2013年3月29日金曜日

自己愛性人格障害を考える(その1) 基本症状


1.パーソナリティー障害の基本症状

 
以前、このブログで自己愛性人格(パーソナリティー)障害を取り扱いましたが、今回もう少しこれを深めたいと思います。それによって、K会で身につけた人格の偏りを修正する参考にしていただきたいからです。心理学に縁がない方のために、できるだけわかりやすく表現してみたいと思います。

まず、パーソナリティー障害とは何かということですが、これは「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」をさします。

専門的には「著しく偏った内的体験や行動の持続的様式」(DSM-Ⅳ)と定義づけられています。

実は、パーソナリティー障害にはいろいろな種類があるのですが、すべてのパーソナリティー障害に共通する基本症状が5つあります。

1)両極端で二分法的な認知におちいりやすい。

これは全か無か、白か黒か、パーフェクトか大失敗か、敵か味方かという、中間のない2分割法の考えに陥りやすいということです。全体でうまくいっているのに、何か一つでもうまくいかないと全部がダメと思ってしまう。先ほどまで愛し合っていたのに、突然大喧嘩するというのもこのタイプの特徴です。

極端なケースでは、結婚相手を99厘決め、周囲もそのつもりでいたのに、些細なことで自分が気に入らないことを言われたために大喧嘩して、別の相手と結婚したりします。

2)自分の視点にとらわれ、自分と周囲の境目があいまいになる。

自分と他人の境目があいまいで、十分に区別ができません。そのために、たとえば「自分がいいと思うものは、他者もいいと思うはずだ」と思い込んでしまいます。自分の問題を周囲の問題にすりかえやすい傾向もあります。客観的に自分を振り返り、周囲の人の立場になって考えるということができにくいのです。

たとえば、部下を思い通りになるはずの自分の一部だとみなしてしまうので、短期間で人事異動を繰り返し、反撃を受けると謀反を起こしたと考えて極端に冷遇し始めたりしても、それを当然のことと考える人がいます。

パーソナリティー障害の人は、自分を絶対視しやすく、何かまずいことがおきると自分に問題があると考えず、周囲のものの手筈が悪いからだと考えます。

3)心から人を信じたり、人に安心感が持てない

パーソナリティー障害の人は、他者を心底信じたり、心から気を許すことができにくく、些細なことでも傷つきやすく、他者を不快なものや自分を邪魔するものと考えがちです。うわべでは親しく振舞い、信じていると言っても、心底相手を信じることができません。人に対する基本的信頼の部分で障害を持っています。

たとえば、離婚する妻を子供に平気で批判させたりしながら、その子供も仕事で失敗すると平気で切り捨てたりします。誰かを切るときには、必ず別の人を対向者に仕立てて、その人を使って切らせますが、それが問題になるとその人のせいにします。父親を切るのに妻を使い、妻に問題が起きると「父親を切ったのは妻だった」と妻を悪者にして、自分は安全圏に立とうとします。人との心の絆が結べない人です。

4)高すぎるプライドと劣等感が同居する

パーソナリティー障害の人は、自己イメージがとても理想的で完璧なものと、劣悪で無価値なものに分裂し、両者が同居しています。一方では強い劣等感や自己否定感を抱えているのに、もう一方では現実離れした万能感を抱いています。

たとえば、全世界を支配し全宇宙を統括するほどの誇大な自己イメージと、側近の若い女性に陰でバカにされるほどの幼稚で無力な姿が入り混じったりします。

この障害を持つ人は、とかく理想的な自分を夢見ますが、現実の自分に対して、自信一杯に振舞っている場合でさえも、心の奥底では本当は自信がなく、強い劣等感を抱いています。だから、この人をそばにいていつもほめてくれる人、賞賛してくれる人がいることが、心のバランスを保つためには必要不可欠なのです。

とてもプライドが高いので、通常なら冗談として聞き流せるようなことも、ひどい侮辱や攻撃として受け取りがちなので、言葉には細心の注意が必要です。

例えば、「自分の肖像画を刷った高額紙幣が発行されると景気が上向くだろう」という講演内容の話を、あまりにも非現実的に思って削除した編集局長が、講演者の逆鱗に触れ、激しい叱責をこうむったという話があります。

5)怒りや破壊的な感情にとらわれて、暴発や行動化を起こしやすい

パーソナリティー障害の人は、心で受け止めることのできる許容量が非常に小さいのが特徴です。それを超えてしまうと自分で処理できなくなり、心のバランスが崩壊してしまいます。心の問題が行動の問題となってしまうことを行動化(アクティング・アウト)といいますが、ストレスが処理能力を超えると過激な行動に出やすくなります。

ある政党の設立者は、自分の政党結成の一周年記念の時に、所属議員の人気が急上昇していることに嫉妬して、出席をドタキャンして街をぶらぶらしていたという話があります。この政党の熱烈な支持者にその姿を目撃され、おおきなひんしゅくを買ったそうです。これも行動化でしょう。

また、自分を批判した記事を載せた出版社に、自分の信奉者に命じて編集業務を止めるための襲撃をさせるということや、この人が作っている団体にだまし取られたとして、奪われた数億円の返還訴訟を担当した弁護士を、これまた十億円近い額の賠償を求めて訴えるような行為も、明らかに暴発でしょう。

以上を簡単に復讐しますと、パーソナリティー障害の基本症状は次の5つです。

1)両極端で単純化した思考パターン(認知)に陥りやすい。

2)自分と他者の区別があいまいで、自分と他人の問題を混同しやすい。

3)人と長く続く信頼関係を保ちにくい。

4)プライドと劣等感が同居している。

5)暴発や行動化を起こしやすい。

これらは一種の幼児性でもあります。
 

(この執筆に当たっては岡田尊司著『パーソナリティー障害がわかる本』(法研)をベースにしています。この本は大変わかりやすいので、お勧めします。)



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2 件のコメント:

  1. <読者の方からコメントをいただきました。>
    大小の違いはありますが、ほとんど当てはまっていると思います。
    現代は「心から人を信じたり、人に安心感が持てない」というのが多いように思います。
    人に対する警戒心が強くなっています。社会的に様々な悪に脅かされているからだと思います。
    自分の我欲が優先され、その為には他人が犠牲になっても構わないという光景を見て、体験を良くしました。
    不遇な経験をしている方も多いと思います。
    悪らつな行いで出世している者がそのまま更に恵まれた状態で実際に不思議と長くそのまま続いているのです。こういう事例は多く見てきました。(例えば、トップの弱みを握っている等)
    原因結果の法則は、3次元において善悪は関係ない抽象的な法則ではないかとさえ、疑う時も多く有りました。
    問題は、この法則です。縁起の理法です。
    これを検証する必要があると思います。
    神という存在と神への信仰の意義とは何かを明白にしていかないと、唯物論が蔓延すると思います。
    例えば、個人の悟りのみに重点が置かれて、個人の繁栄は3次元に委ねているとか。
    縁起の理法は、抽象的で悪意ある行為でも成功に向ければ成功し、この世的には幸せになっていくという見方です。現実はこうなっています。
    神への信仰をもっているような方がこの世的に不幸になっているのも事実です。
    よって、結果は死後にあり、天国地獄が分かれるというだけかもしれませんね。
    過去、最大の良き種まきをしている聖人でさえも処刑されていますから。
    ここだけみても原因結果の法則は成り立っていないですね。学術的な解釈が正しいかもしれない。
    はたして、善因善果、悪因悪果かどうか。この世とあの世を貫く法則か否かです。
    3次元では、悪因善果にもなっている。あの世では如何に、天国地獄は存在する。
    つまり、幸福は神によって個々人に対して、与えられるということかもしれません。
    必ずしも経済ではないでしょう。個人にとって必要な幸福を与えられる。
    神の御心に叶わない者は、神は何も行なわず3次元に委ねるということかもしれませんね。
    (但し、3次元が唯物論に満たされた時、なにかしらの神の警告、力が臨んで来る。)
    これまで学習した様々な教え(K会以外でも)を一旦リセットする必要があるように思います。

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  2. コメントをいただきありがとうございます。
    現実を直視しながら、法を再検討するというプロセスは賛成です。それは一つの勇気だと思います。
    ところで私が経験している現実には、心の現実があります。深層潜在意識レベルに関わってくると、この世で「悪因善果」と見えることも、やはりはるか昔にまかれた種があり、それが発芽していることが見えてまいります。そうなると表面意識と個人的潜在意識、さらに深層潜在意識という全体を見たときに、善因善果、悪因悪果という縁起は成り立っているとしか思えません
    したがって、「因果はくらまさない」という仏教の教えは正しいと思わざるを得ません。ですから、誰がどうであろと、善をなしていこうという努力が尊いし、そういう姿勢がその人のためになると思います。
    これが私が経験する中で、得ている結論です。
    もう一つ、諸行無常という真理が重要です。これは刻々に変わっていくという真理です。昨日までこうだった人も、今日はまた変わってくるので、相手をこういう人だと決めつけることなく、常に白紙の心で見ていくようにする。それが諸行無常です。常によりよく変わっていくという希望を持って人を見ていくことができますし、また、油断もできません。これは自分もそうです。
    「この経験は、いかなる意味があってさせていただいているのだろうか」という見方を、常に心の片隅に持っていて下さい。河合隼雄さんがカウンセラーとして勧めている見方です。そうすると善悪を超えて見えてくるものがあります。
    少し角度は違いますが、キュブラー・ロスという方も、「この問題が問いかけているものは何か」という問いを、常に自分に発していました。この方は霊的な人生観をもって物事を見た方で、この方の書かれたものを見ると、霊的人生観はなにもk会の専売特許でも、宗教の専売特許でもないことがわかります。

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