つ摘み取っていけということであるのでしょうか。
もしくは、「恐怖感・絶望感」の本当の「核心」にまだ到達していないのかもしれません。
いずれにせよ、「恐怖感」を完全にぬぐい去るには、もう少し「時間」と「努力」が必要のようです。ただ、ロールレタリングにもあったように、これも「愛を深めるための修行」のようです。必要があって、こうしたものが与えられているんだなあ、と感じました。
今までの授業を通じて、自分の苦しみや悲しみを「受容」していくということが大切であるということを教えて頂き、自分でもそのように実践してきました。
今回のロールレタリングでも、恐怖感や絶望感を「受容」していこうと思っていたのですが、逆にいわゆる「光明思想」的な回答となりました。
ロールレタリングをしている間、地表が厚い雲に覆われ、嵐の中にいる自分の姿、そして一気に雲を突き抜け、青空の太陽を背に、熱く覆われた雲を見下ろしているイメージを強く受けました。
心の奥から、「どうか力強く生きてほしい、力強いあなたであってほしい。どうか、いつまでも弱い自己像を持たずに、強く明るい自己像を持って欲しい。」という強い強い感情がわき上がってきました。バシバシとお尻をたたかれたような感覚です。
今の自分にとって、いわゆる「光明思想」が必要である、ということでしょうね。
そうしたことを教えられたロールレタリングでした。
 
<コメント>
 
希望を見失うのは神を見失ったからだ、という言葉は、光明思想的な思想とも言えそうです。Aさんの深層潜在意識にはそうした思想が一部入っているようです。
 
希望は太陽のようなものだから、決して消えることはない。絶望や不安といった想念の黒雲が太陽を一時的に見えなくさせているだけだ。希望という名の太陽は、必ず再び顔を出す。決して絶望するなかれ。

 
要するに、こういう思想を語ってくださいました。これはやはり光明思想ですね。非常に勇気が出る思想です。
Aさんが「内なる英知の井戸」を掘っておられる様子がよくわかります。
大切なことは、誰でもそうしたことは可能だということです。
 
 


2013年4月25日木曜日

<心の探究シリーズ15>恐怖心の原因


過去世の恐怖体験を探る



Aさんは、非常に恐怖心の強い方でした。それがどこから来ているのかを探り、取り除くことをカウンセリング講座で試みました。
授業の最後に私が、この時にロール・レタリングにおいて、超越潜在意識を意識して、そことのロール・レタリングをしていました。それをみて、Aさんが自分自身の深層潜在意識と対話をしました。Aさんは自宅に帰ってから、それを行いました。その結果を報告(「投稿」)をいただきましたので、今回は、その両方を並べてみて、恐怖体験をいかに癒すかを考えてみたいと思います。
なお、私のロール・レタリングは、超越潜在意識を意識しての対話ですが、本当にそうなっているかどうかは確認のしようがありません。この場合は、内容がAさんお心の成長に役立てばよしとする、という有用性を重視する立場で、価値を判断しています。

<カウンセラーによる超越潜在意識との対話>
種村 Aさんの不安の根底にある恐怖体験とは何でしょうか?
超越潜在意識 神への信仰心を失うような理不尽な運命を経験しているのです。そして自分が不幸になり殺されるのみでなく、家族の皆がそのような悲惨な目に合わされているのです。そのような目に二度と遭ってはならないという強い思いが、この方の人生の折々に色濃く出ています。
種村 なぜそのような恐怖を味わったのでしょうか。その意味は何ですか。
超越潜在意識 真実の信仰と許す心を得るための体験でした。この悲惨な経験をする中でも、なお神を信じ切れるか、人を許せるか、そして自分を許せるか、自分を神の子と信じられるのか。大きな「公案」が投げかけられた人生だったのです。家族が一緒にその「公案」に出会ったのです。そして、その後の転生で「公案」の答えを求めてきたのです。
この方はご自分の人生のテーマを今、発見されたのです。テーマが分かるということは、それはすでに解決への一歩をあゆんだということ、もはやゴールは目前ということなのです。そして本当の信仰と許し。この方が「ある愛深き神父さんの実話」として語ったように、人を一変させ煩悩の闇を消し去り変容させる力を持った愛、それをこの方が身につけてゆかれることが、この方の魂の願いでもあるのです。
種村 奥様との関係において、この方は何を学ぼうとされているのでしょうか。
超越潜在意識 奥様の心の癒しは、この方の心の癒しと連動しています。この方がご自分を許し、ご自分を愛し、ご自分を信じる、その程度の応じて、奥様もご自分と向き合うエネルギーを得られるでしょう。同じ恐怖、絶望、失望が、この奥様にもあるからです。妻の心を、その苦しみを受容していくとき、彼女は自分の問題と向き合う力を得るのです。そのとき奥様は学びの扉を叩くことになるでしょう。

Aさんからの投稿>
ロール・レタリングの件は、ありがとうございました。
まだまだ自分でも、自分の心を声を素直に聞くことに不安感があるようです。
素直に自分を出すことに恐怖感を持っているようです。
 確かに種村さんのロール・レタリングにあるとおり、家族全員が同じ非情な体験をしているようです。
それが何とも言えない深い悲しみとして、自分の中に伝わってきます。
 なぜ自分の中にこのような恐怖感があるのか、深層意識に問いかけたところ、
おおよそ次のようなものでした。

Aさんの深層潜在意識からのメッセージ)
本来、自分には能力はあったのだ。
数多い過去世の中には、未来を見ることのできる能力を持って生まれた時もあったのだ。
ただ未来の予言は、破滅的なものも多かったため、
人々のために行ったことが、逆に迫害を生むこともあった。
不幸の預言者ということで、迫害され、殺されたこともあったのだ。
人々のためにやったことが、かえって自分を追い詰める結果となってしまうため、本来の自分の能力を発揮するのに、かなりの恐怖感を感じているのだ。
自分が人々に感ずる絶望感、自分に対する無力感、
心の底に横たわる、言いしれぬ不安感・・・、
それらの根幹は、ここにつながっている。
何が足りなかったかって?
愛が足りなかったのだ。許しがたりなかったのだ。
恐怖感に打ち勝つ信仰心、迫害する者達への許しの心。
心の根底に横たわる恐怖感や絶望感は、神の「許し」によって癒される。
神の「許し」を追求していくなかで、自分の心は癒され、恐怖感や絶望感から解放され、本来の姿を取り戻していくであろう。
「感謝」と「許し」をどこまでも追求していくことだ。
そこに答えはある。


過去世において未来をみることができたというのは、いまいち信じがたいですが、自分の心の中には何らかの強いストッパーがかかっているような感覚があります。特に霊的覚醒に対する非常に強い恐怖感を感じます。
以前私が入信していた宗教団体で、この「霊的覚醒」への危険性を相当すり込まれたことも、原因の1つとしてあると思います。
過去世からの影響が現世において現れているとするならば、それらの問題をしっかり受容し、1つ1つ解決していきたいと思います。

(コメント)

Aさんの深層潜在意識からは、過去世の能力や仕事について、驚くような内容が出てきました。
私たちは、これをそのまま信じるかどうかより、現在の自分の問題にかかわって納得ができる部分があれば、それを参考にしていくという立場をとっています。
心の傷は大元の原因が理解で来て、それを吐き出すと癒されます。ですから、こうしたロール・レタリングをしてみて、その結果心の傷が癒され恐怖心が軽減していくようなら、それは真実に触れていたと判断できるかもしれません。
あくまでも、それが心の成長を促すなら有用性があると認める。そうした立場で行っています。
ちなみに、Aさんの恐怖心は、その後次第に薄れていきました。