2012年8月26日日曜日

寄稿体験談「幸福の科学」辞めて良かった その4

「幸福の科学」辞めて良かった その4
2012.08.26
渡辺万里子

(成功できない理由は「教え」の中にある)

前回の話の中で、ホームレス寸前までいった私が、洗脳から解き放たれ、生活が安定してきたところまでの様子をお伝えしました。
今なら、何が成功しない要因かよくわかります。

成功しない要因は「教え」そのものと、教えにより自ら身につける「考え方の癖」にあるということが、洗脳が取れ、心の癖がとれるといとも簡単に見えてきます。

今から思うと、何故あんな幼稚な考え方に洗脳され、その手法にはまってしまったのか不思議に思えるのであるが、当時は、霊界情報などの見えない世界の話をされると、「凄い」と勘違いをしてしまったのであったのではないかと思っている。
そこには、現在のスピリッチャルブームにもつながる部分もあり、ここにも警鐘を鳴らしたいという気持ちも私の中にはある。
私に関して言えば、幸福の科学入会前に自身が体験した神秘体験がそうした錯覚を強め、間違った感覚をもってしまった結果になっていたように思う。

幸福の科学を辞めても、なかなか成功しない人の特徴は、性格が真面目で、一生懸命な方で、素直な方で、例えば「教え」を強烈に勉強した元職員だったような方に多く見られます。そうした方は辞めてからの苦しみも強く、幸福の科学から離れて経済的に困る状態であるという傾向にあります。
それは、強い洗脳を受けて、強烈に付けてしまった癖が、新しい人生を阻害することになってしまっていることに気付かないでいるだけなのです。
もし、今、そんな苦しみの中にいらっしゃる方が、私の体験を読んでいただいているのなら、もう一度声を大きくしてお伝えしたい。
「あなたは何も悪くはないですよ。努力不足でもないですよ。ただ、学んだ教えがまずかっただけですよ」「その洗脳からいち早く抜け出せば、必ず貴方らしい充実した人生を過ごすことが出来ますよ」「貴方は大丈夫です!経験した私にはそれがわかります」と心から声援を送りたいと思います。

そんな皆さまへ、今日は私が感じた仕事がうまくいかない教えとその弊害について、お話させていただきます

うまくいかない「教え」と「癖」
①「反省」と称する裁き心の癖
幸福の科学にいたころは、なんか言うと「反省」という言葉を使っていた。反省することで心が正せると思っていた。しかし、これが成功しない一番の要因かもしれない。
反省という名の下に自己否定し、いかに自分が駄目であるかを確認する仕組みになっている。その結果、裁き癖がつき、その裁き癖の矢印が内に向かえば自分を裁き、外に向かえば人を裁くことになる。その結果、本当の意味で自己信頼が出来ず人を信頼することも出来なくなった私は、当然、仕事もうまくいかないのである。

②「正しい心の探求」と称する手法の罠
幸福の科学のなかには「正しさ」を追求するあまり、「悪」を排除しようとする心が芽生えてくる。その教えが心の狭さと人間性の小ささにつながってくる。
この教えとこの教えによって付けてしまう心の癖により、人が人を裁くというような愚かなことを知らない間にしてしまっている。正しさを追及し間違いを排除しようとしてしまうことで、人間関係の中で本当の信頼を築くことが出来ず、孤独感を味わうことになる。
いわゆる、愛と反対の方向へ知らない間に向かっていることとなる。

③霊界と言えば許されるという自己中心的な手法
人間は五感をもちこの世で生きるうえで、多くの得がたい体験をするわけですが、幸福の科学の中の常識は、あの世の中にもこの世の中にも序列があり、人間を上下関係で判断していこうとする癖が出来る。
自分は何次元であの人は何次元かなどと、長くそんな霊界感を常識のように疑いなく持ってしまった結果、人間関係を上下感でしか見られなくなり、上から目線になるか、卑屈さで苦しむかという心の癖が仕事上での大きな弊害となっている。

④問題解決という問題拡大の癖
私自身知らない間についていて、なかなか取れなかったやっかいな癖に「問題解決能力が認識力である」的な考えである。
何が問題なのか問題の原因を突き止め、どのような対策を打ちどう解決に導くか。というようなことが出来ることが能力だと思い込んでいた感がある。
これにはまると、問題の周りをぐるぐる回る羽目になり、問題は一見解決したように思えることもあるが、実際には問題の答えは問題であり、その「問題という枠」から抜け出せなくなってくる。
本当の意味の問題解決なるものが在るとしたら、それは、現在の自分の物の見方感じ方を変化させるしかなく、問題に目を向けるのではなく、そう感じる自分に目を向けたほうが早いのである。

⑤自己変革という自分を否定する癖と自己責任という他人を否定する癖
ゆりがバラになるかのごとく変化することを自己変革と勘違いし、自分を責めて苦しい思いでいた。自分が親からもらった個性を認めることなく、個性を変えようと出来ないことをして自分を責める心が自分を苦しめていた。
他人には自己責任だということで、人を突き放し、人を裁く言い訳にしていた。
いずれにしろ、調和とはかけ離れた心の癖を付けていた。

今から思えば、何故こんな癖をつけてしまったのか。これについては何度も自分自身、精査をしてみた事もある。勿論、自分自身が愚かであった事は否定しないが、そればかりでもないような気がしている。
それは、その後の幸福の科学の動向を見ていると、教祖自身にもはっきりとその傾向が出ているからである。

一般的に離婚も人が離れることもよく在ることです。そのことをとやかく言うつもりはありませんが、その後の態度がちょっとひどすぎるように思えます。離婚も弟子の問題も全部悪いのは相手で、一方的に悪口言い放題。自分は間違っていない・・・。子供の喧嘩ではないのですから、それはちょっといただけないと思います。

4 件のコメント:

  1. この方の文章を読んでいて、かつて新左翼(特に連合赤軍)が「自己批判」と「ソーカツ」の名のもとに、仲間を次々とやり玉にあげて殺して行った姿を思い出しました。崇高な理想を掲げながら、現実は悲惨の極みだった彼らは、基本的な理念が間違っていったからそうなってしまったのですが、それと似たものを感じました。(若松監督の映画「実録連合赤軍」がDVDになっていますので、興味のある方はご覧になると、このあたりのことが良くわかると思います。)

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    1. コメントを頂き有り難うございました。
      この方は、正直に、赤裸々に書いてくださっています。
      それが書けるのは、現実的にも、精神的にも、かつての状態を脱却されたからです。
      幸福の科学はもうこりごりだと思われていたのですが、
      私と再会する中で、幸福の科学で苦しむ人のために、
      自分を回想してご自分の反省点を綴って下さいました。
      実名を出して意見を公開するということは、とても勇気がいる事です。
      しかし、人々のお役に立ちたいという愛の思いがあるからこそ
      恐怖や不安に打ち勝つのです。
      この方は、今は大川隆法氏をもうなんとも思っておられません。
      困った坊やだぐらいの感覚になっているそうです。
      乗り越えたという実感が、そういう感覚を生むのだと思います。

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    2. 言葉足らずですみません。
      この方の文章を読んでいて、「幸福の科学」の姿と「連合赤軍」の姿が似ているなあと感じたということを言いたかったのです。
      この方は大変素晴らしい方だと思います。

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    3. 渡辺です。
      コメント有難うございます。
      素晴らしいコメントでしたし、鋭いコメントでもあります。
      4号をお読みになった方の中には、攻撃性や批判性を感じて不愉快に思われた方もいらしたのではないかと思います。

      私自身、4号を書くにあたり少し迷った部分もありました。
      しかし、書こうと決めたのは、自分を責めて苦しんでいる人がいたら、悪いのは貴方ではなく、教えに在るのだと思っていただき、
      少しでも楽になっていただけたら思ったのです。
      その際、一点だけ自分自身に確認した点があります。
      それは「教祖や教団を憎んでいるかどうか」でした。
      答えは「確かにもうこりごりという思いはあるが、憎しみは無い」というものでした。
      実は、今回連載を始めるにあたっても、この一点は私にとって大切な部分なので、自分の心に確認をした部分でもあります。
      この点は、自分自身に誇りが持てる部分でも在るのです。

      また、ぜひとも忌憚のないコメントお待ちしています。
      コメントいただけることで、さらに、深めていけることを心から感謝しております。

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