2013年10月16日水曜日

依存性人格障害の視点から⑳克服のポイント(1)


自分の人生を取り戻すために


熱烈信者時代

ここでは私がK会への依存から脱却できた心の軌跡を書くことで、依存性人格障害の克服のポイントは何かを考えてみたいと思います。

私は教祖の書籍を読んで感動し、K会に自分から進んで入りました。教祖に招かれ初期から職員となり、間もなく過去世において教祖の高弟であったと告げられました。職員を12年間して還俗となりました。理由は私の守護霊が教祖に待遇改善を要求し、教祖の聖務を妨害したというものです。これが私に告げられた理由でした。私には確認のすべがありませんでしたが、還俗勧告には従わざるを得ません。教祖自身による決定でしたから。

職員を辞めても毎月1万円の植福の会は継続し、『太陽の法』100冊献本や同名の映画の100枚チケットの購入と映画へのお誘い活動をしていました。また会員の方の経営する2つの企業に勤め、そこでの信仰に基づく仕事をしたいと早朝の祈りから仕事をする日々でした。祈願は精舎か支部で毎月行い、信仰を深める努力をしてきました。K会の経典を熱心に読み、読誦し、政治活動には積極的に参加し、また週刊誌からの攻撃には、出版社に直接出向いて反論を行ったりしていました。今から思うと、熱烈すぎる信者であったと思います。

 
疑問の始まり

 最初の疑問は教団の自浄作用のなさを実感したことでした。官僚主義的で自己保身の強い教団幹部の組織運営に対して、在家の人が抗議し改善を求めたことに対して、声をあげた人が在家の役職をはく奪されたり、活動停止になり全世界に張り紙をされる姿を見ました。K会の教えでは教団の行為が正しいかどうかを判定する基準として、その教団が大きく広がってその行為をしたとして、それが適正かどうかで判断する、という基準が教えられていました。教団が国教になったり、世界宗教に広がった場合に、教団の運営の改善を求めて努力した人にこのような処分がされるとすると、その人の社会的な抹殺につながると思われました。これは自浄能力を失った全体主義組織ができていくなと懸念しました。

 これが私が疑問に突き当たった最初でした。

 教えと行動のずれも気になりました。K会の教祖は、本当に教団のためになると良心に照らして確信すれば、たとえ三宝帰依に反すると言われても行動するようにと、当時の新刊書籍『ストロングマインド』で信者に呼びかけていました。しかし、実際にそうする人が出てきた場合は、教団幹部はそれを圧殺し、教祖自らそれを追認することを知りました。教えを実践した人は、教団から迫害にあいました。教祖がそれを容認し、後押ししました。

 教祖や教団の「救済の志」に関しても疑問を持ちました。週刊誌に教祖の批判をした奥様に対して、教団は「永久追放」の処分をしました。「永久追放」とは、教団から見ると絶対にその魂を救わないということの意思の表示です。私は一切衆生救済という教団の大義名分が、単なる見せかけのスローガンに過ぎないことを知りました。教祖が根本仏なら、救済において例外を認める(救わない魂を認定する)ことは、あり得ないことです。

 
教えと教祖への疑問

 教祖が弟子を相手に行った「宇宙人リーディング」は興味深く読みましたが、次第にそこに登場する職員が自己顕示欲を丸出しにして、どれだけ自分が偉いかを競うだけのものになっていることに気づき、心底嫌気がさしました。さらに精舎で公開されていたDVDで、理事会で悪魔に入られて倒れる理事が出て、それに対して教団が教えていた降魔の方法が完全に無力であったことを知りました。理事クラスの弟子の宗教的な力の欠如にも、教えの価値への疑問を感じさせました。また理事会に悪魔が入って暴れるなどということは、私の職員時代には聞いたこともなく、教団の堕落を象徴するものに思えました。

 こうして教団と教えに対する疑問を深刻に持ち始めました。

 しかし、それでも教祖への信頼は保ってきました。なにか「深いお考え」があって、そういう状況を一定範囲で許しながら、教導しようとされているのではないかと、勝手に忖度(そんたく)してしまったからです。しかしやがて、教祖の行為によって側近の若い女性が傷つき、その家族全員が絶望して退会したことや、この家族が伝道した人も数多く退会していたことを知りました。そして私は、自分がかつて元女性秘書の方から聞いていた教祖の行為についても反省を求める手紙を出しました。教祖が本来の姿に戻ってほしいという願いを込めて。その結果、私は除名になりました。

 こうして私は、僧団と教えと教祖の三宝(仏法僧の三宝)と言われていたものが、本当は「宝」ではなかったことを確認していきました。私は、一切の先入観を排除して、白紙の立場で、素直に見たときに、「これはおかしい。間違っている」という真実を受け入れざるを得ませんでした。白紙で見るというのは、教祖の説く中道の教えです。それを実践したら、「三宝」の矛盾が浮き彫りになってしまったのです。

 
良心の目で見る勇気をもつ

 この間、私は教えに照らしてものを見るということを努力してきました。その結果、教えと現実の矛盾に直面せざるを得ませんでした。

しかし、もう一つ、私の判断の基準には、自分の「良心」の声を聴くという観点を入れました。教祖の教えは、どの教えをもとに判断するかで、正反対の結果が出たりします。そのために「教え」でチェックをかけつつも、最終的には自分の「良心」に照らしてみて、教えと良心が合致した部分で判断をしました。

もっとも、そのあと、「教え」そのものを白紙の立場で検討しなおさなければならないと考えるようになりました。種と樹と実に喩えると、種は教祖、樹は教え、実は教団や教祖の行為です。実に毒が入っているのなら、樹である教えにも毒を生み出す要素があり、教祖自身の心にも毒を生み出す傾向があったと考えざるを得ません。

 私は、私の良心に照らして、おかしいものはおかしいと認める勇気を持つことができました。これが「考える自由」を回復し、洗脳から脱しはじめることができた最大の分岐点だったと思います。素直な目で見て、おかしいと思えばそれを教祖にも伝えました。そのためには自己保身を捨てる決意が必要でした。仏教で説く無執着の教えを実践することが迫られたと思います。

 そうした勇気を持つことが、自分の人生を取り戻すためには必要だと思いました。依存性人格障害の克服は、非常につらく困難なことですが、それは自分の人生を取り戻すことにつながると思います。

ありのままの事実や矛盾を、ありのままに認める勇気を持つこと。そこに依存性人格障害から脱する道があると思います。



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