2012年8月26日日曜日

深層潜在意識との対話7 裁きの心(2012年8月26日)


私の深層潜在意識をSとし、私の表面意識をTとして、心理学のロール・レタリングの手法で自己対話による反省を行います。

T 私は1996年春、滋賀支部の支部長になりました。数ヶ月でしたが、私の故郷でしたので、自分の故郷への恩返しの気持ちで、精一杯頑張りました。私が支部で月刊誌講習会などの講話を話す時は、近隣の支部から沢山の会員さんがお見えになりました。
滋賀支部での反省はいくつかありますが、講習会等で結果として個人批判のような講話をしたことを、一番悔いています。私としては、大川隆法氏が職員が起こした問題を一般論として、教訓として話すので、それを真似て、会員さんに共有して頂くために、法の観点から問題の捉え方をお話したつもりでした。

しかし、支部という小さなエリアの中では、誰の事を話しているのかは、ほとんどの活動会員には分かりました。そのために、取り上げた問題を起こした人は、その後支部に来にくくなったり、離れたりしました。

話の中では、知らず知らずのうちに裁き心が出ていたこともありました。あるリーダーさんのクレームを受けて話した時には、私の話の波動に裁きの思いが強く乗ってしまったようで、聞いている人の中には「体が痛かった」「針が刺さるようだった」と指摘を頂きました。

また、戒律の問題では、戒律によって人を裁く傾向が出たことがありました。特に不倫問題では非常に厳しい裁きの気持ちが出て、結局その問題で苦しむ人を支部から遠ざけるだけになったことがありました。例えば仏教の戒律のテーマで話すとき、やはりそういう波動が乗ってしまったとおもいます。この時などは、法によって裁くという行為を、それが正義だとして考えていたと思います。今振り返ると、私自身の抑圧された感情も、そこには投影しており、それで裁きの波動がでていたと分かります。

何故こういうことをしたかというと、基本は大川隆法氏の影響を受けたのです大川隆法氏の手法はこうです。彼は問題がある人が出ると、それに基いて分析をし、公の講演会やセミナーの席である人の問題点を一般論として批判的に検証するのです。内部の人間には誰の問題を言っているのかが分かりました。

私はこの方法は、問題が起きても、そこからプラスの教訓を学びとり、組織の智慧として昇華させる方法だと思っていました。問題が起きても、法として昇華すれば、組織の共有財産になるという考えです。でも、そこで裁かれた人はどういう気持ちになるのかということへの配慮が欠けていました愛が欠けていて、結局は法によって人を裁くという悪しき文化を助長していたのです


S  裁きという問題はあなた自身の問題もありますが、教祖である大川隆法氏の間違った面を学んでしまったという問題があります。大川隆法氏は問題を起こした人間や辞めさせた人間を、必ず一度は法話の中で名前こそ出しませんが、知っている人がみれば分かる形で批判します。この方法をあなたは学んだわけです。その結果、裁きの波動が参加者につき刺さるような痛みを感じさせたのです。

でも見て御覧なさい。奥様のきょう子氏に対する仕打ちを。妻を善導しきれず、離婚へと追い込みながら、子供たちにまで母親を批判させ、母親を否定させています。子供の心にそれがどれ程の傷として、生涯残る事になるか、分かりますか。こんな酷いことが出来る人間が、全人類の教師を名乗っているのです。これが大宇宙を作られた根本仏や、仏陀や、ワールドティーチャーであるはずがありません。これは邪神のすることです大川隆法氏の邪神化が、離婚騒動から加速してきたのです。これこそが真相なのです。

世界宗教にするためには、最も基本的な親子の愛を否定させ、夫婦の愛を否定し、元妻の名誉をずたずたに傷つけてもよいというなら、それは「愛なき発展」以外の何ものでもないではないですか。大川隆法氏はかつて、自ら説いたはずです。「愛なき発展は死である」と。「愛がなくなるなら、むしろ発展を止めよ」と、説いていたはずです。しかし今、世界宗教にするためにと称して、愛を殺したのです。妻をやむを得ず離婚することは、場合によってはあり得るかも知れません。百歩譲ってそれを認めるとしても、離婚したい妻を公衆の面前で誹謗し、子供にまで母親を否定させると言う酷いことをするなら、話は別です。そのような愛の死の上に、万一世界宗教になったとしたら、それは恐るべき世界の始まりとなるでしょう。暗黒世界が広がるのです真の神である大宇宙を創造された根本神は、決してこれをお許しになることはありません。ゆえに幸福の科学は急速に支持基盤を失いつつあるのです。これが幸福の科学があらゆる面で、暗礁に乗り上げている本当の理由です。

あなたには、海外のある方から電話があったでしょう。その方は言われたはずです。
「私の両親は離婚していました。しかし母は絶対に父の悪口を言いませんでした。私は父の悪口を言ったとき、母は厳しく私を叱りました。そして父親がどれだけ立派な方かを語りました。母は父の誕生日の度に、私に電話をさせました。自分は電話口に出ることはないのに、子供の私には必ず父に電話させました。私は大きくなってから、父を悪く言うことを止めてくれた母に感謝しました。それによってどれ程私の心が守られたか、傷つかずに済んだかを知りました。だから、私は大川隆法氏がされていることが、おかしいと感じたのです。」

さて、あなたの事に戻りましょう。大川隆法氏がしているから、それを深く考えることなく真似るということは、大きな悪をおかすことになります。まねてはならないのです。まねるときは、よくよく吟味して、それが本当に善なのかを確かめねばなりません。あなたは大川隆法氏を真似て、それで会員の方が救われたのですか。それで幸福にさせることが出来たのですか。誰かがそれによって幸せになりましたか。そうではなかったはずです。これは悪を犯したということです。教祖を真似ただけだという言い訳は、一切通じません。教祖の悪を見抜けなかった無明こそが問題なのです。

あなたのことも、還俗した理由に関して大川隆法氏が批判的に説法したのを知っているでしょう。それはあなたを還俗させたことへの「自己弁護」でもあったはずです。それを聞いて、あなたは救われましたか。在家で生きる指針を与えられましたか。あなたの幸福に役立ちましたか。肩身の狭い思いをさせられただけではありませんか。もっと言いましょう。『舎利弗の真実に迫る』を読んで、あなたは何か人生の大切な指針を得ましたか。その中に愛を感じ取れましたか。あなたを全否定して、中傷してまで自分を守ろうとする、大川隆法氏の醜い自己保身の心をを感じただけでしょう

こんな説法を真の釈尊がされたことがあると思いますか。真の釈尊は、自分に女性問題の悪評が立っても、一切の言い訳をせず、黙って耐えておられました。するとわずかの期間で真実が自然に露見して、釈尊の評価が高まったはずです。もしも、大川隆法氏が、あなたの指摘が事実無根であるというのなら、そして自分が仏陀であると言うのなら、どうして同じことが出来ないのですか。真に釈尊なら、同じことが出来るはずです。それが出来ないのは、あなたが指摘したことが図星であり、大川隆法氏が偽仏陀だからです。

したがって、あなたは弟子として意識的にも無意識的にも大川隆法氏を真似てきた部分を、すべて見直しなさい。それが愛にかなっていないのなら、断じてまねてはなりません。もしあなたの目の前に、間違っているように見える人がもしいたならば、愛の心を持ってそうせざるを得なかったその方の苦しみを聞いてあげ、受け止めて差し上げなさい。そしてその苦しみに、悲しみに、共に涙を流してあげなさい。心で抱きとめてあげなさい。そして信じてあげなさい。その方もまた神仏の子であり、必ず立ち直っていかれることを。それがあなたが歩もうとするカウンセラーの道ではありませんか。その暖かいこ心こそが、真に人々を幸せにするエネルギーなのです。

あなたは戒律ということを非常に重く受け止める魂であることは事実です。しかし、如何に戒律で自分を縛ろうとしても、噴出してくる欲望を抑え切れなくて、否定できなくて、人知れず苦しんできたでしょう。肉の身をもつことまでも憎んで否定したことがあったはずです。しかし、その結果は自殺願望となる事に気がつき、あなたは進退窮まったはずです。しかし性欲の問題は単なる肉体の問題ではないのです。心の問題なのですその事にあなたは、還俗後に気がつき、戒律によって人を裁いたことを深く悔いたはずです。悔いたが故に、こうして公開反省を行い、自分の罪を懺悔すると共に、同じ問題で苦しむ人の一助となることを願ったはずです。

幸福の科学の最大の問題の一つは、法によって人を裁くことです。その時実は自分自身をも裁いているからこそ、実は人を裁くのです法を裁きの道具としたことを反省しなさい。人を裁くなかれ。人に対しては理解をこそすべきなのです。受容し、共感的理解をする。その人の誰にも言えない苦しみ痛みを聞いて差し上げることです。誰にも言えない苦しみを、裁かずに聞いてくれる人がいるときに、人は思いを吐き出し、癒されていくのです。

そして知りなさい。人を幸福にしないものは、真の法ではないのですニセモノは裁くのです。本物は幸福へと導くのです。「愛が伴わずに説かれた説法で、かつて誰一人幸福になったことはなかった」という格言を聞いたことがあるでしょう。「愛によらずして、見ることなかれ、語ることなかれ、行うことなかれ」と言う言葉を聴いたでしょう。それをこそとしていきなさい。それを自分を裁く言葉ではなく、自分を導く言葉としていきなさい。その時に真の法とは何かが見えてくるのです。

T 分かりました。大川隆法氏を真似てきたことを反省します。それは愛を殺す行為であることを肝に銘じます。そして「愛によらずして、見ることなかれ、語ることなかれ、行うことなかれ」を私も導く聖句としたいと思います。そして私がこれまで法によって傷つけてきたすべての人に、心からお詫びを申し上げたいと思います。ありがとうございました。




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