2013年3月25日月曜日

洗脳解除のために(その3)

過去世認定をめぐる諸問題

K会における過去世認定のリスクについては、かつて詳細に書いたことがあります。しかし、洗脳解除という面では、別の問題もはらんでいるため、改めて過去世認定の取り扱いについて論じてみたいと思います。


過去世認定の目的

K会では、日蓮の指導による個人相談の中で、結構、相談者の過去世の話が頻繁に出てきていました。相談者の中には、結構有名な過去世を持っていた人もいるとのことでした。ある画家の方は、奈良時代の有名な芸術家の生まれ変わりであると言われました。そのために最初期には、在家の委員などもされ、講演会であいさつされたこともありました。

しかし、その方がOR氏を批判するようになると、悪魔の影響があるということで、OR氏が釈迦の十代弟子の何人かがすでに集ってきていると、実名を上げて発表しました。その中の一人は、個人的な手紙のなかでも過去世を教えられていたようです。

こうして、OR氏が採用した職員が過去世においても釈迦の有力な弟子であったということで、批判者の声を封じ込めたといういきさつがありました。この弟子の過去世認定によって、OR氏は自分の権威を高めることに成功しました。

しかし、過去世を教えられた弟子に対しては、本人の実力や悟りと無関係に会員が特別視するようになりました。また過去世を知らされたものは、プライドが生じて、時には慢心が生まれやすくなりました。あるいは、過去世と現状に自分を比較して、劣等感をもち、自己卑下に陥ることもありました。

そういうことで、あまり生産的な結果が生まれなかったという反省もあり、その後はほとんど過去世の認定をしなくなりました。例外は、奥様や子供への過去世認定です。自分の身内に対してだけは、結構、認定をしていたと思います。もっとも、近年は弟子の過去世認定のオンパレードになっているようです。組織の求心力をつけるための苦肉の策ではないかと思います。

K会の一番の問題は、過去世認定の動機です。真理の探究とか、本人の傾向性の修正という目的ではありませんでした。OR氏の権威を高めるため、K会の求心力を高めるという目的で、過去世認定がなされてきました。この動機不純という問題が、K会における過去世認定の問題では、最初に指摘されるべきだと思います。


過去世の検証

過去世の検証の問題もあります。大川きょう子氏の過去世を全部否定するに際してOR氏がとった手法は、「あれは本人が言いだしたこと、もしくは高橋信次氏が認定したことだ。それに対して検証をしてきていない」という論法です。

OR氏は離婚問題を論じる中で、自分はその人と会うだけで、過去世も全部見えるし、未来も見えてくる。きょう子さんにあった時は、もし自分が結婚を断ったら彼女の未来はかわいそうなことになることが見えたので結婚した、みたいなことを言いました。この口ぶりからは、OR氏は観自在力によって自由自在に過去も未来も見通せるはずです。

まずここに嘘があります。きょう子さんが自分と結婚して、不幸のどん底に堕ちたり、自分も離婚する未来は見えなかったわけです。また彼女の過去世もまったくわからなかったわけです。このように、OR氏は自分を高く見せるために、平気でうそをつく虚言癖があることを見抜かなければなりません。
 
私の過去世認定については、当事者ですのでよく覚えています。舎利弗であるということは、これは何度も何度も言われてきました。先ほどの釈迦の十代弟子を何人か発表されたときに、私もその一人だと認定されました。

その後も、三宝帰依体制を固めるときには、釈迦の側近が周りに来る必要があると言って、私が事務局長に抜擢されました。邪教批判、創価学会批判の時は、舎利弗であった種村は釈迦時代にも法将であり、現在もそういう役割であるとされて、他宗批判の最前線に立たされました。特に仏教的な色彩が強くなるたびに、私は近くに呼ばれて、比較的重要な役職を命じられてきました。

また栄西と不空三蔵は、初期の西荻の道場で行われた霊道現象の際に、OR氏が呼び出して原久子氏に入れて私と話をさせています。私の守護霊だ、魂の兄弟だと言って、私がその方と直接話をしているのです。それはテープにもなって販売されました。ということは、OR氏は栄西や不空三蔵を呼びだして、私の魂の兄弟であることを確認、検証していたことになります。

同様のことは、きょう子氏の文殊菩薩でも起きています。きょう子氏に文殊菩薩が入り、OR氏に釈迦が入って、「文殊よ、文殊よ」と涙ながらの話をしています。また過去世の言葉で話したりもしています。

要するに、霊的に本人を呼び出して検証していたわけです。だから、信者も信じていたのです。

しかし、二人がOR氏の批判をする側に回ると、百八十度態度を変えました。「あれは本人が言いだしたことだ、高橋信次が言いだしたことだ。私はまだ検証していない」と言いだしたのです。そして新しく、文殊や舎利弗を名乗る霊を自分に入れて、「あれは間違っていた」と語らせたのです。

これは芝居です。演出といったほうがいいのでしょうか。過去に自分が述べてきたことが、都合が悪くなったので、どうにかしてつじつまを合わせるために芝居を打ったとしか見えません。

 ここから出てくる真実は、もともとOR氏は観自在力などなかったのではないかという疑問です。あるいは、昔は少しはあったが、最近はなくなったのかもしれません。しかし、昔も相当怪しい力しか持ってなかったのではないかと思われるのです。霊の声は聞こえたのでしょうから、霊人がこうだといったら、そのまま信じていたのではないでしょうか。

文殊菩薩やナイチンゲールの霊示による祈願も作ったわけですから、霊的にはコンタクトしていたはずです。それでもわからなかったのでしょう。あとであれは違っていたと言って否定したわけですから。

不空にしても栄西にしても、文殊にしても、霊眼がひらけて見えていたとは思えないのです。まして最近の霊言は、悪霊が高級霊の振りをして出てきているものが非常に増えていたり、本人の自作自演としか思えないものも少なくありません。それで「検証」ができたなどと、到底言える代物ではないと思います。

以上、「検証」について検証してきましたが、K会で行われている内容は、教祖がこのレベルですから、信者が精舎で過去世の探求をしたりしても、教祖のレベルを上回ることはないのだろと思います。

 OR氏の過去世認定で一番間違っているのは、本人の過去世です。釈迦、ヘルメス、ラ・ムー、トス、リエント・アール・クラウドは全部間違いであると思います。オフェアリスに至っては、架空の人物の名前なのでオシリスだと言い換えました。オシリスは確か『永遠の法』で孔子の魂の兄弟としていましたので、最も基本的な三部作もいい加減であるということです。

私はいまのOR氏の傾向性から見て、彼は過去世でハーレムを作っていたのではないかと想定していますし、「我は神なり」「我は根本神なり。我の上に神はいない」といって、増上慢になって地獄に堕ちた可能性が高いのではないかと思います。

OR氏はうぬぼれが強く、自分の巨大な像を本尊に祭らせたり、自分の顔が高額紙幣に印刷されたら経済は繁栄するということを、高橋是清と称する霊人に言わせたがります。これはものすごいナルシストであり、重度の自己愛性パーソナリティ障害です。

彼はまた、側近の弟子に別の側近の弟子を批判するように仕向け、常に両者が対立するように仕向け、お互いを牽制させて、そのパワーバランスの上に君臨するという組織の操縦術を使ってきた人間であると思います。これは一種の両舌ですので、お釈迦様の意識ではありえないと思います。

自分が本当は何者かがわからないというのでは、正見ができていません。全部自分のプライドを固める方向で過去世認定を利用してきたのがOR氏でした。したがって、K会の影響を受けた人の過去世認定は、その人のプライドを固める方向に使われるので、本人の心の成長を阻害するものでしかないと思います。


過去世をどう扱うのか

私は現代という時代は、悟性の時代、霊性の時代というだけあって、深層潜在意識の記憶がよみがえりやすい時代でもあると思います。心理学では退行催眠を使っての過去世の記憶をよみがえらせる治療が数多く行われています。その第一人者のワイス博士は、退行催眠を使わずとも、集団の人がその磁場の中で過去世を思い出してくるようになったと報告しています。エドガー・ケイシーは表面意識が眠っている間に、自分の深層潜在意識がクライアントを鑑定して過去世の認定をしたこともあるようです。

私がお会いした方の中には、アメリカや日本の退行催眠で実際に自分の過去世を教えられたという方も幾人もいますし、それがあながち間違いだとも言い切れません。また、カウンセリングの現場では、過去世の記憶につながるような強迫観念が出てきて、それを味わっているうちに、おおよその過去世の事件の輪郭が見えてくる場合もあります。

過去世の記憶は懐かしさという形で感じ取ることもあるように思います。自分が過去世に学んだことや、思い出の場所、思い出の物に出会ったときに、または過去世で縁のある人に出会ったときに、猛烈ななつかしさや感動を味わうことがあります。

過去世の記憶は深層潜在意識の探求をしていくと、必然的に出てくる問題です。それは自分が永遠の生命を持っている存在であるという認識をもたらしてくれます。また、自分のカルマと言うべき心の傾向性がどこから発生したかを探る上では、過去世の記憶を思い出すことは必要になります。過去世そのものを思い出したり、その内容を思い出すように誘導することは、通常の抑圧を扱うのとそれほど大きく変わらないと思います。

潜在意識には一定の自律性があって、本人の潜在意識は本人の心の成長を阻害する情報は与えないように思います。今この過去世を教えることが本人のためにならないと思えば、どれほど知りたいと思っても教えてはくれません。私はそうした潜在意識の自律性を信頼して、この問題を取り扱うのが正しいことのように思います。

まず、本人の深層潜在意識の了解を得た範囲で、本人の過去世の記憶が出てきたり、場合によってはカウンセラーがヒントを与えることは、許される範囲内であると思います。その場合は、本人の心の成長にもプラスに働くと思います。

過去世を考えるうえで、私たちのほとんどは、それほど有名な人でもないわけですから、特定の名前を言ってもわかりません。そこでよく似た傾向のある人で有名人の名前を方便として教えてくることもあるように思います。その場合に、自分がその有名人だと思って、自分のプライドが高くなり、慢心していくようなら、心の成長にとってはマイナスになります。

この場合は、過去世の名前はあくまでも傾向性を見つめていく上での参考にするつもりで受け止めるのがいいように思います。その傾向性がわかれば、自分の考え方のパターンがどこから来ているのか、どう修正したほうがいいのかなど、いろいろ考えることができます。

また、ある程度覚醒が進んでいるのに、自分を低く見すぎるためにそれ以上の心の成長が進みにくくなっている場合、ある程度有名な方の名前を言われることで、自分の中にある同じような優れた資質を自覚するということもあるのではないかと思います。


過去世の記憶の生かし方
 

いずれにしても、過去世とは自分の深層潜在意識の記憶です。その中にある傷となっている体験は、今世にも影響を与えています。その抑圧を取り除くことで、私たちのエネルギーは増大していきます。あたかも氷が解けて水となり、水車を回す原動力となるように。こうして癒しにより活動エネルギーの総量が増大する現象が起きてきます。

そして、この深層潜在意識と個人的潜在意識の抑圧、もしくは心の傷が癒され浄化されていくことで、超越潜在意識との交流が容易になってきます。こういうメカニズムが働いていると思います。

過去世認定の問題も、そうした心の成長を促進するために働くならプラスですし、そうでないならマイナスといえると思います。

ただし、こういう場合も考えられます。過去の転生において、自分の「過去世」を思い出して、それがプライドとなったり自己卑下となってカルマを形成した場合には、「過去世」を今世で教えられること自体が、意味のあることとなってきます。つまり過去世を知るということは、一つの教材なのです。それをどう取り扱うかによって、心の成長が加速される場合もあれば、その逆の場合もあります。それは一人一人に課題としてゆだねられているように思います。

私の場合は、舎利弗という過去世をいったん否定することで、自分の余計なプライドが消え、執着が取れました。執着を去って、真の自分と向き合えたことで、逆に自信と強さが出てきたように思います。飾りがなくても、自分は自分であるという自信です。飾りが無くなることで失うものは何もなかったということを発見しました

いろいろな過去世は自分の中のいくつかの傾向性でもあるので、自分自身をトータルで把握するためには、いくつもの傾向性を持った過去世の記憶は、ある程度把握したほうがよいように思います。また、人生の中で、ある年齢から大きく性格が変わるような場合、自分の深層潜在意識のなかで自分に働きかけていた意識が変化した可能性があります。守護霊が交代したと言われる現象です。この場合、切り替わった以前の性格を封印していることもあります。その場合は封印を解くことで、人格の統合が成し遂げられます。

いずれにせよ、さまざまな傾向性を内包した自分を統合する大きな自分を創っていくことが、今に生きる私たちの課題であると思います。



参考「洗脳解除に役立つ本」


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