2013年8月6日火曜日

(投稿)「怒り」と「憎しみ」について ①・・・怒りの毒


韓国の横断幕を見て

自家中毒

 日韓のサッカー試合での、日本の歴史認識を批判する、常識外れの横断幕。

 怒りを通り超えて、呆れるほどですが、やはり日本人としては気分がよくありませんでした。おかげで、今日は昼前から気分が悪くなり、頭痛とダルさに悩まされる結果となりました。

人間の怒りを発するときに出す息には相当の毒素が混じっているようで、吐いた息を水槽に入れると、水槽の中に魚が死んでしまうそうだとか。当然のことながら、怒りを発すると、体の中にも毒素が回ってしまうということでしょう。ともかく、怒りを発するということは、どんな理由こそあれ、自分自身にとっては良くないことのようです。

「怒り」に限らず、憎しみや恐怖心、猜疑心なども同じ事のようです。これらのマイナス感情は、周りに毒をまき散らすのみならず、自らの心身も蝕んでしまいます。ここで大切なのが、「周りのみならず自らにも」ということです。すなわち、これらの感情は、ただ単に毒素を生み出し、そして自らがその発信源となっているということです。いってみれば、自らが「ガン細胞」と化しているということではないでしょうか。

そういうことであるならば、これらの感情は、「どんな理由であれ」持ってはいけない。持つことは悪である、ということになると思います。

 
正当化

怒りや悲しみは「二次感情」とも言われています。

怒りは、必ず何らかのきっかけがあって「二次的に」起きるというものです。それが、欲求不満や悲しみであったり恐怖であったりもします。

 ですから、「なぜ怒りが発生するのか」を探求するには、その怒りを発生させるもととなる「原因」を探求していかなければいけないというものです。

また、怒りを発生するメカニズムとして、「○○という理由で、怒らなければならない」と考えて怒りが発生するということではく、ほとんど反射的に怒りを発してしまいます。これは、心の中にある何らかの「スイッチ」が入ることにより反射的に怒りを発生する、といえると思います。その「スイッチ」は、過去に受けた「心の傷」という場合もありますし、意図的に「スイッチ」を植え付けられることもあるようです。
たとえば某団体のように、「恐怖心」というスイッチを植え付けることによって、それが怒りへと転化してしまうこともあり、私もこの「スイッチ」を取り除くのに長い時間を要しました。

 こうした「スイッチ」によって反射的に「怒り」を発してしまった場合、正常な心境であれば、怒りを発してしまったことに対する「罪悪感」が生じます。この「罪悪感」を感じるかどうかが、1つの分かれ目であると思います。「罪悪感」を感じるようでしたら、その後に当然のごとく「反省」をすることになります。この場合の「罪悪感」は心の中の「良心」から発せられているものでしょう。

 しかしながら、「怒り」を発しても「罪悪感」を感じない場合というのは、怒りを発生することを「正当化」しているということになるのではないでしょうか。

そして、一番問題であるのは、このように「怒り」や「憎しみ」をもつことを正当化することであろうと思います。最初に述べた、韓国のサッカーでの問題行動も、彼らにとっては「怒り」や「憎しみ」が、戦後の犯日教育などで正当化されています。

 怒りや憎しみを正当化してしまうということは、自らの心を見つめ、「反省」することができなくなっているということを意味します。「正当化」したら最後、心の中で怒りや憎しみが暴走を始めてしまいます。これが始めに述べた「悪影響」を生み出すことにもなるため、心境的には非常に危険なことであると感じます。

結論づけてしまうと、先ほどの問題行動についても、「怒り」や「憎しみ」を正当化することは間違いであるということになります。逆に、彼らの行動を見て、私達日本人が「怒り」や「憎しみ」を持つことも間違いであるということにもなろうかと思います。これらのマイナス感情を正当化することになるからです。

しかしながら、人間はこの「怒り」や「憎しみ」をはじめとするマイナス感情(破壊感情)をついつい「正当化」してしまいます。日常生活においても、些細な不満が怒りへと転化することもあります。そして、自らの過ちをよりも、相手の不手際を責めることにより、自ら発する怒りを「正当化」してしまうこともあります。とても甘い蜜を含んだワナのようなものであり、本当は自らの心を堕落させるほど危険なことである、ということを見抜く必要があるのかもしれません。

こうしたことは、一国が人々をまとめるために使われることもありますし、宗教団体や他組織でも同様のことが行われることもあります。一個人でも、自ら「正当化」し自分に言い聞かせることによって、罪悪感なく「怒り」や「憎しみ」の念をもつことも少なくないでしょう。

しかしながら、結果として周りに毒をまき散らし、自らもその毒に犯されてしまいます。どんな理由であれ、「正当化」することは避けねばならないといえるのではないでしょうか。

 
私たちには、数々の先人達の智慧を与えられています。愛と調和にあふれた「言葉」も与えられています。その「言葉」が発するバイブレーションに触れながら、自らの心を調律させていきたいものだなあと感じます。

「愛」と「調和」を、私たち自身が発することによって、周りは優しさと安らぎで満たされ、私たち自身の心と体も調和されていくのではないでしょうか。そのような心境を、私自身も目指していきたいと思っています。
 

「怒り」ではなく「愛」を。「憎しみ」ではなく、「親愛」を。

 
イエスをはじめ過去の偉大なる指導者の方々は、自らの身を呈して、これらの教訓を残してくださいました。破壊想念を持つことを「正当化」しようとしたとき、またはしていることに気付いたとき、これらの偉大なる存在に想いを向け、自らを見つめることも、とても大切なことではないかと感じます。

2 件のコメント:

  1. 記事の意見が正しいと思いますが、旭日旗のために韓国選手や応援団を刺激したようだ。
    歴史上、韓国と日本は数十回戦争を起した経験がある。
    韓国は日本の侵略にトラウマを経験したので、日本に悪感情を抱くことが事実だ。
    でも、スポーツだから日韓戦について深刻に考える必要がありません。
    仏教で言う三毒の貪瞋痴を警戒しなければならないから。

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    1. 有益なご意見ありがとうございます。
      韓国のトラウマに関しては、おっしゃるとおりです。
      しかしながら、この文書は、「怒り」と「憎しみ」をテーマとしたものであり、
      あくまで、日韓の感情については、その題材にしかすぎません。
      この文書に込めた真意を、どうか汲んで頂き、
      「怒り」と「憎しみ」がいかに無益なものであるかを改めて考えてみるきっかけ作りになれば、
      大変うれしくおもいます。
      (原稿の投稿者の方からの返信)

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