2012年8月5日日曜日


潜在意識との対話1 舎利弗と過去世を認定された時のこと
私をTと表記し、深層潜在意識をSと表記します。ロール・レタリングの手法での対話を行います。

T 私は最初に、自分の過去世を舎利弗と認定された時の心境について調べ直して見たいと思います。ご指導よろしくお願いします。

S 分かりました。あなたの修行のために、私が出来る限りの支援を行いましょう。まずあなたの心の動きや、それについてのご自身の対決(反省)内容を書いてみてください。私がそれに対しての見解を伝えるという形をとっていきましょう。関係者に思わぬ迷惑がかかってはいけませんので、心で起きたことを中心にし、事実の記載は最小限にして下さい。

T 有り難うございます。それではよろしくお願いします。まず私が大川主宰(当時)から、過去世が舎利弗であると告げられた事をきっかけに私の心がどう変化したのか。それを調べたいと思います。その日は、地下の事務所で、一種異様な緊迫感がありました。ルシファが攻撃してきているので、それを跳ね返すという会議の趣旨が、まだ入局して6ヶ月ほどの私にも、何となく伝わってきました。部屋の奥に座った大川主宰は、仏陀というより「帝王」だと感じました。帝王の風格を感じたのです。
職員(出家者)と、在家の主要メンバーが集まると、会議は始まりました。
その場で、大川主宰は、「自分は釈迦の生まれ変わりであり、釈迦の十大弟子も何人か集まってきている」と強い言霊で宣言され、私が舎利弗であると言われました。私は当時は事務局課長だったと思いますが、編集部から異動したばかりでした。他にも大目連、摩訶迦葉、阿難陀の存在が告げられました。

こういう釈迦の高弟が私の周辺を固めているのである。だから、在家の委員の方で日蓮から立派な過去世が告げられたからと言って、それで慢心して、自分がもっと会の中心メンバーとしての扱いを受けないのはおかしいと思う心は間違いである」と、そのような趣旨を告げられたと思います。問題の方は、自らの間違いに気がつかれ、悪魔は去っていき、緊迫感がようやく緩むのを感じました。
この時から、職員主導の会の運営に、明確に切り替わったと思います。そして、在家の会員の方が職員に対して、特別の敬意を持って接してくださる風潮がここから始まったのではないかと思います。少なくとも私に対してはそうだったと思います。
すみません。思い出すために、やはりある程度の事実を書きながら回想させて下さい。
そこで私の気持ちですが、聞いた瞬間に、非常な喜びを感じました。そんなに凄い存在だったのかという思いです。何か得意になるような気持ちが起きたと思います。

周りの方の私を見る目も、がらりと変わった感じがしました。それまでも会の中での試験で高成績をとって注目されていましたが、やはりがらりと変わったと思います。尊敬の気持ち、もしくは一目置く気持ちを持って下さるようになった気がしました。嫉妬される方もいたかも知れませんが、私は気がつきませんでした。
私の中でも、変化がありました。周りの人に対しては、内心では私の方が上なのだというプライドが生じました。己を「高し」とする気持ちであり、上から目線で人を見る気持ちが生まれました。この相手を霊格の上下で見る見方というのは、幸福の科学の教えを学ぶほど強くなりました。。もちろん、それをあからさまに表に出すことはしませんでした。自分から過去世の話をすることも、ほとんどありませんでした。しかし、その時、内心はそれまでの先輩に対しても、自分の方を高くみる気持ちが、心の中で発生したと思います。
以上が私の自己分析です。この件について、ご指導をお願いします。

S 過去世を告げられるということは、自分の使命を自覚するということであり、使命を自覚するということは、これから自分がどれ程のことを成していかねばならないかということを、はっきりと自覚するという事なのです。使命を自覚するということは、責任の大きさを自覚し、自分の未熟を知ると共に、自分の可能性についても自己信頼を持つことを意味します。

天上界では必ずしも、最初から真実を告げるとは限りません。方便として過去世を示す場合もあります。しかし、それが方便であったとしても、天上界の指導が入る時には、必ずその方の心の成長を促すという目的に沿った指導が行われます。
あなたは生長の家時代を通して、非常に自分を小さな者として考えており、心が小さくなっていました。しかし、こんなはずではないという自負心はあるのですが、実績として確認できず、そのギャップに心揺れていたのです。責任ある立場に立つ以上は、自分自身への自己信頼というものが必要であり、そうした自分の可能性への自己信頼として、自分の過去世を捉えるべきであったと思います。責任と自己信頼、この二つをセットで自覚せよと言われたと考えてください。舎利弗であると言われたのなら、智慧を中心として果たすべき使命があると、責任を自覚するべきなのです。そして、可能性があると信じて努力すべきなのです。
しかし、それはあくまでも可能性であって、今世においては正しい努力のプロセスを通じて始めて、その潜在する可能性が現れることは言うまでもありません。もしそういう過去世を言われて、それが仮に方便であったとしても、その方向に努力して、それである程度の進歩があったならば、それはそれで意味があった事になります。もしまだ未熟な点があれば、自分を叱咤激励して、目標を高く掲げ謙虚に歩むべきなのです。
過去世を考えるにおいては、現在唯今の等身大の自分をありのまま見つめ、受け入れる必要があります。あなたが舎利弗であるといわれても、その時点で何の実績もなく、悟りもないことは、明らかでしょう。そうであるならば、たとえ自分の過去世が偉大な存在であったとしても、今世の自分は到底それに及びもつかないと、謙虚に見つめていく必要があるのです。ここで謙虚になれるかなれないかが、分かれ道になります。謙虚に道を歩むなら、私達はその者を応援するのです。しかし、そこで慢心が起きるなら、その慢心の鼻持ちならない匂いというものが、私たちを遠ざけるのです。この悪臭が立つと、蚊取り線香の匂いを蚊が嫌うように、私達は退いて、魔界の者が近づいてくるのです。あなたの状態は、慢だったのです。だからこそ、魔界の者が忍び寄ってきたのです。
もう一度頭を低くして、自分創りに取り組むまでの期間、あなたの心境はやはり低迷していました。そして、慢の心は、基本的には人を見るときの上下観に、最後まで残ったと言わなければなりません。これが白紙になるには、還俗して社会の中で己の未熟を痛感する必要があったといえます。これは根深い傾向性であると思います。その傾向性は、あなたの魂、いや私の魂自体もですが、常に神仏を求め上へ上へと目指そうとする求道心の影の部分でもあるのです。

これを打ち消すのは、平等観です。すべての人を神の子、仏の子として、どこまで捉えることが出来るかということなのです。この部分が、愛が出るかでないかの分かれ目ともなります。今カウンセラーとして、来談者の心の中に「先生」を発見して学ぼうとしていますが、それは傾向性の修正として大切な努力です。
幸福の科学で何次元、何次元という世界観を学んで、それが心に刻まれているでしょう。しかし、そんなものはこの大宇宙を作った偉大な神から見れば、どれ程小さい差に過ぎないか分かりますか。直径50センチの水晶があるとして、その石がこの大宇宙だとすると、その中にある銀河も恒星も惑星も、本当に小さいものです。ましてそこに現れた人間の小ささなど、識別不可能な点にしかならないでしょう。その点同士で何次元だ、やれ何次元だと優劣を競うのは、いかに小さいことか分かるでしょうか
この石は、この水晶玉は、すべてが大宇宙を作った根本神の顕現でしょう。すべては根本神の顕現でしょう。すべての存在が根本神の顕現であるなら、私達はすべての存在に対して尊敬の心、礼拝の心を持って臨まねばならないはずです。上から目線で相手を下に見るという、その心がすでに病んだ心なのです。神から離れた心なのです。だからそこに真の幸福感はなかったはずです。幸福感がないということが即ち、神のお心から既に離れてしまっているということなのです。
幸福の科学の教えで次元構造を示したことは、ある意味では仏教的世界観の提示であるし、修行の階梯を示す上では必要なことであったかもしれません。しかし、己を高しとして、他者を下に見ていく慢心は、あなたを人と隔てさせる垣根となり、自分の修行を怠らせ、あらゆる存在から学べなくする魔境を伴うものなのです

また、幸福の科学の信仰を持っているだけで、自分は人類の中の選ばれたものであるという選民意識も、とても危険な面があるのです。選民思想を強烈に持った国民が、どのような運命をたどったか、あなたはユダヤの民を見て知っているはずです。過去世の問題からすこし発展してしまいましたが、この選民意識にも大きな影があることを、今日は指摘するに止めておきたいと思います。以上です

T ありがとうございました。(201285日)


<希望のブログ>

種村トランスパーソナル研究所「希望のブログ」を始めました

心理学の専用のブログです。
関心のある方は、下記へアクセスください。
http://tanemura2013.blogspot.jp/
 
<ご連絡ご相談はこちらまで>
種村トランスパーソナル研究所
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
電話:09080518198


0 件のコメント:

コメントを投稿