2013年8月23日金曜日

幸福の科学の植福を考える㉑・・・私の後悔

職員時代の悔恨

罪悪感と自責の念

私も職員時代には布施の功徳を説いて集めた以上、それらの人の無念の思いの一部は受けなければなりません。このK会の洗脳集金システムに関するブログ記事は、私の罪をあがなうためのものです。

職員は、収益目標を必達することが常に要求されるので、ありとあらゆる方法を考えて集金します。私の場合は説法が得意だったので、もっぱら説法を磨きました。その布施の功徳や霊的な意義付けを考え出して、喜んで積極的に布施していただけるようにするのです。

たとえば「大乗のご本尊」を郷里の支部長として勧めたときは、新しい本尊の意義と功徳を霊的な体験や法にこじつけて、繰り返し繰り返し説きました。私は本尊が入ればその家に信仰が根付くし、地域も浄化されると思って勧めました。それを私の郷里への恩返しにしたいと思って、頑張りました。もっとも、新しい本尊が数多く入れば収益目標は簡単にクリアできるという計算は、口には出しませんが、心の中ではしっかりしていました。

そのトークが受け入れられて本尊が爆発的に伸びたため、全国の支部長がそのトークを使うようになりました。こうしたトークは、後輩職員に遺伝子として受け継がれたように感じています。

しかし、仏陀が偽物で、教団が邪教団になると、私のトークの技術は邪命説法すなわち霊感商法の話法に転落します。動機が故郷への恩返しだったとしても、私の故郷を霊的に汚した事実に変わりはありません。この罪悪感と申し訳ない思いは、ほかの人に味わってほしくありません。

 

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