2013年2月9日土曜日

投稿・根本教義「与える愛」の洗脳と落とし穴を検証する(3)


教義「与える愛」の危険性を考える

(前回から続く)

3.教義「与える愛」の危険性

1)与えられているという感謝の不在と裁き心

 他人に対して愛を与えようとすればする程、自分の心は、愛が不在となって行くのです。裁きの人間になって行くのです。絶対的存在の仏を信じるが故に、法に叶った自分の言う事は、絶対に正しいという思いが出てきます。そして、悩んでいる人にさえ「上目線から断定的に法で切っていく」のです(法で裁いている)。これは、「自分が相手より上である」という心の表れです。相手の心を受け入れるのではなく、相手の考えを絶対に正しい法に適合させようとしているのです。相手が受け入れなければ、更に強い姿勢で「法を強制する」のです。

一方的に愛を与える、与えているという思いは、「他の人から与えられているものに気づかなくなってしまう」のです。そすると、次第に「感謝の気持ちが消えて行く」のです。他の人から学ぶ姿勢の素直さが薄れて行きます。

一方的立場から、愛を与えるという心と言動の弊害」は多いと思います。太陽は年中休み無く、陽の光を与えて続けて下さっています。太陽が、「自分が地球人に愛を与えているからあなた方人間は生きて行けるのだ。私が与えなければ生きて行けないのだ。」と思っているのなら、信仰を強制するでしょう。しかし、現実は、人間が何を思っても、どのように生きたとしても、ただ人間を愛し、一人一人を育んでいるだけです。そこに万人が大いなる愛を感じ、感謝をします。

 2)与える愛に潜む欲望(洗脳)の根源

初期の頃に神宣言をした教祖は、宇宙の根本仏で、宇宙、人を創造しました。K会は、この偉大な宇宙の神である仏と仏の説く法と仏の法を広める団体を「誹謗中傷」すれば「大阿鼻叫喚地獄」に落ちると主張しています。仏と法、サンガーへの「絶対の服従と信仰を強制」します。

ここに、「与えているのは仏」、「与えられているのは人間」という上下の構図が成り立っています。「法を説くは師にあり」、「法を広めるは弟子にあり」、という構図も同じだと思います。
仏は、「愛を与えているという自覚が強い」ということになります。「この根本的な心、高慢、名誉欲、支配欲」が、「活動信者に伝染」しているのです。活動信者には名誉欲があります。誰でも「菩薩になりたい」という欲を持っています。これは明らかに「人間心」と言えます。
だから、与える愛の実践と称して、本人は与えている心があるつもりなのですが、相手が受け入れなければ、「相手の心を支配」できないので裁いてしまうのです。そこには支配欲もみえます。これは、人々を愛し育む心からは遠いように思います。

「誹謗中傷」する人々をも受け入れて、愛して止まず救っていくのが、仏の慈悲ではないでしょうか。万人がひれ伏すべき、生きた偉大なる絶対神が法を以下の人間に「与える」ように、上から下へと流れる如くの与える愛を実践する教義自体に既に、生きた根本神の「与えるという高慢」が刷り込められているのです。これによって、与える愛を実践すれば、上から下へと見下す如くに法を強制していくのです。そしてその姿勢、行為による多くの弊害(現実と霊的側面)が現象化していくのです。

 3)愛不在、両極端な、自己犠牲と他への攻撃 

「自分は危機の時代に救世している選ばれたる人(仏弟子)である」という思いが、常に心の根底に存在していました。その誇り、優越感に浸ると同時に、偉大なる仏への信頼が心に存在していました。「自己陶酔」です。

目が覚め、仏が仏でなくなると、心の中が空洞化し自分が不在となってしまいます。自分の存在価値や考え方を、自分ではなく、仏に置いている比率が高いからです。自分の生命、「魂の親は仏」であり、「愛の根源は仏」であり、考え方や人生の生き方も仏が根本だったからです。愛心不在、思考不在、人生不在・・・。これは空でしょうか(笑)。
 
人に対してはっきりとした判断をしなければならない時に、与える愛、生かす愛、許す愛等の教えによって、自己を抑圧したり、「仏弟子だから悪人をも救うのだ」という思いが出たりして、現実には甘い判断や対応をして、結果的に自分を犠牲にしてしまうことがよくあります。
K会の「教義は抽象的で理想論であり両極端」なのです。与える愛、人を生かす事、許す事が大切だといいながら、悪に対しては断固立向かい押し留めるのだといいながら、人は全て仏性があるから、それを信じることが大切だという。
例えば、自分を取るか与える愛を取るかという選択があった時に、「仏に不可能は無い。勇気を出して仏を信じて行なえば、必ず実現する。仏はいつも守って下さっている。だから与える愛を取るのだ。」と慢心して、自分を消し込んだなら、無理な判断や極端な人の良さが出て、結果、失敗して「自分を犠牲」にしてしまうのです。
(この逆の場合、仏の存在により、他を「攻撃」することもあります。)

そうすると、やはり、徹底的に悪を退治するべきだったと思ったり、時には「何故、仏の信仰者、仏弟子の私を守ってくれなかったのか」と守護霊を裁いたりします。
ですが、「自分は100%の信仰心ではなかったから、実現しなかった」と落ち込むのです。
「仏に不可能はなく全て可能で、悪人をも救うのが仏の慈悲の力であ」るといいながら、それが実現した事は、現実面でも無く、霊的な面でも無く、敗れ去っていくのです。
実現しないのは、「信仰心が100%では無いからである。悟りが低いからである。」
誠に都合が良い理由です。
 1%も許されない100%の信仰を要求されてもできない方がほとんどなのです。ほとんどの人は実現性が無いのです。つまり、逆にみれば、仏の「救済力はかなり低い」といえます

 法もまた同じでしょう。太陽は信仰心に関係なく与え続けます。陽のあたる所に人が集まるように、本当の愛ある所には、人が集まってくるのです。本物なら信仰を強制する必要はないのです。
4)「与える」という、心は仏の存在そのもの、法は愛なき公式

 縁有って出会う方に、与える愛を実践していくとき、本当に相手を愛せていないのに、愛を与えることは難しいと思います。自分自身はどうなのだろうと、心を観た時、自分で自分を愛せていないのです。まして、他人を真に愛せてはいないのです。

 それでも、困っている人を助けていることや苦しんでいる人の言葉を聞く時がありますが、それは自分の心が相手を思いやり、そうしているのです。自分の事のように相手の気持ちを汲み取っているのです。これが隣人を愛するということでしょう。その時に「与えているという意識は無い」でしょう。

しかし、ここに仏の法が入ってくると、相手への思いやりや助けようとする行為より先に、「自己責任が優先」し、苦しんでいる人の心の在り方を、法で指摘し、心が間違っている事を認識させて、「変えさせようと」していくのです。
 ここにも、「与えている心」は一見無いように思えますが、心の奥には存在していたのです。自分の内にある「仏という存在」なのです。心に絶対の仏が住む以上、「与えているという心」が「内在している」のです
 「あなたの間違いはこれです。これを直さない限り解決はせず、不幸は続きます。仏に帰依し法を・・・」というような、問題を公式(法)に当てはめるように、愛の行為をするのではなく、冷たく言葉を吐き突き放します。このとき、与える法が間違っていたら、たいへんなことです。

 相手に不快な思いをさせる処か、間違った判断を促したり、信者なら仏のお役に立てれば幸せになると言い、高額のお布施を強要したり、何よりも(肉親や家庭、仕事や試験等よりも)優先して仏をとることだと言い、無理な活動を強いたりして、人生の大切な事物より仏を優先させて、相手の人生を大きく狂わしてしまいます。

 ならば、「四正道」とは、何であるのか。(これは、検証が必要だと思う)

 ならば、愛の発展段階説(次元構造)とは、何であるのか。自分の内なる神を愛する愛は、次元が低いのか。自分さえ真に愛するのは、難しいと思う。 (これは、検証が必要だと思う)

 5)霊的危険性、標的になるようにしていく自分

 霊的には、指導する側に悪霊悪魔が憑いた場合、裁いて心を深く傷つけたり、欲を引き出させたり、判断を狂わしたり、悪霊悪魔が相手にも憑依したりして、人生を狂わせていきます。これは相手の心を受け入れ理解しようとせず、法で切っていくからです。裁きの心に神仏が応援することは無いと思えます。
又、悪霊撃退の祈願で、関係ない人に悪霊が憑依する事もあります。
同じように自分の周囲の人にも、魔が忍び寄り、環境が悪化し、自分を悪意が包囲し、苦境に立たされたりします。
この時に自分は自己責任を重視し(これは良いのだが)、自分は自分で法(公式)に原因を当てはめ実践して環境を変えようとしますが、益々酷い状況になっていきます。祈願を受けようが、研修を受けようが、祈ろうが、最終的には、魔が指導しているが如く環境に魔が入り込んでいくのです。こうなれば、自分一人の力では、どうしようもなくなってしまいます。

自分自身に原因があるという自己責任の教えは正しいでしょう。しかし、信仰の根底に、愛が無い場合、冷たく突き放された厳し過ぎる程の試練の中で、自己責任と思えば思うほど、自分の心を締め上げていくのです。自分の努力の範疇をはるかに超えてしまうのです。
 根底に愛の心が無い法は、どんなに素晴らしい「理想論」を唱えても、実際には「現実には一切通用しない」のです。現実は、更に厳しさを増していくのです。

・・・・脱会した時に、打ち込まれていた霊的な心臓部への楔(くさび)のようなものが、随分外れたように思います。K会と関係があると、どうもこの鎖に繋がれているような感じがします。
 私だけかなと疑問に思い、知人に聞いたのですが、同じようなタイミング脱会してから、私と同じように以前より随分楽になったと言っていました。入会すると、黄金の文字で入会日が刻まれるのではなく、この楔が打ち込められるのではないかとさえ思えます

・・・種村氏のアドバイスにあった「休眠するよりも脱会して霊的に切っていた方が良い」という意味がたいへん良く理解できました。これは奥が深い意味だと思います。詳しくは判りませんが、正に、鎖を切った状態になると思います。
 
 6)私の結論;「愛を与える」という思いを捨て、「愛する」に変える

「与える愛」という言葉は、表現するには良いかもしれません。

しかし、自然な思いでの与える愛に到るまでの道が示されていなくて、「飛躍」しているのです

K会では与えるものは「自分から溢れる愛の心」ではなく、仏の説く法なのです。
「愛する」という心ではなく、「与えなければ」という意識を持って、法を与える事が愛を与えることになっているのです。
法でなくても与えなければという思いには、何かを与えなければならないのであって、心が非常に圧迫される思いがします。
これを長年実践してきた私は、自分の心から愛が隠れていったのです。

でも、「隠れただけ」であって、心には内在されているのです。それが、神より頂いた心不生不滅の愛の心です。本来の自分の心は、如何に洗脳されようとも、汚されることなく存在し、自分が見出そうとさえすれば、少しでも姿を現して下さるのです

愛を与えるというような難しいことを考えず、素直に自分の中の神の心を愛し、同じように、他の人の中の神の心を愛すれば良いと思います

本当に相手の気持ちを思いやれば、与えるべきことがあったのなら、決め付けなくても自然に分ってくると思います。もちろん、未熟さ故にできないことも多々あります。
しかし、何も介在させず、自分の心で純粋に愛する事に意味があるように思います。そうすれば、他の人に対して、自然と自分の行為が現れてくると思います。
私は、愛を「与える」ということは考えないようにしました。「与える」という思いを捨てるのです
 逆に、「与えられている」ということをもっと深く学んだ方が良いと思います。そこには、感謝があるからです。常に神に、親兄弟に、人に、自然に・・と与えられているという思いを持てば、感謝の思いが強くなり、「与える」を意識しなくても自然な感じで与えていく心が芽生えているような気がします。
 
菩薩を目指し、悟りを上げるために、与えていくという思いには、やはり、見えにくく気づきにくい「我欲」が含まれていると思います。

私は本来の自分を取り戻す為に、まず、自分の中の神の心を愛することにしています。まずはそこから始めています。
以前の愛不在の自分が少しずつですが、解消されています。そして、徐々に自分の心を素直に表現できるようになってきました。失われた自分が徐々に戻ってきています。

純粋に道を求め、世の幸福を願い、努力してきた結果は、不幸の渦中に身を置く事になりました。あえて、自己責任を問わずとも、どんなに言い訳をしても最後は自分で責任をとるしかないのです。 
しかし、得られるものも大きいと思います。神は、私のような者でも、ただ不幸なだけ、ただ虚しいだけの中に、人生を置かれてはいないように思います。その証拠に、今はきちんと脱会をしています。K会ではなく真の神に「導きの手」は敷かれていました。

 若き頃より、悟りとは何か、愛とは何かを求め続けてきて、少なくとも愛とは何であるかが、少しは理解できたような気がします。
 私には、それで十分だと思います。
 

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4 件のコメント:

  1. 本題とは少々ずれて申し訳ありません。
    「初期霊言は高級霊からの指導が入っていた」と信じておられる方もいらっしゃるようですが、私は以下のページを拝見し、「最初から高級霊の指導はなく、あったとしたら低級霊のしわざ」と考えるに至りました。是非、この件に関しても検証いただければと思い、書き込みさせていただきました。

    「NO MORE 幸福の科学」
    ・大川隆法 霊言でやらかした致命的ミス
    http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/2008/10/02/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%B3%95-%E9%9C%8A%E8%A8%80%E3%81%A7%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E8%87%B4%E5%91%BD%E7%9A%84%E3%83%9F%E3%82%B9/

    ・幸福の科学大川隆法 学生時代のバカポエム集を今頃出版
    http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/2008/10/01/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%B3%95%E3%80%80%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%A0%E9%9B%86%E3%82%92/

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    1. 投稿者さんからのコメントへの返信です

      nciygtwさんへ
      コメントありがとう御座います。ご返信遅れましてすみません。

      >「最初から高級霊の指導はなく、あったとしたら低級霊のしわざ」と考えるに至りました。」
      事実だけ追いかけると、事実と相反しているところもあると思います。
      私の現状のあくまでも推測、推測ですが、
      まず、教祖は霊道を開いているのは間違いないと思います。霊人とは話しができる。
      ただ、大悟や仏陀の悟りは、得てはいないでしょう。
      しかし、初期の霊言は、あったと思います。
      但し、全てが霊言ではなくて、混ざっていると思われます。
      又、当然、魔や低級霊の影響は大いに受けると思います。
      大悟していない状態で長時間、高級霊を自分の中に入れて(疑問的)、話し続けるのは困難で危険だと思います。
      おそらく、短時間の積み重ねだと思います。
      その断片的なものを全て霊言集に見せるため、つないだのだと思います。
      つないだ部分は、自分たちで書いた部分でしょう。
      霊言は、自分が高級霊を降ろしたのではなく、高級霊から通信状態を可能にし、霊言したものと思います。
      最初が、日蓮様系なので、そういう方との縁が深かったのだと思います。
      教祖自身は、そこそこの高い霊格はあると思います。
      しかし、慢心、自己や他人を滅ぼす我欲が芽生え、高級霊の忠告を無視して転落していったと思います。
      途中までは、天上界も離れていなかったと思います。これが、錯覚するところでもあったのですが。
      会員の救済も行なっていたと思われます。

      近年は、K会に対する天上界の指導は全く無いと思います。
      従がって現在は完全に悪魔に支配されていると思われます。
      但し、天上界は会員の救済は行なっていると思います。(会員は自分の純粋な心で天上界の光を受けることは可能、お祈りや本尊は危険)
      大体の推測ですから、これも一つの見方くらいにしておいて下されば幸いです。
      この度は貴重なご意見ありがとう御座いました。

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    2. お忙しいところのご返信、誠にありがとうございました。
      仰る通り、そのように考えることもできますね。「一念三千」で、"高級霊から通信状態を可能に"できたこともあったのでしょう。

      "教祖自身は、そこそこの高い霊格はある"。恐縮ですが、これに関しては今のところ同意いたしかねます。家庭生活で優秀な兄と比べられ劣等感を持ち、学生生活でも恵まれない容姿とコミュ力が乏しいために仲間はなく、社会生活でも有用な人材ではなかった教祖。プライドだけは高かった彼が自身を生かしめる為には、虎の威(高級霊の霊言)を借りて天上界という別世界を作り出し、死人に口なしをいいことに自身に都合のいいことを霊言として言わしめ、そこに自身が君臨するほかなかったのではないかと考察しています。東大出という頭脳だけはあったようですから、文献をあさって過去の偉人の名言をあたかも自分の言葉かのように繰り出すことは可能だったことでしょう。

      いずれにせよ、貴重なお時間を割いてお返事を頂けたことに感謝しております。ありがとうございました。
      (何度も書き直し失礼しました。会から離れてしばらく経つため、用語等いろいろと間違えてしまいました)

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    3. 念のため、下記も参考として追加させていただきます。

      幸福の科学 大川隆法 神秘の法でやらかした致命的ミス(フォックス姉妹事件)
      http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/2007/12/17/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AE%E7%A7%91%E5%AD%A6-%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%B3%95%E3%80%80%E7%A5%9E%E7%A7%98%E3%81%AE%E6%B3%95%E3%81%A7%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E8%87%B4%E5%91%BD/

      お返事はご無理に結構です。今後ともブログを楽しみに拝読させていただきます。

      削除