2013年10月7日月曜日

依存性人格障害の視点から⑰共依存


献身的依存


縛られた人間関係

「共依存」という言葉があります。お互いに依存しあった関係をいうのですが、専門的に言うと「自分と特定の相手がその(病的な)関係性に過剰に依存し、その人間関係に囚われている状態」をさします。

代表的なものは、夫がアルコール依存症やギャンブル中毒で、収入をアルコールやギャンブルにつぎ込んでしまって家計が火の車なのに、妻が夫に治療を受けさせるわけでもなく、仕方がないとあきらめて、自己犠牲的に身を粉にして働いているケースです。妻が夫に献身するほど、夫は妻に甘えてしまうため、それが夫の立ち直りを阻害してしまいます。夫に対して突き放した態度をとったほうがいいとわかっていても、それができないのです。

この場合、夫は明らかに妻に依存しているのですが、妻もまた夫に気持ちの上で依存しています。あるいは夫の反発が怖いという思いもあります。いずれにしても「こうするしかないのだ」という思い込みに縛られているのです

 これはドメスティック・バイオレンス(DV)や虐待の家庭においても、しばしば見られる現象です。

なぜこうなるかというと、共依存者である妻も、自己愛(自分を大切にする気持ち)自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存の関係を続けることが多いのです。

 

献身という魔力

こうした依存性人格障害の人は、「献身という魔力」に自分自身が縛られています。このタイプの人は、子供時代にアルコール中毒で虐待もするような親に対して、恐る恐る従うだけでなく、むしろ積極的に尽くしてきたことが多いのです。いわば親の自己愛に仕えて献身してきたのです。

こうした親との関係を、別の人との関係で再現し、反復するケースが非常に多いのです。「かわいそう」と思ってしまって、その思いの縛りから自分を解放できなくて、結果、相手のわがままな自己愛に奉仕してしまいます。その関係を自分からは解消できなくて、自己犠牲的な人生を歩んでしまいます。

献身や自己犠牲そのものは尊い側面を持っています。しかし、それによって自分が縛られて苦しんだり、相手の自立を妨げるとしたら、それは相互の人格の向上を阻害してしまいます。

 


カルトの問題

 カルト団体の男性支部長と婦人部長にも、共依存が発生することがあります。支部長は組織からのノルマを果たすために、どうしても婦人部長の助けが必要になります。何かにつけて婦人部長に依存し、さまざまな自己犠牲を婦人部長に強いることがあります。金銭的にも、時間的にも献身を要求します。

 一方、婦人部長は家庭に不満があり、家庭に居場所がない人の場合には、カルトの支部活動に生きがいと居場所を見出し、支部長に評価されることで自己評価を満足させていることが少なくありません。さらに、支部長だけが彼女の気持ちを受け止め理解してくれるように思える場合もあります。こうなると、献身して相手に喜んでもらえることが生きがいとなるため、「献身の魔力」につかまってしまうのです。

 お互いがお互いに依存しているのですが、その結果、通常は家族が犠牲になります。そして家庭崩壊へと向かうことが、しばしば起こります。特に子供が犠牲になるので、思春期以降の反抗期にそのつけが一気に噴き出すことも少なくありません。

 勇気を持って、今までの自分の依存と向き合い、それを乗り越えていく必要があります。しかし、依存性人格障害の人が依存から自立へと向かう際には、不安、罪悪感、喪失感といった複雑な気持ちが湧き起り勝ちです。そのため非常に自立は「勇気」がいる行為なのです。それは大変つらい作業であるために、カウンセラーのように自立を支援してくれる専門家が必要とされることが多いのです。


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