2012年11月9日金曜日

投稿・「教義の検証・進歩と調和の教えは正しいか?」を読んで。

悟りの認定法を問う

(紹介)

匿名希望さんから、辛口のご意見を頂きました。
大川氏の悟りの認定方法が、そもそもおかしいという批判です。
大川氏は受験システムを悟りの認定システムに適用した。
それでは弟子を悟りに導くことなど、そもそも出来るはずがないだろう、
というご意見です。

(投稿)

教義として正しいかどうかは私にはよくわかりませんが、それよりも問題なのは悟りの認定の方法だと思います。

まず、論文の題を出して提出期限を決めたこと。

これは学生に対して先生が点数をつける、だけの延長線上にあるもので悟りの認定でもなんでもないと思います。
何故なら、悟りとは個人個人のものであり、その歩み方も気付き方も人それぞれでいついつまでに悟れと言われてできるようなものではないと思います。

論文で良い点数をとったから悟っている人とは思ったことがありません。学生の延長線で遊んでいるだけですから、あの制度そのものをありがたがる意味がわかりません。

本当に悟った人を輩出させるには、仏陀釈尊がシュリーハンドクにされたように、又、アングリマーラにされたようにその人の機根に合わせた悟りの求めかたをさせるべきだと思います。

その結果、この人はこういうことを悟ったと発表するならいいと思いますが、理論をこねくりまわすだけでは悟りでもなんでもないと私は思っています。
真にその人が苦しみを乗りこえて体得したものこそが多くの人の心の糧になりうるものと私は思っているのですが。


頭の悪い者のひがみと言われるかもしれません。

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1 件のコメント:

  1. 考えてみれば、釈迦も、イエスも、ソクラテスも、孔子も、弟子たちと交わりながら、または共に生活しつつ、教え、導いたのですよね。

    けれども大川隆法氏は、演壇の上から講演するばかりのようです。弟子や信者たちと親しく接しつつ教えたということはあるのでしょうか。

    聞いたところでは、支部巡錫でも、法話のとき以外は控室にこもったきりだとか……。信者宅に宿泊したとか、お茶でも飲みながら信者たちと親しく雑談したとか、そんな話は聞いたことはないですね。

    多くの人たちに呼びかける講演というものも大事でしょうけれども、本当に人を育てようと思ったら、やはり一対一で手取り足取り教えて行くしかないような気もします。

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