2012年11月9日金曜日

教義の検証・進歩と調和の教えは正しいか?

大川隆法氏の思想の根本問題

1.大川氏の説く進歩と調和の思想

大川隆法氏の思想に、進歩と調和の思想があります。進歩の原理は仏教の公平観(差別観)に、調和の原理は平等観に対応するとされ、両者を併せて悟りの原理が構成されるとしました。

ここで簡単に、大川氏の説を振り返っておきたいと思います。

まず進歩の原理は、主に個人の悟りと関係しており、悟りを開いて魂が進化していくことを促す原理です。ここでは進歩と進化は同義語として使います。努力に応じて境地に差ができるため、それは公平に評価されて、悟りの段階となり、霊界における次元構造が出来るとしました。進歩によって得られる幸福が、悟りにともなう幸福であり、これを私的幸福と命名しました。

一方、調和の原理は、進歩した者が、その悟りや幸福感を周りに分け与え、周りの進化を促すことで、全体としての幸福を増大していくこととしました。また、自由を与えられた我々が、自由と自由の相克をしないように調整する原理でもあるとしました。ここにおいては平等観が強調され、全ての人に仏性が宿るという仏(神)の子の思想が説かれました。調和によってもたらされる幸福を、公的幸福と呼びました。

そして私的幸福から公的幸福へ、土台から柱へ、小乗から大乗へをスローガンとして立てました。進歩と調和は、組織の発展段階に伴って重点が移行すると説きました。

進歩はそれだけが突出すると不調和を招き易く、調和はそちらに偏重すると停滞を生み易い。その両者のバランスがとれると進化を伴う調和、大調和が得られるとし、それが幸福の最大化であるという考えが示されました。

以上が、大川隆法氏の説いた進歩と調和に関する思想の概要です。

しかし、この思想には根本的な欠陥があります。それは私自身が20年以上にわたりこの思想を信奉して行動した結果、発見したことです。
自分を見ても、周りの人を見ても、また幸福の科学という組織をみても、進歩と調和がバランスを取れて発展し、幸福が最大化するということは、ついになかったのです。そして今、幸福の科学そのものが、あらゆる面で行き詰まり、崩壊の過程に入っているように見えます。
その理由は、大川隆法氏の思想それ自体の欠陥に由来していると思います。

大川隆法氏の思想は、善川三郎氏に大きな影響を受けています。大川氏は幼少期から善川三郎氏に様々な思想の話を聞かされ、それを強烈な印象として心に刻んで育ちました。善川三郎氏は強烈な共産主義思想の持ち主であったことを、忘れてはなりません。大川氏の思想の根底には、有神論的共産主義とも言うべき、善川氏からの思想的影響が基調に流れていることを見落としてはなりません。大川氏の思想には共産主義的なバイアス(偏向)がかかっており、それは幼少期から薫習されて、心に深くしみこんでいるものなのです。大川氏の思想を論ずる際には、これは決して見落としてはならない視点だと思います。

2.育みと幸福感

「真の進歩の原理」においては「調和の原理」が内包されており、「真の調和の原理」には「進歩の原理」が内包されていると思います。これが正しい姿ではないかと思います。

本来一つのものの異なる側面を進歩と調和という言葉で表すのであり、両者は本来、不即不離の関係にあると思います。

そして、その進歩と調和が本物であるか偽者であるかの見分け方は、それによって「育み(はぐくみ)」が伴っているかどうかで判断できると思います。真なる進歩と調和には、かならず育みが伴うと思います。

さらに、そのプロセスで、心に幸福感、魂の喜びが伴うかどうかで、それは本物の進歩か、真なる調和かどうかが、個々人に直感的に、あるいは感覚的に理解できるようになっていると思います。

3.偽物の進歩

私は大川氏には、真なる進歩と偽物の進歩の区別がついていないと思います。その理由を、私が体験したことで述べてみたいと思います。

私は幸福の科学の発足当初からの会員です。会員番号227番でした。特に大川氏の発刊する霊言集に魅了され、勉強熱心な読者でした。1988年秋に幸福の科学が職員を募集したときには、最初の職員グループの一人に加わりました。

当時は講師登用のシステムができつつあり、大川氏が自ら採点する論文の成績で講師の登用が測られていました。私はそれに非常な情熱を注いで取り組みました。

要するに私は勉強が好きだったのです。とても情熱的に学びました。その結果、論文では常に上位にありました。また1987年の春に大川氏から、私が知恵第一の舎利弗であるといわれた手前、悪い成績をとるわけにはいかなくなりました。

教義の学習と、その結果得られる悟りの向上は、進歩の原理です。私は最初のうちは、教義を学んで認識力が向上する喜びを、魂の喜びとして感じ取っていました。そして私のそうした姿が、周りの学習熱の加速や向上心の喚起として、一定のよき影響を与えたように思います。

しかし、その後、まもなくそれが必ずしも喜びを伴わないものとなりました。なぜなら、常に上位の成績をキープしなければならないという思い、特に智慧第一であることを証明しなければならないとの強迫観念が強くなったからです。

また、人との比較による上下の感覚が凄く強くなりました。成績がよければ自分を偉いと思い、人を低くみるのです。成績が悪いと落ち込んで、自己卑下します。これは要するに自我に由来する思いです。宗教的な真理であれば、それを学ぶことで無我にならねばおかしいのに、逆に自我が強くなっていきました。

それでも強迫観念にせかされるように学び続けました。その結果、成績は常に上位でした。そして講師としての仕事の場も与えられました。生長の家時代から講義をしてきた経験の蓄積があったので、講師としてのノウハウは他の職員の方よりありました。そのため、講師として評価されることに、非常な執着を持ちました。その反面、周りからの嫉妬も受け、苦しみました。

その状態を大川氏は、「進歩の原理が行過ぎるとどこかでそれが頭打ちになる。自分だけが進歩するのでなく、周りの進歩を促す働き、すなわち調和の働きが加わらないと、進歩も許されなくなる。」という言葉で、指導していました。周りの人の進歩を促すという調和の働きとは、他の人に教えることであり、更に言えば他の人に教義を伝える伝道です。これが必要であるとされました。

4.行き詰った本当の理由

しかし、私は今、当時を振り返って思います。進歩の行き詰まりは、単なる調和の欠如によるものではなく、自分が進歩と思っていた教義学習が、自我の思いが加わることで、偽物の進歩にすりかわってしまったから生じたものなのです。

競争意識や上下感覚、プライド、そうしたもののために行う学習は、純粋な法を求める菩提心の発露ではなくなり、自我という不純物が混入して、偽物の進歩に堕していたのです。だから行き詰ったのです。偽の進歩は、進歩ではなく退化です。そして必ずどこかで破綻します。

私は偽物の進歩にすりかわってから、教義を学んでも、魂の喜びを感じる度合いが激減しました。当然、育みの心はおきなかったと思います。

純粋な気持ちで学べていたときは、そのひたむきな学びの姿が、よき刺激を与えて、人々の向上心を掻き立てたと思います。無我なる思いでの学習(真の進歩)は、育みをともない、周りの成長を刺激して、調和を伴いながら進みます。

しかし、自我の思いでする学習は、周りの嫉妬や競争心を煽ったり、「勉強ばかりして仕事をしない」という非難をもたらします。自分も他人も育めません。こうした偽物はかならず現実的にも行き詰るものです。

真なる進歩は調和を内包しています。その証として、育みをもたらします。そして魂の幸福感が伴います。それは無我の状態で生じることなのです。周りとの調和をもたらしつつ進歩するので、どこまでも成長を続けることが出来るのです。

5.本物の進歩

科学技術の進歩についてみてみましょう。公害が起きた頃は、進歩それ自体が悪であるかのように思われたことがありました。しかし、その公害は、それを克服するだけの科学技術の進歩によって乗り越えてきました。

公害をもたらしたのは、偽物の進歩であったのです。自分たちの利潤追求のみが優先され、周りの自然環境や住民の健康への配慮がなく、育みを伴わない状態でした。利潤が上がることは嬉しくても、それによって自然破壊や住民の健康被害が出てくると、大きな苦しみが生まれます。

しかし、科学技術が進み、工業を更に発展させつつ、自然を回復し、住民の健康被害を無くすために排気物質の再利用等が進められると、経済成長を伴いながらの調和した姿が実現できるようになりました。つまり環境や周囲の人々の幸福の増進という調和を内包した進歩であった場合にのみ、成長が継続できるのです。これのみが、本物の進歩なのです。

6.本物の調和と偽物の調和

伝道は調和の働きであるとされています。伝道して人を獲得した後に、これを教育していく。つまり調和から進歩へという流れが、大伝道から仏教路線へという流れと呼応していました。ここでも進歩と調和が別物とされているために、時期によって進歩から調和へと重点を移して対応しようとしました。

しかし、進歩を内包しない調和は、偽物の調和なので、必ず行き詰るのです。本当の伝道は人に教えを伝えて心の病を癒し、やがては信仰へと導くものです。本当の伝道は、必ず心の成長を伴います。何故なら、相手の方に幸福になっていただこうと努力する過程で、愛が深まり、相手の方への深い理解が生まれ、様々な智慧が生まれてくるからです。これは伝道者の進歩ですし、伝道された方も愛を感じ、心が成長して幸福になります。

こうして真の伝道という調和の働きは、それ自体に進歩が伴うのです。それが真なる調和です。そこには育みが生まれます。また相手の喜びをわが喜びとする大きな幸福感と、心が成長する幸福感が伴います。

これが偽物の調和になると、そうではありません。入会者の数だけを求める伝道は、育みのプロセスがないので、伝導する人もされた人も進歩がなく、幸福感が得られません。数字目標を達成したという一時的な喜びしかありません。しかしそれは自己満足の喜びです。自我の満足です。

こういう伝道では、人が育たないので、必ず衰退していきます。入信しても、信仰を実践し、教えを実践して自分が幸福になったという実証がなければ、それを人に伝えたいという気持ちにはなりません。それを無理に伝道させようとすれば、何名入会者を作れば菩薩になれる、と言って利益誘導するか、伝道しないと地獄に堕ちると言って恐怖心を煽るか、どちらかしかなくなります。

布施もそうです。これは伝道を進める資源になるので調和の働きであるといえますが、布施する人も、布施を受ける人も、心の成長・進歩が伴わなければ、真の布施とは言いません。そのために三輪清浄という教えがあるのです。

それが伴わない布施は、布施する人も、勧進するひとにも、魂の喜びも心の成長・進歩も伴いません。単に数字目標が達成したという自己満足しかありません。あるいはあの世に10倍の利息で蓄財できたという満足感があるだけです。実際にはお金が磨り減って、貧乏になっていく苦しみと不満だけが残るのです。

こうした布施は、やがては金額の減少、布施する人の減少を招きます。そして発展が止まり、衰退へと向かいます。この段階にはいると、恐怖心を煽って布施を促進するか、これだけ布施すれば菩薩になれると言って利益誘導するしかなくなります。

真なる調和は必ず進歩を伴いますから、決して停滞しません。停滞をもたらす調和は、既に偽物の調和なのです。

考えてみれば、利自即利他という言葉は、本来、進歩と調和は不即不離の関係にあるということを教えていると思います。

大川氏の思想はその理解ができていないので、両者がばらばらになり、そして退化、停滞、衰退を招かざるを得ないのです。

7.真の調和とは

私はこう思います。大宇宙を創造された真の創造主を根本神(これはエル・カンターレではありません)と呼ぶとすると、根本神は万物を創造された。ゆえに、万物は根本神の顕現です。私たち人間も、根本神の顕現です。だから根本的には平等に仏性が宿っています。どのようなプロセスを通して、その仏性が花開き成長するかは別として、全ての存在は尊く平等に価値があります。

しかも、私たち人間は全員個性が異なります。根本神が異なった個性として顕現されているのです。それゆえに役割の違いが発生します。個性の違いとは役割の違いに伴うものであり、異なった役割を持ちながら、お互いが支えあうことで、より素晴らしい発展が出来るのです。

役割の違いという考えは、上下感覚とは異なります。異なった役割の方がいてくださり、自分が支えられ、全体が発展していくのです。これは魂の価値の平等性の認識を伴った役割の違い、自他の立場の違いの認識です。この認識を持つと、慢心も自己卑下もすることなく、生かされ、支えられ、つながっていることへの感謝と幸福感が生まれます。孤独な感覚が消え、宇宙とのつながりを意識します。

差別即平等,平等即差別という仏教の悟りは、そうした実感を伴うものだと思います。そして、これは進歩と調和が不即不離であるのと同じことなのです。

そこには育みが伴います。お互いが、夫々の個性を発揮しながら、夫々の役割を果たして、お互いの成長を促していきます。別の個性に触れ、それに触発されることで、魂の進歩が促されます。しかも役割の違いという認識を持つので、お互いが相克する関係にはなりません。調和が生まれるのです。

子は親に育まれますが、親もまた子によって心が成長します。カウンセラーとクライエントの関係、社長とコンサルタントの関係、夫と妻の関係、その他すべての人間関係は、本来そのようなっているのだと思います。

根本神はそのような真の進歩と調和によって、全てのものを育んでおられるのではないでしょうか。そして全てのものが育まれていく過程の中で、幸福感が増大し続けていくのではないでしょうか。そうした「育みの容器」として、宇宙は存在するのだと、私にはそのように思えるのです。

8.人が育たない理由

幸福の科学の最大の弱点は、人を育成することが出来ないということだと思います。会が発足して以来、幸福の生産者、活動信者の育成が言われ続けてきましたが、失敗しています。その根本の原因は、進歩と調和という思想に欠陥があったからです。育みが伴わないので、成長できないのです。

私が経験した幸福の科学では、学習期になると伝道が止まり、伝道期にはいると学習が止まりました。調和を内包しない進歩と進歩の伴わない調和。いずれも発展がいびつになり、結局衰退・退化をもたらすことになったのです。

幸福の科学で支部や本部で傑出した人材が育たない理由がもう一つあります。それは嫉妬心です。それは幸福の科学の組織の中に根深くありますが、特に大川隆法氏自身が嫉妬心が強く、優れた弟子が出ると、これに嫉妬して排除し、潰してきたことが、人材の真の育成と組織の発展を妨げてきた最大の要因であると思います。

9.階級制度と次元構造論

共産主義の根底には嫉妬があるといったのは、大川隆法氏です。大川氏には嫉妬については優れた教説があります。しかし、大川氏は嫉妬を克服できませんでした。

逆に根深い嫉妬社会を創りました。それが幸福の科学の階級制度です。

幸福の科学には階級制度があります。目に見えない階級制度としては、次元構造論があります。これは霊格の違いによって、魂に上下があるという思想です。そしてその悟りを認定する権限を持つのは大川隆法氏のみであるとされています。この霊界の階級制度を地上に顕現することを、ユートピア社会の実現と言っています。そうであれば、皇居は大川隆法氏とその家族の住まいとなり、天皇は京都御所に引っ込んで頂くという発想が、ごく自然に出てくるのが理解できると思います。

過去世認定というのは霊格の認定であり、階級制度の一つの柱なのです。もっとも、大川氏が気に入らなくなれば、「過去世は過去世、今世は今世」ということで、いつでも排除できる仕組みを作っています。また、過去世認定の修正という手法も導入しています。

さて、全ての存在が根本神の顕現となると、全ては価値的に平等になります。それでは大川氏が世界を支配する理論的根拠がなくなります。そこで、仏性は同じでもその磨き方に違いが出る。更には、もともと指導者として作られた魂と、そうでない魂があるという理論を持ちこみ、それを次元構造論として体系化しました。そしてその頂点に君臨するのが大川隆法であると説きました。最近では20次元以上の根本神の人格的顕現であると言っていると聞いています。

私は、これは彼の妄想だと思います。そして、大川氏の説く次元構造論は、結局自分の支配を正当化する理論です。それもこの世とあの世を支配したいという願望の表現でもあると思います。

これと非常によく似ているのが、旧ソビエト連邦における共産党の支配であり、中国共産党の支配です。共産主義社会は平等の原理の上に立てられるので差別がなくなるはずなのに、共産党独裁が成立し、その書記長が独裁者として君臨します。そして官僚的な知識人(赤い貴族)、テクノクラートを支配階級とする強固な階級社会が生まれました。

幸福の科学では、出家者は霊格において在家とは違う特別の存在であり、在家の会員は一般人よりもエル・カンターレに近いので、特別の高次の存在であると考えています。この発想のもとに、教えが広がれば、新しい階級制度が生まれてくるのは確実だと思います。

私を含めて、大川隆法氏の教えを学んだ人は、次元構造論を彼のオリジナルな思想として尊重する傾向があるのですが、これは大川氏による世界支配を可能にするために説かれた教えではないのでしょうか。そして、この教えを学ぶものにも特権意識を植え付け、自分たちが支配層となる社会作りを、地上ユートピアの建設と錯覚させるための教えなのではないのでしょうか。私はそれを疑うべきであると思います。

10.まとめとして

正しい進歩の原理には、調和が含まれると思います。

これは、正確に言えば、バランスのれた進歩(正しい進歩)と歪(いびつ)な進歩(偽物の進歩)とがあるいうことです。

大川氏の進歩の原理は、資本主義社会を批判する共産主義的思想がその底辺に流れていると思います。

それは父上の共産党員としての活動の影響を、大きく受けているのではと感じられます。

物事が成長するに従い、完成度が上がります。熟成度が上がるとも言えます。

進歩・成長する中に、不備や未熟な部分が見えてきて、それを補うことで、さらに進歩成長が可能になることは多々あることです。

しかし、大川氏の教えでは、そのことが見落とされているように思うのです。

ここに大きな思想的欠陥が存在しているのではないでしょうか?

ですから幸福の科学は発展に伴う歪(ひずみ)が起きても、それを修正しようとすることができないのでしょう。

大川隆法氏の思想に最初から大きな歪みがあった可能性を、ここでは検証しました。

この検証は更に続けていく必要があると思います。


これは私自身の洗脳解除のためにさせていただいている作業でもあります。

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4 件のコメント:

  1. 次元構造そのものが何故問題であるのか、良く分かりました。
    ところで、文中の「利自足利他」は「利自即利他」ではないでしょうか。

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    1. 有難うございます。

      ご指摘の通りです。修正しました。

      ご指摘に感謝いたします。

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  2. >>私たち人間も、根本神の顕現です。だから根本的には平等に仏性が宿っています。
    サイコパスと分類されるような人々のように、良心や愛情というもののへの感覚、態度が通常の人と著しく違う「性質」の人にも、そのような仏性は宿っているのでしょうか?

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    1. 私はあらゆる存在が仏性を宿していることを信じています。

      サイコパスに分類される人々でも、必ずそれを宿していると思います。

      なお、このサイコパスというのは、とても重要な病名だと思います。

      カルトの教祖にも多いとされていますので。

      しかし、そうした方でも、やはり根っこには根本神につながっている存在だと思いますので、根本神の性質を宿していると信じています。

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