2013年8月9日金曜日

(投稿)「怒り」と「憎しみ」について ②・・・怒りの起源


悪魔の誘惑



 エゴ(自我)による破壊感情


 前回、「至高体験」について述べました。マズローの欲求段階でいう「自己超越」の段階ですが、この心境にいるときは、「怒り」や「憎しみ」とは全く無縁となりました。

 自他は一体であるという感覚が生まれたからです。

 そして、「幸福感」と「感謝」に満たされたからです。

 そこに「怒り」や「憎しみ」が入り込む余地は全くありませんでした。

 
 ということは、「怒り」や「憎しみ」から離れないと、自他一体の「自己超越」の境地に到ることはできないことになります。

 そうしてみると、これらの破壊感情は、「自他を分け隔てた」境地の中で生まれるといえます。また、これらの破壊感情を持つことで、さらに自他を分け隔てることになります。

 
 この自他を分け隔てる感情は、「自我」とも言われます。

 
 要するに、「怒り」や「憎しみ」は、「自我」から生まれ、「自我」を増幅させる方向に自らの心を向かわせます。他のマイナス感情も同様であろうかと思います。

 これらの感情を持つことに罪悪感を感じるならまだ救いはありますが、これらの感情を持つことを「正当化」してしまうと、大変危険な方向に自らの心を向かわせることになります。

 まさしく、「悪魔の誘惑」といっても過言ではないでしょう。私はそう感じます。

 
「悪魔の誘惑」というのは、通常は人々の「欲望を誘う」ということが代表的なものだと言われていますが、この「怒りと憎しみを誘う」ことも「悪魔の誘惑」だと思います。

 とくに「正義感」や「自尊心」などに訴えてくることがあるので、そこは十分な見極めが必要です。「正義感」や「自尊心」が絡むと、自分が怒りや憎しみの感情を持つことを正当化してしまい、ブレーキが利かなくなりやすいからです。

本来の自己
 
 私たちは「愛」と「調和」が、「怒り」や「憎しみ」よりも、はるかに価値があり、喜ばしい感情であることを知っています。

 自らの心境を高めるには、何を捨て、何を選ばなければならないか。私たちは心の奥底ではそれを知っていると思います。
 
 自らの存在のみならず、他者の存在も尊重することの大切さ。

 自分のみを益するのではなく、他者との調和を大切にしていくことの大切さ。

「愛する」気持ちをもったときに生まれる幸福感。

 多くの人の役に立ったときに生まれる心の満足感と喜び。
 
 心を静めて、自らの内を深く見つめてみれば、必ず透明感あふれる清らかな源泉を見つけることが出来るはずです。

 その源泉、つまり本来の自分にたどり着いたとき、自己を超えた存在を感じることができるのです。

 小さな「自我」を乗り越えて、本来の自己に出会うため、そうした大いなる価値を持った自己に出会うために、常に「悪魔の誘惑」には負けない勇気を持っていきたいと思います。

 そのような気持ちを分かち合える人々が増えていかれることを強く願っています。



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