2012年8月29日水曜日

芥川龍之介との対話①


芥川龍之介との対話①


『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』を読みました。芥川龍之介氏の霊言だそうですが、念のために、私も芥川龍之介氏と対話をしてみました。

まず、この霊言について知っているかどうかを尋ねたところ、
芥川龍之介
「何か出ているようですね。これについては、私は一切関知していません。」
T
「菊池寛氏と霊界で会っておられますか?」
芥川龍之介
「まあ生前、大変お世話になりましたからね。時々遊びに行っていますよ。彼は明るい人ですから、私のように少し神経質な人間には、彼のようなおおらかで明るいものが、とても有り難く、刺激になるんですよ。」
T
「大川隆法氏は菊池寛氏を地獄霊だとしていますが如何ですか?」
芥川龍之介
「地獄へ行くのは彼(大川隆法氏)の方でしょう。もう魑魅魍魎の世界ですね。『新地獄変』でも書けそうですよ。自分の気に入らない人間は全部地獄行きというのは、これは何でしょうか。アウシュビッツにユダヤ人を送り込んだヒトラーみたいなものでしょうかね。彼なりに思想犯を認定して、地獄送りにしているつもりかもしれないね。」
T
「あなた様から見ると、大川隆法氏はどのような姿に見えますか?」
芥川龍之介
「私から見るとね、大きな蛇にしか見えないよ。赤い目で爛爛と、とぐろを巻いて、尻尾
を振って獲物を狙っている毒蛇だね。」
T
「大川隆法氏の問題点は、どのように見えますか?」
芥川龍之介
「彼(大川隆法氏)はね、自分が偉い偉いと言うだろう。本当に偉い人は、そういうことをあまり言わないんだよ。(本当に偉い人は)権威と謙虚さ、この二つを併せ持っていると思うよ。学歴というのは、この世の権威だろう。宗教家がこの世の権威を振りかざして、どうしたいのかね。釈迦が自分は元王子だったと自慢するようなものだが、聞いたことがないね。そんな話。」


短い会話でしたが、真実を見逃さない鋭さを、芥川氏の発言から窺い知ることができました。
芥川氏の言われる通りで、出世間である宗教家が、世間の権威を持って、自分の偉さを吹聴すると言うのは、すでにこの世の権威に捉われていることを暴露してしまっています。確かに釈迦が「私は王子だった。だから高貴な身分なのだ」といったら誰も釈迦には従わなかったでしょう。
権威と謙虚さを併せ持つ人格が、真に素晴らしい人格だという指摘も、頷けました。

芥川氏のお話から菊池寛氏との関係については、どうやらお二人はお互いに補い合い、刺激しあう関係のようです。菊池寛氏も明るい世界におられるようで、当然と言えば当然のことだと思います。

芥川龍之介氏の目に映る大川隆法氏の姿は、とても納得がいきます。
お金や女性への執着の固まりになっているので、蛇の姿になってしまうのでしょう。嫉妬深い人も「蛇のようだ」と言いますが、赤い目は怒りでしょうから、嫉妬と怒りがそうした姿になっているのでしょう。
尻尾を振っているというのは、敵への威嚇だと思います。3億円の名誉毀損訴訟とか、霊言本とか、威嚇恫喝です。「地獄へ堕ちるぞ」という脅しも、それに当たると思います。
大川氏の霊言と称する毒を持った書籍を読むと、熱心な信者の方は、毒蛇に噛み付かれて毒が回る状態、つまり洗脳状態になってしまうのでしょう。
霊言という毒で攻撃して、熱心な信者には怒りや恐怖の心を抱かせ思考を麻痺させて、教団という毒蛇の体を使って、信者を「救世活動」と称して締め付けて支配するのでしょう。

さらに問題と思われることは、自分の気に入らないものは、全部地獄行きにしてしまう大川隆法氏のやり方です。
その為なら、霊人の思想とは異なる、大川隆法氏ご自身の考えを、「霊言」として世に出しています。これは霊人となられた故人の権威を利用して、さらに、その故人の思想をも汚すことでもあります。
このような暴挙には、名前を使われた霊人も許すことは出来ないでしょう。

芥川龍之介氏には、大川隆法氏をテーマに『新地獄変』を書いてほしいと思います。大きな物語となって、何千年もの間、人々に貴重な教訓を与え続けると名作となることでしょう。
「新地獄変」の地上版の実現のために私にお手伝させていただきたいものです。

2012年8月28日火曜日

寄稿体験談「幸福の科学」辞めて良かった その5

「幸福の科学」辞めて良かった その5
2012.08.27
渡辺万里子

(求める心)

今日は、洗脳が取れ、仕事が順調になってきてからの心の状態をお話していきたいと思います。
食べられなくて必死に生きていた状態から、食べられるようになり、生活もひと段落すると、また、新たな気持ちが湧き出てきました。
確かに幸福の科学はもうこりごりという気持ちだけど、自分の中に芽生えた、求める心や貢献したい心は消えることはなかったのです。

この時代は、幸福の科学に対しては、距離を置き、幸福の科学の話題も出したくないし、聞きたくもない。いわゆる「関心を持たないし、忘れたい」という態度でいました。
この感情の元は「自分は幸福の科学の被害者である」という感情であったと思います。
私にとって「人生の長い間、一番人間として頑張れる時間を、くだらない間違った宗教に時間もお金も費やし、全てを無駄にしてしまった私の人生はなんだったんだろう」という悔しい思いと、「せめて、こうした間違いをてこに、今度こそ間違いのない人生を歩もう」と経験を消化しようとする思いに揺れている時期でもありました。

その気持ちと同時に「本物はなんだったんだろう」「神とはどんな存在だろう」と、さらに神や真実を求める気持ちも強まってきていました。
この気持ちの基になっていたのは、幸福の科学に入会する前に体験した自分自身の体験にあったように思います。

30年ほど前、離婚をし、子供を抱えながら仕事に没頭していた時期、心が閉ざされ苦しくなってきた時期に受けたあるセミナーの最中、ある瞬間に思いもかけない体験をしたのです。それは、生まれた瞬間や死ぬ瞬間、そして、過去の何回かの自分の人生を見るという体験でした。それまでの私の人生は、宗教だとか、目に見えないものだとかには全く興味が無く、関わりも無い人生を送ってきた私には、何事が起きたのかわからず、パニック状態になりました。

その経験の後、何故か目に見えないものを感じたり見えたりすることもあり、それがどういうことなのか解らなくて「きっと頭が変になってしまったんだ」「自分はまともに生きていく事はもう無理なのではないか」などと、恐怖と混乱で自分自身がどうなったのか解らない状態でした。

そんな時期に知った幸福の科学の本の中に書かれていた、霊界観や守護霊や過去世の解説に、自分の体験を重ね合わせ、「これだ!」と思い、入会を決意したのです。
多分、自分自身の経験が強烈であったために、幸福の科学に対する思い入れも、信じる心も強くなり、盲目的になってしまったのではないかと思うのです。

その後、幸福の科学にはこりごりではあっても、あの時代に自分自身が体験した出来事は私にとっては真実であり、その強烈な体験は消える事がなく、日々強く神を求めることにもつながっていきました。
「きっと、どこかに本物はある」という気持ちは消えることなく、そこから私自身の神を求める流浪の旅が始まりました。

新興宗教はもうこりごりという気持ちでしたので、新興宗教以外の「神」と名のつく本を片っ端から読んだり、人に紹介されたセミナーにも出たりしました。
そこには、今まで自分の知らなかった話題がたくさん出ていましたし、チャクラのことや霊能力に関することなどに興味を持ったのもこの時期でした。幸福の科学一辺倒で過ごしてきた私には、新鮮に思えました。
感動する本にも出会いましたし、なるほどと納得できる本にも出会いました。
友人に紹介を受けて、過去世療法を受けてみて、新たな自分の過去を映像として見たり、光に出会ったような体験もしました。
愛溢れる霊能者という方々とも友人になったり、そういう方に自分自身を見てもらい、「なるほど・・」と思え、心が癒された時期もありました。
そして、そこに何年かの月日を費やしました。

しかし、どうしても気になっていたのは、自分の心の中に起こる「自分を裁く心」「人を裁く心」「人を見下す心」「自分を守る心」「人の気持ちをコントロールしたい心」「お金がなくなることへの恐怖心」「生きていくことへの疲労感」などなど・・・・・。
心から湧き出てくる不安感や恐怖心など、そうしたものから完全に逃れることが出来ず、
どこまで行っても、私の心は落ち着かず、その心が反対に絶対なるもの、いわゆる神を求める心の強さにもなっていきました。

神近いものに触れる事はあっても、心の底から安心できる絶対なる神には出会えず、いよいよ「絶対なるもの」を求めることや「これこそ本物」を探すことをあきらめて、今の人生に妥協しようかな・・・と、思っていた矢先の在る時でした。

その日、明け方に誰かに呼ばれたような気がして目が覚めました。時間は明け方の4時でした。
私は目覚めて、居間のリクライニングシートに横になり、ぼんやりとしていました。
そして、自分自身に対して「何の用ですか?」と、問いかけました。
目を瞑っていると、目の前に光が見え始め、その光の中から声なき声が聞こえてきたのです。

ここからが私の本当の意味での再生になります。そして、私の人生は劇的に変わり始めるのです。
この時に何が起こったのか、何を光から言われたのか、そして、その後の私の人生がどう変わっていくのか、それについては、次回にお話したいと思っています。

2012年8月26日日曜日

寄稿体験談「幸福の科学」辞めて良かった その4

「幸福の科学」辞めて良かった その4
2012.08.26
渡辺万里子

(成功できない理由は「教え」の中にある)

前回の話の中で、ホームレス寸前までいった私が、洗脳から解き放たれ、生活が安定してきたところまでの様子をお伝えしました。
今なら、何が成功しない要因かよくわかります。

成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にあるということが、洗脳が取れ、心の癖がとれるといとも簡単に見えてきます。

今から思うと、何故あんな幼稚な考え方に洗脳され、その手法にはまってしまったのか不思議に思えるのであるが、当時は、霊界情報などの見えない世界の話をされると、「凄い」と勘違いをしてしまったのであったのではないかと思っている。
そこには、現在のスピリッチャルブームにもつながる部分もあり、ここにも警鐘を鳴らしたいという気持ちも私の中にはある。
私に関して言えば、幸福の科学入会前に自身が体験した神秘体験がそうした錯覚を強め、間違った感覚をもってしまった結果になっていたように思う。

幸福の科学を辞めても、なかなか成功しない人の特徴は、性格が真面目で、一生懸命な方で、素直な方で、例えば「教え」を強烈に勉強した元職員だったような方に多く見られます。そうした方は辞めてからの苦しみも強く、幸福の科学から離れて経済的に困る状態であるという傾向にあります。
それは、強い洗脳を受けて、強烈に付けてしまった癖が、新しい人生を阻害することになってしまっていることに気付かないでいるだけなのです。
もし、今、そんな苦しみの中にいらっしゃる方が、私の体験を読んでいただいているのなら、もう一度声を大きくしてお伝えしたい。
「あなたは何も悪くはないですよ。努力不足でもないですよ。ただ、学んだ教えがまずかっただけですよ」「その洗脳からいち早く抜け出せば、必ず貴方らしい充実した人生を過ごすことが出来ますよ」「貴方は大丈夫です!経験した私にはそれがわかります」と心から声援を送りたいと思います。

そんな皆さまへ、今日は私が感じた仕事がうまくいかない教えとその弊害について、お話させていただきます

うまくいかない「教え」と「癖」
①「反省」と称する裁き心の癖
幸福の科学にいたころは、なんか言うと「反省」という言葉を使っていた。反省することで心が正せると思っていた。しかし、これが成功しない一番の要因かもしれない。
反省という名の下に自己否定し、いかに自分が駄目であるかを確認する仕組みになっている。その結果、裁き癖がつき、その裁き癖の矢印が内に向かえば自分を裁き、外に向かえば人を裁くことになる。その結果、本当の意味で自己信頼が出来ず人を信頼することも出来なくなった私は、当然、仕事もうまくいかないのである。

②「正しい心の探求」と称する手法の罠
幸福の科学のなかには「正しさ」を追求するあまり、「悪」を排除しようとする心が芽生えてくる。その教えが心の狭さと人間性の小ささにつながってくる。
この教えとこの教えによって付けてしまう心の癖により、人が人を裁くというような愚かなことを知らない間にしてしまっている。正しさを追及し間違いを排除しようとしてしまうことで、人間関係の中で本当の信頼を築くことが出来ず、孤独感を味わうことになる。
いわゆる、愛と反対の方向へ知らない間に向かっていることとなる。

③霊界と言えば許されるという自己中心的な手法
人間は五感をもちこの世で生きるうえで、多くの得がたい体験をするわけですが、幸福の科学の中の常識は、あの世の中にもこの世の中にも序列があり、人間を上下関係で判断していこうとする癖が出来る。
自分は何次元であの人は何次元かなどと、長くそんな霊界感を常識のように疑いなく持ってしまった結果、人間関係を上下感でしか見られなくなり、上から目線になるか、卑屈さで苦しむかという心の癖が仕事上での大きな弊害となっている。

④問題解決という問題拡大の癖
私自身知らない間についていて、なかなか取れなかったやっかいな癖に「問題解決能力が認識力である」的な考えである。
何が問題なのか問題の原因を突き止め、どのような対策を打ちどう解決に導くか。というようなことが出来ることが能力だと思い込んでいた感がある。
これにはまると、問題の周りをぐるぐる回る羽目になり、問題は一見解決したように思えることもあるが、実際には問題の答えは問題であり、その「問題という枠」から抜け出せなくなってくる。
本当の意味の問題解決なるものが在るとしたら、それは、現在の自分の物の見方感じ方を変化させるしかなく、問題に目を向けるのではなく、そう感じる自分に目を向けたほうが早いのである。

⑤自己変革という自分を否定する癖と自己責任という他人を否定する癖
ゆりがバラになるかのごとく変化することを自己変革と勘違いし、自分を責めて苦しい思いでいた。自分が親からもらった個性を認めることなく、個性を変えようと出来ないことをして自分を責める心が自分を苦しめていた。
他人には自己責任だということで、人を突き放し、人を裁く言い訳にしていた。
いずれにしろ、調和とはかけ離れた心の癖を付けていた。

今から思えば、何故こんな癖をつけてしまったのか。これについては何度も自分自身、精査をしてみた事もある。勿論、自分自身が愚かであった事は否定しないが、そればかりでもないような気がしている。
それは、その後の幸福の科学の動向を見ていると、教祖自身にもはっきりとその傾向が出ているからである。

一般的に離婚も人が離れることもよく在ることです。そのことをとやかく言うつもりはありませんが、その後の態度がちょっとひどすぎるように思えます。離婚も弟子の問題も全部悪いのは相手で、一方的に悪口言い放題。自分は間違っていない・・・。子供の喧嘩ではないのですから、それはちょっといただけないと思います。

寄稿体験談「幸福の科学」辞めて良かった その3

「幸福の科学」辞めて良かった その3
2012.08.25
渡辺万里子

(自分の会社を立ち上げる)

自分の考えは間違いないと思っている私は、自分の考えを表現できる会社を立ち上げることにした。幸福の科学時代に気の合った何人かと始めるのであるが、そこが新たな落とし穴になるのである。

結論から言えば、この事業は当初全くうまくいかなかった。
死ぬほど一生懸命やったし、優れた製品を扱っているという自負もあった。それなのに、とにかく結果が出ない。即ち収入に結びつかないのだ。
高邁な思想と立派な態度で携わっていたという自負が、実は一番の敵であったことにこの時には全く気づかずにいた。
相変わらず、この時代はいつもいつも心に雲がかかってたように、どんよりとした心で「本当にこれで自分の使命は果たせるのだろうか?」という気持ちと、うまくいかなければいかないほど幸福の科学の職員に対して怒りのような気持ちも湧いてくるのである。
幸福の科学に残った職員が、左遷されたり、辞めたりすると「それみろ」とか「今に見返してやる」というような気持ちも湧いてきて、そのためにも自分は成功しなければならないという気持ちにもなった。

この時代が一番幸福の科学という組織を憎んだ時代でもあったし、私に人生の中で、一番惨めで人を憎み組織を恨んだ暗黒の時代でもあった。
ところが、その当時、不思議にまだ教祖に対しては、未だ信じる気持ちも残っているのである。何故か、「教祖は間違っていなのに、バカな職員ばかりだからこんなことになるんだ」と思えてしまうのである。
だから、本尊も書籍も処分することが出来ず、今から思うと、本音では幸福の科学に対して未練たらたらの状態だったのかも知れないのである。

心は暗黒、口と顔はニコニコ、本音は大成功して見返したい。言うことは謙虚・・・・。
その時は自覚が無かったのであるが、今思えば、心と体が正反対のことをやっていた、うらはらな自分に苦しんでいたのではないかと思う。

こんな状態だったので、勿論、仕事は全くうまくいかず、どんどんジリ貧状態になっていった。
次にやることがあるわけでもなく、他にやることがあるわけでもない状態の中で、辞めることも出来ず、進むべきに必要な資金もアイデアも無く、ただただジリ貧の状態で日々を過ごしている中で、ただ、唯一の気晴らしが同志でもある幸福の科学を辞めた仲間との会話であった。
傷口を舐めあうような関係であったのに、それにも気づかず、相変わらずの上から目線で「ここが間違ってる」だの「あの人がわかっていない」だの「法の解釈はああだこうだ云々・・・」などと、今思えば、本当にバカなことを繰り返していたのである。
その仲間も「教祖が悪いのではなく、職員が悪い」という共通認識の上で話をしていた記憶がある。

その結果、いよいよ事業は行き詰まり、財布の中には100円も無いような日が訪れ、息子が住んでいたワンルームに転がり込み、それさえ、いつまで続くのか・・・というような状態に陥っていき、いよいよホームレスか・・・とまで、行き詰っていった。
この時の自分に対する絶望感で、本気で「死にたい」と思った。
生きている意味が見出せなく、高邁な思想どころか、明日食べていくお金にも困り果て、頼るべき人も無く、プライドもずたずたのただの惨めな負け犬の自分は、「せめて、どこかの車がぶっつけてくれないかな。そうすれば、あっという間に死ねるし、お金も入ってくるから子供たちや周りの人に迷惑かけなくて済むし・・・・」と、最後のプライドを守ろうとして、祈るような気持ちで過ごしていた。

実は、ここから私の人生は大きく変わり始め、大逆転が始まるのである。
いよいよここまで行き着いてしまったのが、本当の意味で教祖の呪縛から逃れられた結果になったし、教えの呪縛からも解き放たれた瞬間になったのである。

自分の命が本当の意味で脅かされた時、ぎりぎりまで自分が追い込まれたとき、本当に大切なものがわかったのである。
それは、あきらかに「大川隆法」でもなく「幸福の科学の教え」でもなかった。
教団にいた時は、迷わず自分の命に代えても「大川隆法」を守り、教団の為に死ねるとさえ思い込んでいた、そんな気持ちが、いざ、本当に生きるか死ぬか・・・というぎりぎりの場面になった時に、「大川隆法」も「幸福の科学」も吹っ飛んでしまったのである。
ただただ、両親に対してと子供たちや、自分の人生の中で愛する人々に対しての感謝と愛があふれ出て、本当に申し訳なく、心からの謝罪の気持ちが出てきたのである。

その、自分の中から出てきた気持ちが大きな気転となり、私の仕事は上向きになり、私はあっさりご本尊も書籍も、ありとあらゆる幸福の科学関連のものをゴミ箱に捨てることにしたのである。
ちなみに、書籍は古本屋に売ったのであるが、勿論1円にもならなかった。実はそれほど、世の中に必要とされていない書籍類であったのだ。
「これは捨てることになりますがいいですか?」という店員の言葉に「宜しくお願いします」と答えた私であった。

深層潜在意識との対話7 裁きの心(2012年8月26日)


私の深層潜在意識をSとし、私の表面意識をTとして、心理学のロール・レタリングの手法で自己対話による反省を行います。

T 私は1996年春、滋賀支部の支部長になりました。数ヶ月でしたが、私の故郷でしたので、自分の故郷への恩返しの気持ちで、精一杯頑張りました。私が支部で月刊誌講習会などの講話を話す時は、近隣の支部から沢山の会員さんがお見えになりました。
滋賀支部での反省はいくつかありますが、講習会等で結果として個人批判のような講話をしたことを、一番悔いています。私としては、大川隆法氏が職員が起こした問題を一般論として、教訓として話すので、それを真似て、会員さんに共有して頂くために、法の観点から問題の捉え方をお話したつもりでした。

しかし、支部という小さなエリアの中では、誰の事を話しているのかは、ほとんどの活動会員には分かりました。そのために、取り上げた問題を起こした人は、その後支部に来にくくなったり、離れたりしました。

話の中では、知らず知らずのうちに裁き心が出ていたこともありました。あるリーダーさんのクレームを受けて話した時には、私の話の波動に裁きの思いが強く乗ってしまったようで、聞いている人の中には「体が痛かった」「針が刺さるようだった」と指摘を頂きました。

また、戒律の問題では、戒律によって人を裁く傾向が出たことがありました。特に不倫問題では非常に厳しい裁きの気持ちが出て、結局その問題で苦しむ人を支部から遠ざけるだけになったことがありました。例えば仏教の戒律のテーマで話すとき、やはりそういう波動が乗ってしまったとおもいます。この時などは、法によって裁くという行為を、それが正義だとして考えていたと思います。今振り返ると、私自身の抑圧された感情も、そこには投影しており、それで裁きの波動がでていたと分かります。

何故こういうことをしたかというと、基本は大川隆法氏の影響を受けたのです大川隆法氏の手法はこうです。彼は問題がある人が出ると、それに基いて分析をし、公の講演会やセミナーの席である人の問題点を一般論として批判的に検証するのです。内部の人間には誰の問題を言っているのかが分かりました。

私はこの方法は、問題が起きても、そこからプラスの教訓を学びとり、組織の智慧として昇華させる方法だと思っていました。問題が起きても、法として昇華すれば、組織の共有財産になるという考えです。でも、そこで裁かれた人はどういう気持ちになるのかということへの配慮が欠けていました愛が欠けていて、結局は法によって人を裁くという悪しき文化を助長していたのです


S  裁きという問題はあなた自身の問題もありますが、教祖である大川隆法氏の間違った面を学んでしまったという問題があります。大川隆法氏は問題を起こした人間や辞めさせた人間を、必ず一度は法話の中で名前こそ出しませんが、知っている人がみれば分かる形で批判します。この方法をあなたは学んだわけです。その結果、裁きの波動が参加者につき刺さるような痛みを感じさせたのです。

でも見て御覧なさい。奥様のきょう子氏に対する仕打ちを。妻を善導しきれず、離婚へと追い込みながら、子供たちにまで母親を批判させ、母親を否定させています。子供の心にそれがどれ程の傷として、生涯残る事になるか、分かりますか。こんな酷いことが出来る人間が、全人類の教師を名乗っているのです。これが大宇宙を作られた根本仏や、仏陀や、ワールドティーチャーであるはずがありません。これは邪神のすることです大川隆法氏の邪神化が、離婚騒動から加速してきたのです。これこそが真相なのです。

世界宗教にするためには、最も基本的な親子の愛を否定させ、夫婦の愛を否定し、元妻の名誉をずたずたに傷つけてもよいというなら、それは「愛なき発展」以外の何ものでもないではないですか。大川隆法氏はかつて、自ら説いたはずです。「愛なき発展は死である」と。「愛がなくなるなら、むしろ発展を止めよ」と、説いていたはずです。しかし今、世界宗教にするためにと称して、愛を殺したのです。妻をやむを得ず離婚することは、場合によってはあり得るかも知れません。百歩譲ってそれを認めるとしても、離婚したい妻を公衆の面前で誹謗し、子供にまで母親を否定させると言う酷いことをするなら、話は別です。そのような愛の死の上に、万一世界宗教になったとしたら、それは恐るべき世界の始まりとなるでしょう。暗黒世界が広がるのです真の神である大宇宙を創造された根本神は、決してこれをお許しになることはありません。ゆえに幸福の科学は急速に支持基盤を失いつつあるのです。これが幸福の科学があらゆる面で、暗礁に乗り上げている本当の理由です。

あなたには、海外のある方から電話があったでしょう。その方は言われたはずです。
「私の両親は離婚していました。しかし母は絶対に父の悪口を言いませんでした。私は父の悪口を言ったとき、母は厳しく私を叱りました。そして父親がどれだけ立派な方かを語りました。母は父の誕生日の度に、私に電話をさせました。自分は電話口に出ることはないのに、子供の私には必ず父に電話させました。私は大きくなってから、父を悪く言うことを止めてくれた母に感謝しました。それによってどれ程私の心が守られたか、傷つかずに済んだかを知りました。だから、私は大川隆法氏がされていることが、おかしいと感じたのです。」

さて、あなたの事に戻りましょう。大川隆法氏がしているから、それを深く考えることなく真似るということは、大きな悪をおかすことになります。まねてはならないのです。まねるときは、よくよく吟味して、それが本当に善なのかを確かめねばなりません。あなたは大川隆法氏を真似て、それで会員の方が救われたのですか。それで幸福にさせることが出来たのですか。誰かがそれによって幸せになりましたか。そうではなかったはずです。これは悪を犯したということです。教祖を真似ただけだという言い訳は、一切通じません。教祖の悪を見抜けなかった無明こそが問題なのです。

あなたのことも、還俗した理由に関して大川隆法氏が批判的に説法したのを知っているでしょう。それはあなたを還俗させたことへの「自己弁護」でもあったはずです。それを聞いて、あなたは救われましたか。在家で生きる指針を与えられましたか。あなたの幸福に役立ちましたか。肩身の狭い思いをさせられただけではありませんか。もっと言いましょう。『舎利弗の真実に迫る』を読んで、あなたは何か人生の大切な指針を得ましたか。その中に愛を感じ取れましたか。あなたを全否定して、中傷してまで自分を守ろうとする、大川隆法氏の醜い自己保身の心をを感じただけでしょう

こんな説法を真の釈尊がされたことがあると思いますか。真の釈尊は、自分に女性問題の悪評が立っても、一切の言い訳をせず、黙って耐えておられました。するとわずかの期間で真実が自然に露見して、釈尊の評価が高まったはずです。もしも、大川隆法氏が、あなたの指摘が事実無根であるというのなら、そして自分が仏陀であると言うのなら、どうして同じことが出来ないのですか。真に釈尊なら、同じことが出来るはずです。それが出来ないのは、あなたが指摘したことが図星であり、大川隆法氏が偽仏陀だからです。

したがって、あなたは弟子として意識的にも無意識的にも大川隆法氏を真似てきた部分を、すべて見直しなさい。それが愛にかなっていないのなら、断じてまねてはなりません。もしあなたの目の前に、間違っているように見える人がもしいたならば、愛の心を持ってそうせざるを得なかったその方の苦しみを聞いてあげ、受け止めて差し上げなさい。そしてその苦しみに、悲しみに、共に涙を流してあげなさい。心で抱きとめてあげなさい。そして信じてあげなさい。その方もまた神仏の子であり、必ず立ち直っていかれることを。それがあなたが歩もうとするカウンセラーの道ではありませんか。その暖かいこ心こそが、真に人々を幸せにするエネルギーなのです。

あなたは戒律ということを非常に重く受け止める魂であることは事実です。しかし、如何に戒律で自分を縛ろうとしても、噴出してくる欲望を抑え切れなくて、否定できなくて、人知れず苦しんできたでしょう。肉の身をもつことまでも憎んで否定したことがあったはずです。しかし、その結果は自殺願望となる事に気がつき、あなたは進退窮まったはずです。しかし性欲の問題は単なる肉体の問題ではないのです。心の問題なのですその事にあなたは、還俗後に気がつき、戒律によって人を裁いたことを深く悔いたはずです。悔いたが故に、こうして公開反省を行い、自分の罪を懺悔すると共に、同じ問題で苦しむ人の一助となることを願ったはずです。

幸福の科学の最大の問題の一つは、法によって人を裁くことです。その時実は自分自身をも裁いているからこそ、実は人を裁くのです法を裁きの道具としたことを反省しなさい。人を裁くなかれ。人に対しては理解をこそすべきなのです。受容し、共感的理解をする。その人の誰にも言えない苦しみ痛みを聞いて差し上げることです。誰にも言えない苦しみを、裁かずに聞いてくれる人がいるときに、人は思いを吐き出し、癒されていくのです。

そして知りなさい。人を幸福にしないものは、真の法ではないのですニセモノは裁くのです。本物は幸福へと導くのです。「愛が伴わずに説かれた説法で、かつて誰一人幸福になったことはなかった」という格言を聞いたことがあるでしょう。「愛によらずして、見ることなかれ、語ることなかれ、行うことなかれ」と言う言葉を聴いたでしょう。それをこそとしていきなさい。それを自分を裁く言葉ではなく、自分を導く言葉としていきなさい。その時に真の法とは何かが見えてくるのです。

T 分かりました。大川隆法氏を真似てきたことを反省します。それは愛を殺す行為であることを肝に銘じます。そして「愛によらずして、見ることなかれ、語ることなかれ、行うことなかれ」を私も導く聖句としたいと思います。そして私がこれまで法によって傷つけてきたすべての人に、心からお詫びを申し上げたいと思います。ありがとうございました。




2012年8月24日金曜日

寄稿体験談「幸福の科学」辞めて良かった その2

「幸福の科学」辞めて良かった その2
2012.08.24
渡辺万里子

(辞めた最初のころ)

まず、一番困った事は仕事でした。収入を得て、生活をしていくことに困っていました。
預貯金は活動でほとんどゼロですし、今さら元の仕事に戻れる状態でもありません。
新しく就職するにも、年齢も取ってしまっているし、ましてや「幸福の科学」をやっていたなんて知られた日には。きちんとした会社は雇ってくれません。
とりあえず、会員さんのつてを頼り、会員さんの会社に雇ってもらいました。

勿論、会の中では私のほうが上の立場でしたし、立派なこともしゃべっていた訳ですから、雇った方も期待をしたり、貢献をしようとしたり、いろいろ気も使っていただいたりするのですが、とにかく自分でもびっくりするほど仕事が出来なくなっていたのでした。

昔はあんなに仕事が出来、周りからも評価を得てきた自分が、こんなに幸福の科学で勉強もし、努力もしてきた自分が、何故、こんなにも世間の中で、こんな単純な仕事が出来ないのか? 全く解りませんでした。・・というより、そんな自分を正視することなく、それどころか、知らないうちに会員さんの会社まで批判するような心が芽生えてくるのです。
「こんなやり方だから、だめなんだ」「私の言うことが理解できない社員ばかりだし、経営者の考え方が駄目なんだ」と、そう見えてしまうのです。
その結果、せっかく雇ってくださった会員さんにとって、知らないうちに自分がお荷物になってしまっていることさえ気づかず、さらには、社内の皆さんとも仲良く調和できなくなっていることにも気づかず、一人浮いた状態になっていることにも気づけなくなるほど、人の気持ちに鈍感になっている自分だったのです。
ただお金を貰うためだけに会社に通っている、そんな時期がありました。

それにも限界がきて、いよいよ退社せざるを得ない雰囲気になってきます。
しかし、今なら、私のどこが問題なのかよくわかります。

     幸福の科学の中に在る、選民思想の弊害。その結果、職員は会員より上だなどと勘違いをしている
自分はあの人より偉い。あの人は自分より偉い。など、根拠無くそうした洗脳を受けている。自分の考えではなく、会の中での評価で、人を見下したり過剰な評価をしてしまったりする。
その評価の根本が教団運営のためのものであったことに気づかず、人格評価と思い込んでしまっている洗脳に気づかない。

「感謝」を学んでいるのに、心から感謝の気持ちが湧いてきていない。
自分の窮地を救ってくれている、目の前の人に対して感謝の気持ちが湧き出さないだけでなく、教えてやるような気持ちでいた。
感謝を解説することが出来ても、感謝の心が湧いてきていない。だから、私の言動には「感謝」を感じられない周りの社員さんは、私との距離を置こうとしていた。
人は立派な解説が聞きたいのではなく、感謝されたり感謝したり、助けられたり助けたり、そんな目の前の日々の出来事の中に、人としての触れ合いや愛を感じているのだということが解らず、そのことさえ、気づかず、立派なことを解っていることが大切ななどと勘違いした結果、全く人の気持ちに鈍感になり、自己中心的な人間になってしまっていた。

③上から目線の言動
人は上から物を言われることが何より嫌なことである。たとえ、言い回しが柔らかくても、言い方は優しそうでも、事実「教える」という気持ちそのものが既に上から物事を見ているのである。
「愛は与えるもの」「感謝はするもの」「人の役にたつもの」など、本来は謙虚な気持ちから自然に出てくる気持ちを、上から教えようなどと全く逆のことをしていたのである。感謝や愛などの心は、本来、湧き出てくるものであり、教えで出来るものではない。「愛を与えましょう」などと言えば、人は「余計なお世話だ。」と思うものだ。それより「貴方は素晴らしい」と目の前の人を認めていけば、その言動の中から自然に相手は愛を感じるものである。

④お金より心が大事などとお金を甘く見ている
  心が立派なことが大切だ。と、洗脳されている自分は、仕事が出来なくても給与をもらっていることに何の疑問も感じず、努力もしないでいた。お金は感謝の心が現実化したもので在ることがわかっていない私は、感謝が出来ない自分だから収入が伴っていないのだということに気がついていなかった。


あの当時は、いろんなことが解らず、辛い思い出が多い。でも、今から思うと、あの辛さがあったから、いろんなことが解ってきたようなきがしています。その後、会員さんの会社を退職し、自分で会社を立ち上げていったのですが、その中で自分と向き合い、多くの気付きをすると時を同じくして会社の経営が良くなってきたのです。
しかし、その前に、私はホームレス寸前まで行くことになるのですが、それは、次回のお話とします。

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寄稿体験談:「幸福の科学」辞めて良かった その1

寄稿体験談「幸福の科学を辞めて良かった」掲載にあたって

これから何回かにわたって、渡辺万里子さんによる寄稿体験談を掲載させて頂きます。寄稿者の渡辺万里子さんは1991年、私が幸福の科学の中国本部で課長をしていた頃、渡辺本部長の補佐(兼本部長の奥様)として伝道や組織作りで御指導いただいた方です。広島で一緒に仕事をした約1年間は、私にとってもっともいい思い出のある時期のひとつでした。

その後、私が総合本部へ異動になって以降は全く音信が途絶えていたのに、不思議なご縁でごく最近、21年ぶりに再会しました。お話を伺うと、その後しばらくして幸福の科学を辞められてからは、筆舌に尽くしがたいご苦労をされながら、沁みこんでいた幸福の科学の価値観や考え方の癖を捨て去ることが出来たと同時に、経済的にも家庭においても大きな幸福をつかんでいかれたといいます。また、体験を通して、心を磨いていかれました。

私はお話を聞きながら、20年前よりも綺麗になられていることと、何より人格的に非常な深みを増されている事に驚きました。愛にあふれている方という印象です。この渡辺さんの体験は、幸福の科学の価値観や癖に気がつかないで捉われていて、不幸の中を歩んでいる多くの方に、大きな希望を与えてくださると確信しました。この方は、多くの同じような方のお役に立てればと願われ、実名で体験談を投稿してくださる事になりました。
私自身、これから詳細に渡辺万里子さんの体験談を学ばして頂けることを、とても楽しみにしています。(種村)


「幸福の科学」辞めて良かった その1
                                                    2012.08.24
渡辺万里子

(はじめに)

私が「幸福の科学」に入会したのは、1989年くらいであったような記憶である。会員番号が7000番台であったから、一応初期の会員ということになるかと思う。
その当時は「人生の大学院」ということで、宗教団体ではなく、論文を書いて合格したら入会できるという、そんな仕組みであった。
その後、暫くして突如宗教法人となり、大伝道期に突入し、エル・カンターレ宣言をきくこととなったのである。
私の入会動機などは、今後、体験を書いていく上で必要であればお話しするが、まずは、幸福の科学の会員であった時、そして辞めてから現在に至るまでの、私が体験した出来事とそれによってわかった「幸福の科学の問題点」などを中心に、シリーズとして書き進めていきたいと思っている。

会員であったときの事はいろいろあるが、それはほとんどの会員の皆さんが体験している、もしくは脱会された皆さんが思っていられるであろうことと同じであると推測する。
いわゆる「苦しかった。」「大変な目にあった」「むちゃくちゃな話ばっかりだった」「預金を使い果たした」「集団いじめのような目にあった」などなど・・。言えば愚痴になるほど、いろいろあった。
当然、脱会した人が集まると、ついつい「幸福の科学」の悪口話になり、話し出すとあまりに話題の多さに時間を忘れるほどである。
そのくらい、馬鹿馬鹿しいような本当のようなうそのような話には事欠かない会員時代であった。

しかしながら、辞めて我に返ると、そんなくだらないことの片棒を担いでしまった自分の愚かさと、家族や大切な人々を悲しませてしまった申し訳なさと、人生の多くを支えてくれた友人や仕事上の恩人の皆さんに与えたであろう失望と、そんなことを考えると、良心が痛み、これからの人生をどう歩んでいくべきなのか、しばし、躊躇してしまったりするのである。
困ったことに、ずっとやり続けていた自分は、これからどこへ向かって何をすべきなのか・・・。その方向さえ見失ってしまっていて、まるで磁石を待たず海を漂っているような、そんな気持ちにもなってしまい、自信を失い、寂しさや孤独感を感じ、自分自身を人生の落伍者のように感じてしまったりしていた。
それと同時に、辞めてみても、お金も無く仕事も無く頼る人も無く・・・そんな中で生きていかなければならない自分の立場にも途方にくれてしまったりもするのである。

しかし、もし、そんな気持ちで今苦しんでいらっしゃる方がいれば、そんな方のために私は心を込めてこの文章を書きたいと思っているのです。
是非、私のこれからの文章を読んでいただきたい。そして、少しでも役に立たせてもらいたい。ただ、そのためだけに、私の経験をここに書こうと思っています。

結論から申し上げれば、「大丈夫です!そんな気持ちになっているのは、辞めたとしてもまだ洗脳からぬけだせていないからだけなのです」「必ず洗脳が解け、本来の貴方に戻れば、貴方は思わぬほどの幸せと安らぎを手に入れることが出来ます」「大丈夫です!本来の貴方になれば、生活も安定し、心も現実も豊かな人生を送ることができます!」そう、大きな声で皆さんに伝えたいと思っています。

幸福の科学から距離を置いて既に10年近くになろうとしています。ご本尊、書籍全てのものを処分したのが5年前です。
そして、現在は自分の体験を皆さんにお話しすることにより、私のように時間をかけることなく、皆さんがいち早く洗脳を解き、幸せになっていただくために私の体験を活用してもらおうと、やっとそんな心境になりました。

まずは、洗脳されていることを受け入れてください。「自分は洗脳などされていない」「幸福の科学は洗脳がない宗教だ」などと思っている間は、洗脳は解けていません。
私の経験では、洗脳が解けたそのときから本当の意味で立ち直りが始まります。
洗脳が解ければ、まずはご本尊や関連グッズ、本など、全ての幸福の科学関係のものを処分したくなるはずです。

しかし、洗脳に気づかず、洗脳されているとは思いも寄らぬ私がどんな体験をするか、その体験を次の回に書いて参ります。

2012年8月23日木曜日

深層潜在意識との対話7 逃避と対決(2012年8月22日)

私をT,、深層潜在意識をSとして、ロール・レタリングの手法で深層潜在意識との対話により、自分の幸福の科学時代の反省を深めたいと思います。

T それは1990年夏のことでした。私は当時大川隆法氏の秘書兼事務局課長をしていました。S局長が就任し、急ピッチで組織の拡張を進め、生命保険会社的な方法が浸透しようとしていました。S局長とは別に仲が悪いわけではなかったのですが、彼から見ると学習熱心で心の平静を重んじるお坊さんタイプの人間は、実務面では無能に見えたようでした。

ある時、S局長が私に対して、「いくら勉強ができても、実務が出来ないと駄目なんだ。」と異常に強い念をもって、詰め寄ったことがありました。ぎょろりとした目は、血走っていたかもしれません。前後の話は忘れました。しかし、その時に私に何かが乗り移ったと感じました。

その後、私は非常な焦りと不安感に取り憑かれました。「実務が出来ない」と言われて、私は非常な焦燥感に襲われたのです。それは強迫観念のように私に襲い掛かりました。「出来ない」という思いが、不安と焦りを伴いながら、押し寄せてきたのです。何日かそういう不安定な心理状態が続きました。

そしてある時、かろうじて心の平静を保っていた心の糸が、ぷつんと切れたのを自覚しました。「魔境」に飲み込まれました。不安、焦り、絶望感が一気に押し寄せました。私自身が得体の知れないものにのっとられ、狂気の世界へと連れて行かれるのではないかという恐怖が全身に襲い掛かりました。

私は必死に祈りました。天上界にひたすらに祈りました。その結果、狂気の世界に飲み込まれるような、砂嵐のような不安と恐怖は去っていきました。大きな光が降りてきて、魂が連れ去られたり、完全支配されるのは免れました。しかし、大きな傷跡が出来たように、エネルギーが抜き取られました。完全支配ではないものの、一定のレベルで「乗り移り」状態が残ったと思います。

私は当時、練馬区にあった大川隆法氏の自宅近くの借家に住んでいて、時々長男を自宅で預かっていました。魔との深刻な戦いがあった当日だったか、夕方に赤ん坊の長男がこられ、ファミリーレストランにお連れしました。私も少しの間、面倒を見ました。しかし、その後、きょう子さんが子供の状態がおかしい事に気がつきました。私の霊的状況がその時に分かったのだと思います。

ただ、おかしいと思うのは、全知全能のはずの大川隆法氏が、私が悪魔の総攻撃を受けた時に気がつかず、私と接したお子様の状態を見て初めて気がついたことです。さらに言えば、仏陀ならそこに至るまでの私の不安定な心の状態を、どうして察知して指針を下さらなかったのだろうか、疑問でした。

それから、私はすぐに異動になりました。当時の経験は何だったのでしょうか。

S この魔境は、お坊さんへの天狗の嫉妬と魔界のものからの攻撃の両方がともない、あなたに襲い掛かったものです。あなたの能力的な不足と焦り、その奥にある劣等感のところへ入り込まれました。不安がすでに「魔境」だったのですが、現実に仕事面での焦りや不安があるので、その「魔境」を断ち切れずに、増幅してしまいました。

狙われたといえばその通りですが、問題はあなたの精神力がこの時に非常に低下しており、欲望に揺さぶられていたことです。心の隙が他にもあったのです。その点をまず見つめないとなりません。

T はい。私は教団が伝道路線、拡大路線に転換してきて、実務的な判断や組織間の調整が求められるようになったときに、事務局課長としての機能を果たせなくなってきていました。私は宗教法人生長の家の編集部から入ってきたので、一般の会社経験がありませんでした。会社経験をされた方にとっては当たり前のことが、私にはよく分からないということもよくありました。特に組織の中での動き方、組織の動かし方が、よく理解できていませんでした。それで秘書的な業務が中心になっていったのですが、それもいつもあるわけではなく、暇になってきました。一方で、新しい組織の動きについていけず、落ちこぼれてきている自分がありました。それを素直に認めるのは、プライドが高くなりすぎていました。自分の苦手なことからの逃避もあったと思います。

私は困難な事や苦手なことが来ると、逃避がよく起きました。これは自己防衛の一種です。苦手な事に向きあうと、それが出来ない劣等な自分と向き合わねばならなくなります。すると実に惨めで、情けないのです。講師面ではもっとも高い評価を受けているのに、実務面では全然ままならないし、よく分からないわけです。講師の仕事や過去世認定で高くなったプライドが、そのたびに凄く傷ついたのです。だから、傷つきたくなくて、逃避するのです。逃避するには、何か他のもので心を紛らわしたいのです。性欲がその時に強くなります。食欲も強くなります。何かで自分のストレスを紛らわせたいと思うからです。しかし、基本は禁欲なので、ストレスだけが高くなります。

そういう時には、勉強等の精進が出来ません。焦りがあって、これでいいのかと焦って、心がざわざわして集中できないのです。逆境の時には充電せよという事を学んでしても、焦りがあって焦燥感に駆られると、勉強にも集中できなくなるのです。何をすればいいのかが分からないから、何をやっても不安なのです。こうして、次第に怠惰になると、精神力が弱くなってきます。精神力が弱まると、「乗り移り」を跳ね返せなくなるようです。そこに、S局長の言葉が入ったことで、漠然と感じていた焦りや不安、劣等感が猛烈に活性化してしまい、いても立ってもいられず「もう駄目だ、自分には出来ない」という脅迫的な思いが次から次へと湧き上がるようになりました。これは精神的なパニックです。このときすでに私は、「乗り移り」にやられていたと思います。

S あなたはS局長のせいでこうなったと言いたいようですが、あなたが「乗り移り」を呼び込んでいるのであり、S局長の言葉がなくとも、いずれはやられていた可能性があります。苦手なものを逃げる傾向性があなたにはありますが、その原因はプライドです。あなたの高いプライドが、ある苦手分野で劣等な自分に直面することを見るのが嫌で、逃げるのです。逃避です。逃避の結果、欲望に逃げ込んだり、怠惰に逃げ込んだりして、精神力を低下させてしまうのです。

したがって、この対策は、苦手なこと、嫌なこと、プライドが傷つくことにと直面したときは、劣等な自分に耐えて自分を鍛えることが必要になります。劣等な自分を認めないので、劣等のままになるのです。劣等な自分がいることを、これが自分だと認めれば、その自分に耐え、時を耐えながら、努力を重ねていくことが出来ます。あなたは、教団を退職、還俗してから、一番苦手な事に向き合わざるを得なくなりました。何処にも逃げ道がなかったでしょう。出来ない自分を抱きしめながら、これが自分だと受け入れながら、それでも仕事への責任から努力を重ねた時間が多くありました。この過程で、かねてからの自分の課題、苦手なことから逃げるという弱さを乗り越えることが出来たのです。

T  確かに、ユング心理学を学ぶと、人間はいずれは劣等機能と向き合い、これと対決していかねばならない。そうしないと心の成長がないことが分かります。強みであった宗教性の面で一定の組織内での優越的な立場を得てきた私が、今度は実務面で劣等な自分と向き合い、粘り強く克服していかねばならなかったのです。それを逃げた時に、もっと追い込まれていく自分がいたと思います。

S あなたは還俗して、経営状態が極度に悪い会社の再建を、実質的な経理部長の立場でやり上げたときに、苦手と向き合い克服していく貴重な体験を積みました。これはあなたにとっても神様から贈り物でした。出来ない自分に耐えながらも、責任ゆえに一歩も退かずに、粘り強くやり抜きました。朝は誰よりも早く出社し、夜は誰よりも遅く帰り、休日もなく、時には夜中にもタクシーを飛ばして会社に戻り財務等の書類を作る。一歩間違えば倒産の危機を常に背中に感じながら、地獄のような「夜の航海」を進んできました。「船板の一枚下は地獄」という言葉を、毎日のように味わいながら、責任故に逃げなかった体験は、あなたの傾向性を修正するための荒療治であったのです。そして、3年で会社は再生できました。あなたは大きな自信を得たはずです。

今は、劣等感に向き合わないために精神世界に走るのではなく、自分の真の強みを生かして世の役に立つために心理学の世界へと身を投じています。会社再生で苦労した精神力が、今度はカウンセラーとして、人を支援する仕事で生きてくるのです。ですから、もうかつての「魔境」は、もう終わっています。S局長への批判の思いも捨てなさい。あなたの弱さが呼び込んだ「乗り移り」であったのです。もういいです。許しなさい。

神はあなたが還俗してから、もっとも苦手な事に直面せざるを得なくして、あなたを教育されたのです。還俗そのものは、大川隆法氏があなたにいつまでも教団にいて欲しくなかったので、追放したかったのでしょう。彼の深層潜在意識にある恨みの思いがそうさせた面もあるでしょう。しかし、大いなる神の目から見たときは、それが真の神の愛であり、真の仏の慈悲だったのです。一見不幸に見え、一見絶望と見えるただなかにある時、実はそこが神の愛のただなかです。

逃避せず、対決して向き合い、時間を耐えて努力をし続けたとき、必ず道が開け、あなたは成長します。その成長したあなたを微笑みを持って見守り抱きかかえてくださる神がいるということを、決して忘れてはなりません。だから、いかなるときにも向き合いなさい。駄目な自分、劣等な自分、情けない自分と向き合って、「それも自分だ。しかしここからスタートしよう」と決心して、誠実に努力を重ねなさい。その中であなたは変わるのです。溶鉱炉の中で鉄は溶けて、鋼が生まれるように、人生の試練という溶鉱炉の中で、鋼のあなたがが、もっといえば純金のあなたが誕生するのです。一見試練と見えること、一見失敗と見えること、一見不幸と見えることにも感謝できるあなたであって欲しいと思います。それは真の神の愛を信じた人間の姿なのです。

T 今振り返ると、幸福の科学は法と実務の両方を兼ね備える人間を創ることを、新たな中道であるとしてきましたが、これに無理があったのではないでしょうか。やはり組織は長所を発揮させて、短所を目立たなくさせる所にあるのであって、短所を長所と同じように伸ばさねばならないというのは、それが行過ぎると一種の間違った強迫観念になると思います。大川隆法氏はその両方ができることが自慢ですが、法は知識のみで、実践が出来ていないので、どう実践したらいいのかを説けず、悟りたる弟子を作れなかったのです。これが法での失敗です。さらに実務も、欲が克ちすぎて、見栄を張るために堅実な経営が出来ず、破綻寸前になり、現在教団は縮小路線に完全に追い込まれています。実務も失敗です。

教団では、大伝道の時期に、編集をしている人間も全員支部長や支部のスタッフに出して、出来ないと「あいつは駄目だ」というレッテルを貼っていました。しかし、ところてんのように、同じタイプの人間ばかり作ったら、組織は逆に機能しなくなるはずです。結局、「自分が一番偉い」ということを言いたい人が、「自分のようになれないやつは駄目なんだ」と裁いてきたカルチャーがあるのです。これの大本は大川隆法氏にあると思います。

法と実務という二つの尺度を持ってきて、お坊さんタイプと実務タイプの人を、両方共に劣等感を抱かせながら、自己卑下させながら、操ってきたのが大川隆法氏なのです。大川隆法氏は『舎利仏の真実の迫る』などで、いまだに私の事をそうした尺度で裁こうとしています。しかし、私は神から授かった私の個性で人のお役に立てればそれが最高に素晴らしい人生だと思うようになりました。人を劣等感や自己卑下に呪縛する「大川隆法の呪い」を、私はここできっぱりと捨て去りたいと決意しております。

S あなたは「大川隆法の呪い」から解放されたのです。「大川隆法の呪い」とは何か。それは今世は法を説くことと、経営することの両方ができて、初めて新時代の人間になれるのだという呪縛です。そんな人間は1万人に一人もいないと彼は説いていますが、それでは万人の救済にも、悟りにもなりえません。不可能なことを強いる事で、永遠に自己卑下の世界へと弟子や信者を置き、操り支配しようとしてきたのが「大川隆法の呪い」の正体なのですサディスティックな支配欲がその奥にあります。それが法を曲げているのです。

本当に求められていることは、もっとシンプルなことなのです。この世の事に誠実に向き合い処理しながらも、常に深層潜在意識の視点、場合によっては超越潜在意識の視点を持って生きられる人間になりなさいということなのです。あなたが心検で、既にやっていることです。
幸福の科学の職員や熱烈信者の方ほど、この「大川隆法の呪い」に呪縛されています。そして自分を卑下すると共に、人を裁いているのです。そんな必要はないのです。あなたはあなたであることに、もっと自信を持って歩いてよいのです。









2012年8月22日水曜日

「布施の一部返還請求」と「退会」をした元信者さんからの投稿


(ここには私の仕事の大切なパートナーである斎藤敏之氏が1年前、何故.幸福の科学から活動停止処分されたか。その背景が克明に書かれていました。
幸福の科学のある支部で、何が行われていたのか。それを総合本部と大川隆法氏はどう対処したのか。驚きの実態がつづられていました。)

前略

いつも、ブログを読ませていただき、学びの一環とさせていただいております。
私達夫婦も、洗脳を解いていただきました。それは、〇〇平支部の出来事のおかげでした。

今日は、その一部始終を私達の記憶の限り、お伝えさせていただき、何らかのお役に立てれば、幸いです。
それは、2010年の参議院選挙にさかのぼります。当時、〇〇平支部長(現〇〇沢支部長)I氏は、参議院選挙の妨害とも言える行動をしていました。詳細は省きますが、あまりの妨害行動に、自宅謹慎を上司に申し入れました。自宅謹慎になる寸前では、立候補者のポスターも発注していませんでした。ある信者の機転により、寸でのところでその危機は回避されました。しかし、その機転が無かったら、立候補者の公示用ポスターも貼りだすことが出来ないまま、選挙戦に突入しなければならないところでした。

当のI氏は、選挙が終わってからも、降格はあったものの異動させられることもありませんでした。

その後、ある信者の土地寄進により(他にも土地寄進の申し出をされている信者が何人かいましたが、その方達には何も説明が無く、建立地が決まったとだけ告げられました。)、〇〇沢支部精舎の建立許可が下りたわけですが、その建立は、一部の信者だけで進められ、その為の会議等も、他の信者には、一切知らされることはありませんでした。

それに対し、当時、支部の中心メンバーだった人達が、支部長に直談判をしましたが聞き入れてもらえなかった為、そのメンバー他何人かで、サービスセンターへ、「正道を通して欲しいこと、当たり前のことを遂行してほしい」という嘆願書を送りました。

それから何日かすると、本部から2名の職員がI当時副支部長の行状を聴き取りに来ました。但し、その場へ出席出来るのは、サービスセンターへ提出した嘆願書に記名した者限定ということでした。私達も、その場に同席する事が出来ました。

その時に同席した人から初めて聞かされた話の中で驚いたことは、I副支部長が、支部に来る信者に対し、悪口を言わない対象はいない、ということでした。その人は当時、常に支部でボランティアをしていたので、嫌でも、I氏の言動を目にしないわけにはいかず、知るところとなったのです。

それに、来館した信者に対しても、その信者が自分が話をしたくない相手であるかどうかは知りませんが、入館しても知らん顔をしているか、あるいは、携帯電話を耳に当てたまま一向に切ろうとしないという経験を私自身も何度か経験しましたし、他何人かから聞きました。

更には、職場放棄をしているとしか思えないような、何日も支部を閉館したことも、一度や二度ではありませんでした。正に、開いた口が塞がらないとはこの事かと思いました。聴き取りに来た職員の二人も驚いた様子で、「必ず、帰って伝えます。」と言って帰って行きました。

しかし、I氏には、何の処分もありませんでした。それどころか、その署名をした一人を活動停止処分にすると言ってきたのです。理由は、支部から一斉メールをしたからだと言うのです。

でも、何故、一斉メールをしたかといえば、〇〇沢支部精舎建立予定の土地の近くに処刑場として使われたところがあったのがわかったり、磁場も非常に悪いので、その事も信者に説明してほしいことをサービスセンターに嘆願しましたが、それについても一切無視されたかたちになったので、やむを得ず、その当時支部の責任を任されていた人の許可を得て、一斉メールを送ったわけです。

その活動停止処分を言い渡すことを任された職員は、I氏の行状を聴き取りに来た職員でした。私達は、再び、その信者を守りたい一心で、4~5時間の話し合いとなり、結果、活動停止処分は実行されずには済みました。

しかし、支部の動向は全然改善されなかったので、仕方なく、当時副理事長であったT氏宛に嘆願書を提出しましたが、それに対しても無視され続けました。

そして、最終的に何があったかというと、当時伝道局長であったF氏が3人もの部下を従えて、〇〇平支部へ乗り込んで来ました。そして、最初にサービスセンターへ嘆願書を提出する際に署名した内の5人に対し、他の信者の前で、悪人呼ばわりをしてきたのです。

理由は、大悟館にFAXを送り、結界を破ったからだと言うのです。確かに、斉藤敏之氏のおかげで大悟館へ嘆願書のFAXを送ったことは事実です。しかし、それは、大川総裁ご自身が自らその人に名刺を渡し、「何かあったら連絡するように。」という事前の許可をもらっていたからでした。

そして、当日も、事前に大悟館へFAXを送って良いかどうかの確認の電話を入れたところ、Iという職員が電話に出て、許可をもらった上でFAXを送ったわけです。

もし、FAXを送ることが結界を破ることになると言うならば、その時点でFAX番号を教えなければ済んだことのはずです。

その時、I職員は斉藤氏に、「なぜ、大悟館の電話番号を知っているのか?」と質問をしたので、斎藤氏は「総裁先生から名刺を頂いたので知っています。」と正直に返答をしました。それを聞いて、I職員もFAXを斉藤氏に教えたのでした。(私もそのやりとりを現場で直接聞いていました。)

これは、私達の「教団が正道を通してほしい事。将来の教団の発展の危機を訴える」最終手段だったわけです。しかし、その事で、後に、斉藤氏は活動停止処分となってしまいました。しかも、大川総裁が斉藤氏を扱き下ろし、「名刺を悪用された」という内容のものを仏言と称して、職員が話している録画のDVDをわざわざ私に支部で見せたのです。

最も、忘れ難いことは、当時の伝道局のF氏が〇〇平支部へ乗り込んで来た際に言い放った言葉です。それは、「一消費者がクレームを言いに来ても、社長が対応するわけが無い。」と言ったのです。

〇〇平支部へF氏が来る前に、F氏と話せば、解決に向かうのではないか!?と考え、何人かで総合本部迄行ったことがありました。しかし、対応したのは、その部下の4人であり、5時間待ちましたが、F氏は現れませんでした。(この待っている間、部下が何度もF氏に電話をしましたが、彼は電話に出ることはありませんでした。)その時の理由が、先ほどの言葉だと言うのでした。

すなわち、私達信者は、教団にとって、「一消費者に過ぎない。」というのが教団の考え方であり、「局長以上の人事権は、私にある。」と言った大川総裁の考え方であると言えます。何故なら、人事権を大川総裁に握られた職員は、当然、総裁の顔色を伺うであろうし、ならば、普段の会話が、公の場で自然に出てくるからです。

ならば、一消費者として、言います。「布教所型エルカンターレ像を3百万円で売るなんて、詐欺ではないですか!」。

「もし、これを鑑定に出したら、一体いくらの価値がつけられると思いますか?」と。

それにしても、私達信者のことを「消費者」と言うとは、この言葉に憤りを感じるのは、私だけではないと思います。

何故なら、消費者とは、目に見えるものに対し、価値を判別し、対価を支払う人のことを言うのであり、信仰者とは、目に見えないものに価値を感じ取り、布施を惜しまない人のことを言うのではないでしょうか!?それ故、私達夫婦は20年以上もの歳月を、大川氏を仏陀と信じて、幸福の科学の活動に粉骨砕身してきたわけです。

しかし、幹部職員は、自分の方を偉しとし、信者に対しては、見下していたこともこのF氏の言葉によって証明されてしまったわけです。しかも、伝道局は、大川総裁と信者を繋ぐ、最も大事な部署であるはず、その責任者が、「自分は社長であり、信者は消費者であり、一消費者等、直接関わる価値も無い存在」という言い方から察するに、大川総裁の考え方もその近くにあるのだと思います。

更に思い出したことがありました。それは、何人かで総合本部へ行ったときのやり取りの中で、I副支部長が、何故継続となるのか?質問したところ、Kという職員が、〇〇沢支部精舎の土地を寄進した人が、精舎の建物の代金も全額布施をする事になっており、その条件が、I氏の継続だからだと言ったのです。
こういう団体が、宗教団体とは、とても思えません。
おかげで、大川総裁に対し、醒めた目で振り返ることが出来るようになりました。以前は、大川総裁の離婚問題によって去って行った信者に対し、疑問を感じていましたが、むしろ、その人の方が正常な視点を持っていたのだと今は思えます。

何故なら、大川総裁が仏陀ならば、アングリマーラーの例を見ればわかるように、その人を包み込み、立ち直らせ、改心させ、尊敬せずにはいられないはずです。ましてや、奥さんという生活を共にし、常に会話をしている人の尊敬を何故受けられないのでしょうか?
大川総裁は、一方的にきょう子氏を悪者にし、家から追い出し、離婚訴訟を起こすに至りました。

しかも、きょう子氏の事について、「口臭がひどい。」とか、「トイレが汚なかった。」とか、「掃除をしていなかった。」等、それも結婚前の話など、およそ、悟った人が言うなんて、おかしいと思いました。

結局、職員は果実であり、大川総裁はその種であったわけです。

これが、私達夫婦が退会出来る迄の一部始終です。

ここに至る事が出来ましたのは、斉藤氏をはじめ、自分の損得よりも正義を貫いてくださり、その結果、言われも無い誹謗中傷を受けながら除名にされてしまった方々のおかげです。

20年以上の歳月は、決して無駄ではありませんでした。でも、今、ここで退会出来ました事を本当に嬉しく有り難く思います。

最後に、先日、内容証明便で、布施の一部の返還要求を大川総裁に申し入れました。それは、一つには、ここ近年の大川総裁はじめ職員の信者に対する裏切りに対し許せない気持ちからであり、大川総裁が仏陀で無いことがわかったからであり、そして、その事は、布施の前提条件である三輪清浄では無いことが分かったからです。

二つ目は、これ以上、被害者を増やしたくないからです、そして、大川総裁がこれ以上、罪を犯すことを止めたいからです。

早々
追伸
布施の返還要求について、やはり、返還しないと言われてしまいました。その理由は三輪清浄が崩れていないとのことでした。

読者からの投稿

別に愛人がいても、一般の人であれば何も言わない
昔の経済人や政治家であれば、愛人がいるのは普通だろう
あの松下幸之助も石原慎太郎も、愛人がいてその子供もいた
ただ宗教家や教師に求められているものは、ちょっと違うと思う
両者は人々の模範にならなければいけないのだ
教祖に愛人がいれば、信者は全員愛人を持っていいことになる
そうすれば家庭は崩壊するだろう
根本経典の正心法語の『次第説法』に「ふしだらな不倫をするな」と書かれている以上、それでは言行不一致ということになる
教祖が守らないとすれば宗教家失格で、一般人とかわらないと言える

(コメント:種村)
ある方から頂いたメールです。宗教家、特に教祖は多くの人がまねようとするだけに、どういう生き方をするかには大きな責任がともないます。まさに公人です。それだけに、過ちを犯せば、反省して人生をやり直すという姿を、是非見せて欲しいと思います。菊池寛の「恩讐の彼方に」は、そういう反省して生き方を変えた宗教家の尊い姿が書かれていたと思います。大川隆氏には、自分を信じた方々のために、反省を実践される姿をこそ見せていただきたいのです。それによって大きな地獄が消えていくと思います。

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