2013年3月12日火曜日

自らを神とする者とその弟子の心理


  師と弟子の幻想共同体が崩れるとき

 

 心理学から見ると、過てる宗教カリスマは「自らが聖者や神となる以外には救われないほどに、誇大に膨らんだ自己愛を抱えた存在」ということになります。その奥には、そうせずにはいられないほどの深い劣等感があり、そして深い自己愛の傷があるはずです。

「自己愛」というのは、自分を大切に思う感情、自分が優れた価値ある存在だという感情です。これは人間には必要なものです。自己愛が深く傷ついている人は、それを補ってくれるものが必要になります。ある高名な教祖も、若いころに相当深く自己愛が傷ついた経験があったのではないかと思います。

その教祖の劣等感の深さは、小学校から高校までのテストの点や成績の順位をあまりにも繰り返し言いすぎることで、さすがに気が付く人が増えたと思います。癒しきれない劣等感がなければ、あそこまで言いません。
 
ここで思い出すのは、その教祖が少年時代に相当太っていたため、ご両親が「この子は相撲取りにするしかない」と話しているのを聞いて、ショックを受けたという話です。お兄さんが早熟の天才といえるほど成績が良かったので、小学生のころの教祖はずいぶん劣等感が強かったと思われます。
 
また、その教祖の故郷は差別されている人が多く住んでいる地域だと証言する人が最近出ていることを考えると、いわれのない差別に苦しい思いを持った可能性もあながち否定できないのかもしれないと思います。

そうでなくても、共産党の闘志であった父親のもとで、教祖は小さいころ赤貧あらうがごときの生活だったと、その父親が初期に集まった職員に話していたことがありました。
 
そういうことを考えると、この教祖には深い劣等感や深く自己愛が傷つく体験があった可能性があると思います。そうした過去の心の傷が、自分を神にせざるを得ない心理や、異常にお金に執着する心理の背景にあるのではないかと思います。
 
 そうした宗教カリスマを信奉する人々も、同様の心理が働いていることが少なくありません。
 
「自分もまた特別でありたいと願いながら、しかし、何の確信も持てない人」にとって、「真理」を手にしたと語る存在、根本仏の化身であると確信をもって語る存在に追従し、その弟子となることは、「自分もまた特別な出来事に立ち会う特別な存在だという錯覚」を生みます。

 この信仰(妄想?)共同体においては、自分が「特別な存在」だと確信できるためには、指導者である宗教カリスマが真に特別な存在でなければならないのです。

 もしこの指導者がインチキなら、自分は何ら特別の存在でないどころか、「ペテン師に引っかかったただの愚か者」になってしまうからです。この場合、自己愛が大きく傷つき、そのみじめさは耐えられないほどとなるでしょう。
 
つまり、「自分が特別な存在でありたいという願望」が、宗教カリスマを信じ続けるしかないという状況に、その人を追い込んでいくのです。それを疑うことは、自分が生きてきた人生の意味を否定するようなものとなるのです。
 
こうした心理が信仰(妄想?)共同体を支え続ける原動力となります。
 
しかし、信者や職員であっても、教団の中では、さまざまな理不尽さや矛盾を体験します。でも、その矛盾や理不尽さと向き合い、教祖が特別な存在だという前提を疑うことは、自分自身の存在の支えを危うくします。だから、一切の矛盾や理不尽さに目をつむり、都合の良い事実だけを見て、宗教カリスマを盲信し続けるしかない状況に陥っているのです。
 
こういう人は、それが妄想であったと本当に気が付いたときには、一つの精神的な危機を迎えます。自殺願望も起きかねません。なぜならその事実に目覚めることは、「長年自分を支えてくれた世界が崩壊」することであり、もはや何も頼りにできるものがなくなるように感じるからです。ただ、「自分が妄想にとらわれて人生を無駄にしたという事実」しか残らないように感じます。それはあまりにも過酷な現実と向き合うことを意味します。ですから妄想が取れたときに、自殺する危険があるのです。
 
  私自身、そのような心理的な囚われの中を潜り抜けた経験があります。
還俗してのち方向性を見失い、自分を作り直すために参加したところが、なお一層間違っていたのではないかと疑われる状況に直面しました。私はその時に、真実に向き合うことを拒否して、自分が特別な存在であるから神が私に特別な任務を与えたのだと信じることを選びました。
 
そう信じた心の奥には、もしそうでなければ「私の人生は何だったのかという疑問に向き合うことへの恐れ」があることに、ひそかに気が付いていました。でもそれを見ないことにして、盲信の道を選んだのです。
 
結果は惨憺たるものでした。人生の完全な行きづまりを経験しました。どうにもならなくなり、私の信念が妄想にすぎなかったと認めざるを得なくなったのです。私はここまで来て、ついにそれを受け容れました。しかし不思議なもので、そこから本当の意味で、新しい道が開けだしたのでした。
 
ですから私は信じている方々に言いたいのです。真実と向き合ってほしい。それがどれほど過酷な真実であろうとも、真実に向き合う勇気を出せば、あなたには必ず新たな道が開けます。それこそが人生の真実ですと、そう申し上げたいのです。
 
 私は、自分自身の経験から、今まで信じたものを疑うということが、どれほど難しいかを知っています。またもしそれを受け容れることができたなら、今度はそれがどれほど深刻な精神的な危機をもたらすかということを知っています。自分の存在そのもの、人生の意味そのものが根底から無意味化してしまうほどの、恐怖に直面させられるのです。
 
ですから、信者の家族や友人は、どうかその苦しみを理解していただいて、その人の真の価値を信じて寄り添ってあげてほしいと思います。誰かがその人を心の底から信じて、愛のエネルギーを注いでくださったら、その人はきっと精神的な危機から立ち直ることができると思います。私もまた、そうしたお手伝いをさせていただきたいと願っています。
 
                                                                   種村トランスパーソナル研究所 所長 種村修

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